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鵺の集う街で  作者: 神崎真
鵺の集う街でVIII ―― The past cannot be changed.
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第四章 過去を隠した男

 さんざん暴力をふるって、多少は攻撃衝動が発散されたのだろう。男達は失神したアヒムとその腕の中にかばわれ続けたシルバーを、まとめて壁際へと引きずっていった。

 飯がまずくなるとかなんとか、そんな勝手なことをわめき散らしながら、二人を木箱の影になる位置へと乱暴に放り込む。

 どうやらそこは、積んだ木箱を仕切り代わりとして、多少のプライベートを保てるようにしてあるらしかった。もっとも主な使用目的など、ある種の体液が放つ独特の臭気が染み付いたマットレスからして、おおむね察せられたが。


「…………」


 乱暴に投げ出されたことで、シルバーはようやくアヒムの腕から解放される形となった。湿っぽいマットレスの上で音を立てぬよう身体を動かし、半ば折り重なった下から這い出す。そうして姿勢を低くしたまま、彼の状態を確認した。

 ざっと見たところでは、ひどい出血はないようだった。ひと目で判るような骨折も見受けられない。しかしあれほど全身を ―― 特に頭部を殴られていたのだ。一刻でも早く医師の診断を受ける必要があるだろう。

 一瞬、ドクターが花瓶で殴打された光景を思い出したが、それでも追いかけてきてはいたので、ここは無事であったと信じておくしかない。

 あいにく、携帯端末は車に押し込まれてすぐに奪われ、目の前で真っ二つにされてしまった。あの連中にとって、生体認証に阻まれ起動もできない端末など、廃物(ジャンク)として部品(パーツ)を取る目的にしか使えないのだろう。故に現在の場所を特定することもできなければ、外部へ連絡を取る方法も存在しなかった。

 試しに上を見上げてみれば、明かり取りの窓の外は、そろそろ陰り始めている。(さら)われたのはちょうど昼頃だったから、すでにそこそこの時間が過ぎていることだけが判った。

 と、指先で口唇をなぞりながら思案していた彼女の傍らへと、もうひとりの男が蹴り込まれてきた。たたらを踏んで膝をついたのは、すっかりその存在を忘れられていた、トカゲ種を名乗る露天売りだ。

 商売道具ごと連れてこられていた彼は、あの騒ぎの中ひたすらに気配を殺すことで、難を逃れていたらしい。

 木箱の向こうで男達が酒を飲み始めたのを確認してから、その喧騒に紛れるようにして静かに上半身を起こした。そして己と同様に、身体の前で縛られた両手を使ってなんとか床に尻を落としたクムティへと、低く抑えた声で問いかける。


「……お前は、何故ここにいる」


 不自由な手で目隠しを首まで引きずり下ろした彼は、肩をすぼめて深々と ―― それでも木箱の向こうには聞こえないよう、潜めた息を吐く。


「ええと、ですね。ショバ代……店を開く分の、場所代をですね、出せと言われたんです。でも縄張りとかちゃんと調べて、そのあたりを仕切ってるって人達に払ったばかりだったんです。だからそう言ったのに、そんなん知るかって、聞く耳を持ってもらえませんで……」


 ぼそぼそと説明する丸められた背中に、哀愁が漂っていた。

 どうやら彼は地域の取り決めに(のっと)って、それなりの手順を踏み、話を通した上で店を出していたようだ。しかしそこへあの傍若無人な連中が現れ、別口で金品をせびられた挙げ句にここへ連れ込まれたらしい。

 流れの行商人である彼にとって、あのトランクはほぼ全財産に等しい、貴重な生命線なのだろう。たとえ他の何を失っても、装飾品を作るのに使う様々な道具や材料、そして完成した品々の入った鞄さえ残っていれば、いくらでも再起ができる。そういう代物であるはずだった。

 それだけに、どうかこれだけはと抵抗した結果、引き際を誤ったというところか。

 立てた両膝へ突っ伏すようにして、産毛に近い、うっすらとした灰色の髪に覆われた頭を抱えこんでいる。


「……この倉庫の位置は、把握しているか」


 シルバーの問いに、クムティはようやくその顔を上げた。

 アヒムのような猫種とはまた異なる、爬虫類系の特徴を持つ縦長の瞳孔が、縛られた手首の隙間から覗く。

 戸惑ったような口調で、答えが返された。

「……その、目隠しされてたんで……」

 と、首元で輪になっている布を指し示す。元々は、自分で身体のどこかへ巻いていたうちの一枚なのだろう。現在の状況にはいっそ不似合いなほど、明るい色合いと派手やかな柄をしている。

 捕らわれてすぐ視界を奪われてしまったので、ここがどこかは判らない。そう主張するクムティへと、しかしシルバーはわずかに首を傾けてみせる。

「隠されていたのは、両目なのだろう」

「ええ、だから……」

「ならば問題はないな」

 そう言って、先ほど存在を確認した、明かり取りの小さな窓を振り仰ぐ。

 倉庫の天井近くに点々と並んでいるそれは、一般的な建物と比較するなら、三階近くにも相当する高さにあった。手が届くような位置に作業用通路(キャットウォーク)や階段といったたぐいもなく、文字通り光を取り込む以外の役には立ちそうにない代物だ。

 だがシルバーは、ごく当然のこととして、クムティへと先を続ける。

「お前一人ならば、奴らの目を盗んでこの壁を登り、あの窓から出ることができるだろう。だから【Katze】かその向かいにある診療所へ行って、アヒムと私がここに囚われていることを、知らせてくれないか」

「は……?」

 クムティは目を見開くと、ややあってからぶんぶんと大きく首を横に振った。

 両手のひらをシルバーへ向け、思いとどまらせるように指を広げる。

「いやいやいや、あんなところまで登るなんて、オレにはとても無理ですよっ。それにもう暗くなりそうなのに、こんなどこかも判らない場所から、あの店まで行けって言われても……」

 潜めた声ながらも、必死にそう訴えてくる。

 シルバーは、視線を下ろすと、小さくひとつ息を吐いた。


「……時間を無駄にするだけ危険が増すと、理解できない訳ではあるまい」


 そうしてまっすぐに相手の両目を見つめる。

 明るい場所ではわずかに桃色を帯びた(だいだい)に見える自身の瞳を、この男は確かパパラチアの色だと形容していた。なんでも『蓮の花』を意味する、希少な宝石のことらしい。

 脳内で呼び出していた資料(データ)から、ふとそんなどうでもいい断片(ピース)が転がり出る。

 いや、無駄な情報などこの世には存在していないが、これは今の事態に何ら影響を及ぼさないひとかけらだ。それはいったん脇へとよけておいて、シルバーは必要な内容を淡々と口にする。

「獣人種の中でも、トカゲ種は特に身が軽く、わずかな手がかりでも壁や天井を這えると聞く。それに両目を塞がれただけならば、ここがどこかぐらい確認できているだろう」

 一度話を区切り、続く言葉に相手の意識を向けさせる。


「〈ムカシトカゲ〉の、クムティ=ヴィルパ」


 その瞬間、クムティの顔から表情が消えた。

 しかしそれは、見間違いとも思えるほどわずかな時間で。

 彼はすぐにまた眉尻を下げ、困惑したような面持ちとなり、首を傾げてみせる。

「えーっと、どういう意味ッスか、ね」


 シルバーは縛られたままの両腕を伸ばし、クムティの額にある赤い石のようなものへと、人差し指を突きつけた。


「派手な身なりで偽装しているようだが、お前のそれは装飾でも化粧でもない。〈ムカシトカゲ〉種の頭頂眼(とうちょうがん)だ。通常の眼球ほどではなくとも、単彩色(モノクローム)程度の視力は備えているはず。それに〈ムカシトカゲ〉は、そもそもの方向感覚にも優れていたな」


「…………」


 クムティからの返答はなかった。


 〈ムカシトカゲ〉という規格は、一種特別な存在である。一点物でこそないが、受注生産(オーダーメイド)という点では、ある意味リュウにも近いかもしれない。

 その制作目的は ―― 諜報。

 身が軽く隠密性に長けたトカゲ種の中でも、さらに情報収集能力を強化させた規格。それが〈ムカシトカゲ〉種だった。

 特筆すべきは、極めて優れたその方向感覚。初めて訪れた複雑に入り組んだ場所でも、ほとんど迷わないという特性を持っている。その能力の元となるのが、彼らの額に存在する、第三の目 ―― 頭頂眼だ。

 一見すると、旧世界における民族的な化粧か装飾(アクセサリー)のようにも見えるそれには、通常の眼球のような虹彩はおろか、瞳孔も存在していない。全体がつるりとした一枚の鱗で保護されており、まばたきさえもできない ―― というより必要がない。いわばレンズのような構造をしている。

 動物としてのムカシトカゲが、その器官を活用して己の現在位置を把握していたことは、旧世界の研究者達の間でも早いうちから知られていたらしい。そして鑑賞用や愛玩物として獣人種(キメラ)というものが開発されてゆく過程において、人間種(ヒューマン)では持ち得ないその能力と、使い捨てにできる生命の軽さを、情報に価値を置く存在が見逃すはずもなく。

 一部の特権階級達が、資源が枯渇しつつある旧世界で贅沢を象徴するステイタスとしての玩具(ペット)をもてはやしたその裏側で、密かに生み出された便利な『道具(ツール)』。そのひとつが〈ムカシトカゲ〉なのだ。


 やがて、


 全世界を巻き込む大変動が起き、獣人種全体が労働力として使い捨てられるようになってからも、秘匿された彼らの有用性が広く知られることはなく。動物としてのムカシトカゲよりも、さらに性能を高められた第三の目の存在とその価値を知る者は、現代でもごく限られていて ――


 もう誤魔化すのは無理だと、あきらめたのか。

 クムティは小さく息をつくと、不自由な手で頭を掻いた。


「まあ、その……俺が〈ムカシトカゲ〉だっていうのは……その通りですよ。認めます。けど、みんながみんな、そういうことができるって訳じゃありません」


 生まれ持った資質だけで、能力のすべてが決まるはずもない。

 たとえどんなに素晴らしい原石だとしても、時間と手間をかけて切り出し研磨しなければ、輝くことはないのだ、と。

 いくら素養があっても、相応の訓練と経験を積まなければ、宝の持ち腐れ。アクセサリー職人らしい例えでそう表現するクムティに、シルバーはまったくもってその通りだとうなずく。


「だからこそ、お前に頼むのだ。クムティ……〈千里眼(ヴィルーパークシャ)〉」

「 ―― っ」


 今度こそクムティの取り繕いが完全に崩れた。

 愕然とした様子で動きを止め、目と口を大きく開いている。

 そんな彼を視界の隅に入れながら、シルバーは己の足元へと手を伸ばした。革靴のうち片方を脱ぎ、その中へ指を入れる。そうして中敷きを引き剥がした。

 その下から取り出したのは、小さく畳んだ紙切れである。


「これを手付けとしたい」


 差し出すと、クムティはまだ呆然としたままで受け取り、そうして縛られた手の指先だけで、器用に広げた。

 まじまじとそれを確認した彼は、しばらくして力なくかぶりを振ってみせる。


「……ずいぶんとまた、用意が良いんですね」


 絞り出すように言ったその手にあるのは、この街で流通しているもののうち、最も額面の大きい紙幣であった。


「端末と環境がなければ、電子通貨など何の役にも立たんからな」


 ただ端的に、厳然たる真理を告げる。

 あまり清潔な隠し場所ではなかったが、価値に影響はないのだから構うまい。そう思考することで、訪れかけた追憶を振り払う。

 気がつけば、クムティが折り目だらけの紙幣を握りしめ、さらにその皺を増やしていた。


「オレが、この金持って、一人で逃げるとは思わないんですか」


 うつむいて旋毛(つむじ)をこちらに向けたその姿勢からは、もはや表情を読むことができない。

 もともと感情の機微には疎いほうだとの自覚はあった。仕方がないので、あとは残りの手札を順次切ってゆくのが最善だろうと判断する。


「 ―― 商売人とは、対価と引き換えに利を望むものだろう? ここでその金を着服し商人としての矜持と信用を失うか、それともアヒムやその知人らに感謝され ―― 結果として恩を売る形になるのと。果たしてどちらを『利』と感じるのかは、お前の判断次第だが」


 どのみち、金を渡そうが渡すまいが、彼だけはこの場から逃げられるという事実に違いはない。あとはその後で、ちょっとした伝言を引き受けてくれるか、それともこの男達と二度と鉢合わせることがないよう、少しでも早く距離を置くことを最優先するかの二択である。

 そもそもが流れ者の露天売りだ。このままレンブルグ自体から離れることを選ぶ可能性も充分にある。その場合は、ここで起きた出来事を知る者がいない場所まで行ってしまえば、もはや矜持も恩も、関係なくなるだろう。


 そんなふうに分析しながら思考を巡らせていたシルバーは、クムティが死角になっているその影で、眉を寄せていたことに気がついていなかった。

 恩義を感じるというその人物達の中に、シルバー自身が含まれていない。そんな些細な言葉選びの微妙さが、クムティの獣人種(キメラ)としての矜持(プライド)を刺激していたのだ、と。彼女には気づけるはずもなかった。

 そのことを見落としたまま、シルバーはさらに言葉を重ねる。


「伝言が届き、私が助かった場合の達成報酬は……そうだな」


 いったいこの相手にはなにが有用だろうかと、無表情のまま脳を働かせる。


「旧世界でSmithsonian Museumと呼ばれていた巨大博物館監修の、様々な宝石や装飾品(アクセサリー)の写真、逸話が掲載された図録(カタログ)はどうだ」


「………………はい?」


 返答までかなり()が空いたと感じ、さらに上乗せ(ベット)を試みた。


「中央アジアという地域の、植物をデザインした装飾タイルの写真集も加えよう」

「………え?」


 少し反応が早くなったことに力を得て、具体的な譲渡方法を提案してみる。


「私が所有しているものはほぼすべて電子媒体(データ)の形だが、ここから出られた(あかつき)には、写しを印刷(ハードコピー)して渡すという手順で構わないだろうか」

「え、えっと、その……なんでそんなもの、持ってるんですか」


 歯切れの悪い口調で、そう疑問を呈された。

 報酬の詳細を確認するのは大切なことだ。違法なものでないかと、出所を知ろうとするのも当然だろう。


「端末で画像(グラフィック)を作成する際の、資料として集めたものだ」


 プログラマーである〈シルバー・アッシュ〉は、システムプログラムだけに留まらず、電子会議(バーチャル・チャット)時の背景や分身(アバター)のデザイン、娯楽作品の映像処理からCG合成といったものまで、幅広く請け負っていた。かつて電脳世界でその名を知られた義父〈ゴールド・アッシュ〉が、興味を惹かれればあらゆる仕事を種類問わず引き受けたため、シルバーもまた、それらのアフターケアを含めて様々な仕事を手掛けているのだ。

 そんな彼女がその優れた情報収集能力によって蓄積し続けてきた資料の数々は、亡き義父から受け継いだものと合わせると、膨大と表現しても過言ではない量と質を誇っていた。


 と、そこでシルバーは、ふと思い出した内容を口にした。


「そういえば先日、金属栞(ブックマーカー)に彫ってもらった、トライバル模様に関してだが。その後、各地の伝統的なパターンを広く蒐集、部族ごとに比較分析した旧世界の研究資料を見つけ……」

「なにそれめっちゃ見てえ」


 最後まで言い終えないうちに被せられた言葉は、商売人らしい丁寧語が抜け落ちた、おそらくは彼の『素』に近いと思われる口調であった。

 彷徨(さまよ)わせていた視線を戻してみれば、どこか慌てたように己の口元を押さえている。しかし言質(げんち)は取れたと解釈して良いだろう。


「では、それも含めるとしよう。頼めるか」


 薄暗い中、いつの間にか上げられていたその顔の、蓮華鋼玉を自称する両目をじっと見つめる。


 ―― 宝石というよりも、むしろ夜明けを連想させる色合いだったな。


 ふと、そんなふうに思った。


 ―― 確か東方の古い言葉で、東雲(しののめ)色といったか。


 やはり資料のひとつとして集めた中の、和の伝統色と名付けられたカラーチャートを思い浮かべる。

 その色見本も、本物の夜明けも、そしてこの男本来の瞳の色も。どれももう、二度と目にすることができない未来は、まだかなり高い確率で残っていたけれど。


「…………」


 どれほどそうして、視線を合わせていただろう。

 やがて根負けをしたのか。クムティが深々と息を吐いた。灰色の髪がうっすらと生えただけの頭部を、両手の指でがりがりと掻きむしり始める。


「 ―――― ッッ!!」


 なにやら訴えたいことがあるらしいのだが、木箱の向こうにいる男達の耳をはばかって、声に出すことができないでいるようだ。

 そうやってしばらく全身をよじらせながら何かを主張したのち、ぴたりと前触れなくその動きを止める。

 それから縛られた両手首をひねるように、小さく数度動かした。と、かすかな音とともに、つや消しを施された銀色の何かが飛び出してくる。

 いくつも重ねてはめている大小の腕輪のうち、どれかに刃を仕込んでいたらしい。小指よりも細く短いそれだったが、要は使いようということなのだろう。

 鋭く研ぎ澄まされたと思しきそれは、拘束されていた彼の両手を、あっさり解放する。

 そうしてクムティは、無言でその場に立ち上がった。わずかな光を鈍く反射する刃を手に、感情の伺えない瞳で見下ろしてくる ――



   §   §   §



 床に直接尻をつけ、そこらから奪ってきた酒や食料を手に馬鹿騒ぎをしていたチンピラ達は、騒々しい声で幾度目かの乾杯を叫んだ。

 そうして一人の男が、隣りに座っていた女を強く抱き寄せる。女もまた満更ではないようで、媚びた声を上げながら男の胸元へとしなだれかかった。

 こうなれば、やることはひとつだ。いつものように木箱の向こうへ連れ立っていこうとして、そこで彼らはすっかり忘れていた、さらってきた者達がいるのを思い出す。

 最初は生意気な露天売り。それからいけ好かない人間(ヒューマン)と、それを庇った気弱でろくに喧嘩もできない臆病者だ。

 特にあの臆病者は、縛られた女ぐらい殴れるだろうとけしかけてみれば、逆らっただけでなく代わりに殴られることを選んだのだから、胸糞が悪いにもほどがあった。

 それでも以前のように無様な土下座でもさせれば、少しは気が晴れるかとも思ったのに。しかしひ弱な下っ端野郎は、ほんのちょっと痛めつけただけで、あっさりと気を失ってしまったのだ。

 自分達の言う『ちょっと』が、世間一般に照らし合わせれば『かなり』だということを、彼らは知らないし、知ろうともしない。この連中にとっては、自分達の考えだけが正義で、それ以外のことなど頑として認めようとしないのだから。

 視界に入るのさえ目障りだからと、いったんは見えない場所へと放り込んだのだが、こうなるとまた別のところへ移動させなければならない。はっきり言って、面倒だ。

 顔をしかめて唾を吐く男だったが、そこで女がいいことを思いついたと、胸元で手を叩く。


「どうせならさ、あの女で愉しめば良いじゃん!」


 パン、と高く響いた音と声に、他の者達も手を止め、なんだなんだと顔を向けてきた。


「もともと、あのニンゲンに思い知らせてやるつもりだったんだしさ。みんなで交代で突っ込んでやったら、あんなスカしたツラなんかしてられないっしょ」

「ああ、なるほど。そういうことか」


 意味を理解した男が、下卑た笑みを浮かべる。


「あのエラそうな女が、ブチこまれてヒイヒイ泣きわめくのとか、最高じゃね」

「どうせ壊しちゃったところで、人間(ヒューマン)の死体ぐらい、どうとでも始末できるしぃ?」

「あ、そうだ。せっかくだからアヒムにも見せてやろうぜ。あんだけ尻尾振ってやがったんだから、たぶんめっちゃ騒ぐぜ」

「お、いいな! 今度こそあの土下座がおがめるかもしれねえぞ」

「かんべんしてください~~ってやつ!?」


 喉を震わせた情けない声真似に、場がどっと沸き返る。

 そうして彼らは新しい遊びを思いついたことに気を良くして、木箱の向こう側へと足を運んだ。


「ほーら、楽しいお遊びの時間でちゅよーー」


 ふざけた声を上げながら、マットレスに上体を起こしていたシルバーを、問答無用で強引に担ぎ上げる。

 もうひとりがしゃがみこんで、まだ気を失ったままのアヒムを揺さぶった。


「おら、いつまで寝てんだよ! 面白いもん見せてやっからさあ、起きろってのっ」


 手荒く何度も小突くが、アヒムは一向に目を覚ます気配がない。

 チッと舌を打った男は、その襟首を掴んでマットレスから引きずり下ろした。そこまで手荒な扱いをされてもなお、ぴくりとも動こうとしないのに興を削がれたらしく、無造作に手を離す。そうしてきょろきょろとあたりを見まわした。


「あれ、もう一人いなかったっけか」

「え、あー、あのアクセサリー売ってたやつ?」

「そういや、そんなのもいたよなぁ」

「陰のほうで震えてんじゃないの~? もらうもんはもらったんだし、ほっとけばいいじゃん」


 首や腕にありったけの装飾をぶら下げた女が、手を振ってジャラジャラと鳴らしてみせる。

 全員多かれ少なかれ酒精が入っていることもあり、深く考えることなくその場のノリで適当にしゃべっている状態だった。


「…………」


 そんな知性の欠片も感じられない連中の行動を、シルバーは無言で眺めていた。

 固い床へと乱暴に落とされても、その口唇は引き結ばれたまま、悲鳴のひとつも漏らそうとはしない。


「おいおい、コイツ、これから何されるか、わかってねえんじゃねえの?」

「何って、ナニだよなあ!」

「カシコくておエライ人間さまが、アンタたちが作ったっていうキメラのおもちゃになって、ぐっちゃぐちゃのどろどろにされるんだよ? わかってる?」


 女の一人がわざわざ目の前へしゃがみこんで、長く伸ばした爪で嬲るように象牙色の頬をなぞる。

 しかしシルバーの表情は、まったく動かなかった。

 半ば目蓋を下ろすようにして、どこを見ているのか判らない目で、ひたすらに無言を貫いている。

 その無反応ぶりに、女はつまらなさげに鼻を鳴らした。


「ねーえ、はやくコイツ、めちゃめちゃにしちゃってよ!」

「おタカく止まっちゃってさあ。さっさと命乞いのひとつでも聞かせろっての」


 尻馬に乗った別の女があたりを見まわし、そこでふと訝しげな顔をした。


「あれ、リーダーは? やっぱ一番ノリはあのヒトでしょ?」


 その言葉に、何人かが同様に己の周囲を確認する。

 この半グレ集団の中でリーダー格と見なされている熊種の男が、どこにも見当たらなかった。


「あ、そーいやションベン行ってくるっつって、外に出てったぜ」


 一人がそんなことを言って、厚い鉄扉の方を見やる。

 夏の間は熱気がこもるので、半分ほど開け放したままにしてあった。冷房設備のないこの建物では、まだ当分はこの状態を続けることとなる。


「それって、だいぶ前じゃなかったか」

「そうだっけ?」

「ま、いーか。先に始めとこうぜ。下準備しといたほうが、リーダーも面倒がねえだろ」


 一人が言い、シルバーの背中側からその手首を高く掴み上げた。そうして上半身を固定すると、別の男がすぐ正面へとしゃがみ込む。


「チッ、ズボンなんか履きやがって。脱がすのが面倒じゃねえか」


 しばらくベルト部分を弄り回していたが、すぐに面倒になったのだろう。腰から小ぶりのナイフを引き抜いた。最初はベルトの革そのものを切断しようとし、ふと思い直したのか刃を持ち直す。そうしてシルバーの目の前で、見せつけるようにちらつかせた。

 それからゆっくりとその襟元へ差し込んで、下まで切り裂いてゆく。

 あまり手入れをしていないのだろう。切れ味の悪いナイフは、甲高い音を立てながら、半ば引きちぎるようにしてスーツのブラウスをただの布切れへと変えた。弾みで飛んだボタンが数個、かすかな音を立てて床に散らばる。


 残るは下着一枚となった上半身を隠そうともせず、シルバーはただ視線を床へと落としたままだ。


「いっつまでその余裕が続きマスかねえ?」


 下品な笑いが倉庫内を満たし、そして下着の紐へとナイフが伸ばされる。


 ―― その、瞬間。


 開け放されたままの倉庫の扉から、何かが飛び込んで来たのだった。

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