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鵺の集う街で  作者: 神崎真
鵺の集う街でVII ―― The right person in the right place.
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第三章 探される人間と獣人居住区

 キメラ居住区内へと続く道から停留所の方へと、走ってくる小型の自動二輪車があった。乗っているのは、鮮やかなエメラルドグリーンの髪をした若い女の獣人種だ。片手をハンドルから離して、激しく振っている。

「あ、スイ姉だ!」

 【Katze】の顔なじみであるカワセミの少女だと気が付いて、ルディもまたそちらへ向き直り、ぶんぶんと両手を大きく振ってみせる。

 軽快な音を立てながら近づいてきた自動二輪は、停留所の手前で急ブレーキをかけた。車輪を滑らせて止まった車体から跳ぶようにして降り、スイは慌ただしく駆け寄ってくる。

 そうしてベンチに座ったシルバーをまじまじと見下ろした。

「あー……そっか。ルディといっしょだったんだ。そうだよね、この時間帯なら同じバスになるかあ」

 どこか疲れた表情で、がっくりと細い肩を落とす。


「……スイ?」


 シルバーは、ベンチに座ったまま不思議そうに見上げていた。

 何故スイがここにいるのかと、考えているのだろう。そんな彼女へと、いつもは快活な彼女が、苦笑混じりに説明した。

「ジグから【Katze】に連絡があったんだ。もし4時を過ぎてもシルバーさんが帰ってこないなら、タクシーじゃなくてバス使ってるかもだから、誰か代わりに迎えに行ってくれって」

「って……あれ、もう5時!?」

 近くのビルにかかっている時計を確認し、ルディが驚きの声を上げた。

 バスがこの停留所に着いたのは16時半のはずだから、三十分はここで過ごしていた計算になる。

「それで最初はバスの時間通りに来てみたんだけど、誰もいなかったから入れ違っちゃったのかなって思って。それで【Katze】に戻ったり、脇道のぞいたりして……ここも何度か確認したんだけど、子供達に囲まれてたから、遠くからだとシルバーさんがいるって、判んなかったんだよね」

 どうやらスイは、彼らがここで話をしている間、あちらこちらと行き来しつつ、足の悪いシルバーが一人で苦労していないかと探してくれていたらしい。

 そしてバスが予定より数分遅れて到着したことと、ベンチに座ったシルバーが子供達の影になっていたせいで、すれ違いが生じてしまったようだ。

「……っていうか、シルバーさん、なんで通話に出ないの……リュウが焦りまくって、道も知らないくせに飛び出そうとするし。手の空いてるみんなで探してたんだよ?」

 ジグも仕事の方が一段落してすぐ連絡したが、やはり繋がらなかったそうで。今は別の伝手で借りた車を使用し、一般居住区を探し回っているらしいと言われ、シルバーはわずかに目を見開いた。

 そうしてポケットに入れていた携帯端末を取り出す。

 画面へと視線を落とした途端、ぴたりとその動きが止まった。


 あ、これいつものやつだ。


 スイとルディの内心が期せずして一致する。この二人は、予想していなかった出来事が起きた際、彼女がこんなふうに動かなくなることを知っていた。なんでもリュウいわく、頭の中でいったん、勘違いではないのかと再確認しているらしい。

 一瞬ののちには、目にも留まらぬ速さで端末が操作され、耳へと押し当てられた。


「 ―― 私だ」


 と、その目が心持ち細められ、一度端末を耳から遠ざける。その隙間から、離れた位置でも聞こえるほどの音量で、ただ一人だけが使うシルバーの略称が漏れ響いた。

「落ち着け……ああ、大丈夫だ。何も問題はない……公共交通機関を使用する際は、着信を切るのがマナーだからな。……降りた時点で、端末を確認しなかったのは悪かった」

 みなでバスを降りてすぐ問題のテスト用紙を渡され解説を始めてしまったために、端末の設定を戻すのも、着信の有無をチェックするのも後まわしになっていたのである。

「重ねて言うが、問題は起きていない。ルディやその友人たちと、少々話をしていただけで……そうだ、今は停留所にいる。スイとも会った……大丈夫だ。これから帰路につく……探してくれているという、他の面々にも伝言を頼む……ああ、もう切るぞ。ジグにも連絡しなければならん」

 端末を下ろし、再び手早く操作する。

「 ―― ジグか? セルヴィエラだ……ああ、どうも行き違いがあったらしい。混乱させて悪かった。……キメラ居住区最寄りの停留所にいる。スイも一緒だ……そうか、ちょっと待ってくれ」

 会話を止めたシルバーが、スイの方を振り返る。

「ジグが代わってほしいそうだ」

 まだ通話が繋がっている端末を差し出されて、スイは目を白黒させた。

 獣人種の間では携帯端末などまだ普及しておらず、固定式の通話端末さえ、勤務先や集合住宅の管理人室のそれを共同使用しているといった場合(ケース)がほとんどだ。当然スイは、所有するどころか実物を持ってみるのさえ初めての経験である。

 おっかなびっくりといった様子で耳へと押し当て、ジグとの会話を始める。


「……うん? うん。判った。シルバーさんはアタシが乗っけて行くから、ジグは安全運転でね。慌てて事故ったりしちゃダメだよ」


 この停留所から【Katze】までは、体力のある獣人種でも、歩いて十五分程度の距離がある。普段めったに出歩かない人間種(ヒューマン)の、それも足が不自由なシルバーでは、どれだけかかるか知れたものではない。ルディは彼女に合わせてゆっくり歩くつもりでいたが、どうやらその必要はなくなったようだ。

 通話を聞いたシルバーは、傍らに立てかけていた黒い(ステッキ)を手に取った。持ち手の部分につるりとしたノブ型の、銀色の握りがついている。それを手のひらで包むようにして地面へ突き、支えにして立ち上がった。

 スイが通話を終えて端末を差し出すと、それを受け取り内ポケットへとしまい込む。

 そうして再度、彼女の方へと手を差し出した。

「え、なに?」

 不思議そうな顔をするスイに、シルバーもまたいぶかしげに首を傾げてみせる。

「……伝票を」

 バイク便を生業としているスイは、本来客を乗せることはしない。しかし以前にもタクシーを手配できなかったシルバーは、自分を荷物の付属品として、この停留所まで運んでもらったことがあった。その際には手提げ鞄を停留所まで送る旨の伝票を書き、その代金とタクシー代相当のチップを支払う形で、運送業務としての体裁を整えたのだ。

 今回も同じ手順を踏もうとする彼女へと、スイは驚いたように両手を身体の前で振った。

「べ、別にお金なんて良いよ! バイクならすぐそこなんだし!!」

「……そういう訳にはいかん。何度も往復させたと言うし、燃料の消費や時間単価を考えると ―― 」

「良いってば! ほら、アレだったらまた、ジュースでも奢ってくれればそれでっ」

 言いつのるスイへと、シルバーはますます不可解そうになる。その眉がわずかにひそめられているあたり、何故代価を拒否されるのか、まったく理解できないでいるのだろう。

 やがてスイは、振り回していた手を胸の前で握り合わせ、なにやらもじもじとし始める。鮮やかな朱色の瞳が、上目遣いの形でシルバーの方へと向けられた。


「……だって、その……い、いちいち水臭いっていうか……シ、シルバーさんだって、いっつもみんなの相談とか乗ってくれてるんだし。私も、その……」


 口ごもりながら呟く声が、だんだん小さくなってゆく。うつむいたその耳の先が、真っ赤に染まっていて。

 無言のまま考え続けているシルバーと、言葉を失ってしまったスイの間へと、その時ルディが横から割り込んだ。


「友だちが困ってるから、助けてあげたいってことでしょ?」


 慌てたように顔を上げたスイと、眉間に寄り始めていた皺を消したシルバーが、そろってルディを振り返った。

 ある意味【Katze】一番の勇者だと評されることもある物怖じしない少年は、無邪気な笑顔で続ける。


「それにさ、こっちはそんなつもりなかったのに、いきなり金の話する野郎はなんかムカつくって、ずっと前にアヒム兄ちゃんが言ってたよ」

「……そういうものなのか」

「うん! なんでも金払っとけばいーだろみたいな言い方は、どうよーって」

「ふむ……」


 なにやら再度考え込み始めたシルバーの横で、スイは赤くなるやら青くなるやらで、せわしなく表情を変えている。ぱくぱくとその口が動いているものの、意味のある言葉は思いつくことができないようだ。

 そこへルディはさらに爆弾を投下する。


「それとさ、シルバー。さっきから『悪かった』ばっかりで、『ごめんなさい』って言ってないよね? 悪いことしたって思ったら、ちゃんと謝らなきゃダメだよ」


 よりにもよって人間(ヒューマン)の大人を相手に、面と向かって謝れと言う獣人種(キメラ)の子供。

 スイの登場からこちら、事情がよく判らぬままにやりとりを見ていたヨクら子供達は、声も出せぬほど驚いた。

 たまたま会話を小耳に挟んだのか。通りすがりの獣人種が数名、こちらも目を見張って足を止めている。


「……そう、か。そうだな……悪かったとは、あくまで事実の確認であり、謝意を表す言葉ではないな」


 しみじみと、噛みしめるような呟きが落とされた。

 そうしてシルバーは、その漆黒の眼差しをスイの方へと向ける。


「 ―― 」

「ストップ!! い、良いから! 判ってるからッッ!!」


 薄い口唇が動こうとする寸前、スイが悲鳴のような叫びでそれを遮った。広げてかざされた手のひらの向こうで、その顔はもはや湯気を吹くのではないかと言う状態になっている。

 この程度のことでこの相手に、謝罪などさせるのは居心地が悪すぎる。しかもそれ以前にルディが発した『友だち』という単語に関して、シルバーは一切の否定をしていない。その事実がまた、スイをいたたまれなくさせている一番の原因である。

 真っ赤な顔で口元を押さえ、それでもどこか嬉しげにあらぬ方向を見ているスイを、シルバーはしばしまじまじと眺めていた。そうしてやがて、改めてルディの方を見下ろす。

 その口角が ―― ごくごくわずかに上がったような気がした。


「お前や……ここの住人達は、こういうことを、私よりもずっとよく知っているな」

「え?」


 何を言われたのかよく判らず聞き返したルディへと、シルバーはいつになくはっきりとした笑顔を向ける。


「私は、こういった部分が不得手なのだと、自覚している。だからこれからも、お前達が教えてくれると、とても助かる」

「う、うん? えっと、オレが知ってることなら、ちゃんと教えてあげるよ!」


 『そういう』というのが何を指しているのか、ルディにはよく判っていなかった。それでもこのなんでも知っていそうなシルバーが、自分を頼りにしてくれるというのが、正直嬉しくてたまらない。

 満面の笑顔で請けあったルディの髪を、シルバーは再びかき回すように撫でた。

 そんな彼らを見ていた子供達の中で、一番幼いスナが、小さな声でぽつりと呟く。


「……てきざい、てきしょ?」


 と ――



   §   §   §



「あ、おれ……教えてもらったお礼言ってない」


 カワセミの少女と黒髪の人間(ヒューマン)女性が、自動二輪に二人乗りして遠ざかっていくのを見送って。ようやく帰宅するべく歩き出そうとしたヨクは、はたとその事実に思い至って棒立ちとなった。

 みなで頭を突き合わせても解けなかった問題を、答えだけでなく解き方から教えられた上に、それが今後どんなふうに役立つのかまで聞かせてもらった。なのにヨクは、感謝の一言も口にしていなかったのだ。


「ど、どうしよう……何かした方が、良いのか……な……」


 今さらという想いと、いったい人間(ヒューマン)に対して何をすれば礼になどなるのかと言う気持ちで混乱するヨクへと、スナと手を繋いでいたルディが不思議そうに問い返してくる。


「どう、って……ありがとうって言えば?」

「そんな訳に行くか! 相手は人間(ヒューマン)だぞ!?」

「シルバーだよ?」

「だから……っ」

「シルバーだもん。ありがとうって言ったら、それで笑ってくれるよ? ちょっとわかりくいけど、口の端っこがさ、ちょこっとだけ上をむくんだ。でね、頭くしゃくしゃってしてくれるの」


 にこにこと笑っているルディに、ヨクはどう説明すれば理解するのかと悩み……そしてあの人間女性 ―― シルバーが、幾度もルディを撫でていたことを思い返す。

 同じことを思い出したのか、ティーが自身の頭へと手をやった。一日を過ごしてあちこちが飛び跳ねていた縞模様の髪は、あの女性の手で綺麗に整え直されている。


「週末にさ、【Katze】に来ればいいよ。オレ学校休みの日は、シルバーといっしょにご飯食べてるんだ。その時だったらまた会えるから、そこでお礼言えば?」

「ごはん……」


 理解できないものを見る目で、ベルがルディを凝視している。

 いったい何を好き好んで、この少年はわざわざ人間と食事などしているのだろう。


「だいたいあんた、なんであの人のこと呼び捨てにしてるのよ。呼ぶなら『さん』とか『さま』とかつけなきゃ怒られるでしょ!?」


 彼女の前ではほとんど口を利かなかったベルが、その反動とばかりにルディを責めたてた。もともとが気の強い少女なのだ。

 しかしルディはめげることなく、それにも反論する。


「だってシルバーはシルバーだもん。ほんとはセル……えっと、せるび、えら? っていうんだけど、オレちゃんと言えなくて。そしたらシルバーで良いって。お姉さんはやめてって、そう言われたから」

「げ、マジかそれ」

「うん」


 呼び捨てどころか愛称 ―― 正確にはHN(ハンドルネーム)なのだが ―― で呼んでいるのだと知って、年長二人はますます冷や汗をかく。

 相手があの女性だったからまだ良かったが、もし他の人間(ヒューマン)に対しても、そんな馴れ馴れしい態度などとろうものなら……


 と、


 そこまで思ったところで、ヨクはあれと目を瞬かせる。

 何故自分はいま、あの女性だったから良かったと、そう思ったのだろう。


「…………」


 黙り込んだヨクのシャツを、ティーがくいくいと下から引っ張った。

 視線を落とすと、彼女は首を精一杯曲げ、ヨクを見上げてきている。


「……あたしも、おれい、言いにいきたい」


 小さな口を尖らせて、一見するとすねているように見える。だがこれは、彼女が照れている時の仕草だ。


「バカじゃないって、言ってくれたから……」


 常日頃、クラスメートや教師達から、お前は馬鹿だ馬鹿だと言われ続けているのだろう。それはヨクもそうだったし、おそらくベルやルディ、スナも同じはずだ。

 けれどあの女性は、はっきりと言った。獣人種だから馬鹿だとは限らないと。


 ヨクは一度、強く拳を握りしめた。


 自分はもう少しで、あの女性が言う『本当の馬鹿』になるところだった。

 学校の授業なんて、卒業すれば何の役にも立たない。そう思って、これからも適当に聞き流すつもりでいた。


 けれど……


「あのさ、ヨク兄。シルバーね、トマトよく食べてるよ。あとレモンとか、グレープフルーツとか、酸っぱいのが好きみたい」

「……そっか」


 ちなみにヨクの家は、小さいながらも食料品店を経営している。取り扱っているのは主に野菜や果物だ。

 週末は、まだ2日ほど先になる。

 覚悟を決めるのには、充分な時間だと思いたかった ――



    〈 鵺の集う街でVII 終 〉

※レンブルグにはヘルメット着用や二人乗り禁止の法律がないので、その点はシルバーも特に注意をしません。

 現代日本に住むみなさまは、くれぐれも道路交通法をお守り下さいますよう……

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