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鵺の集う街で  作者: 神崎真
鵺の集う街でVI ―― Nightmare.
66/95

... After that

 完全に夜が明け、目を覚ましたリュウが【Katze】へ出勤するかどうかを迷っている間に、ドクター・フェイが早々と往診にやってきた。


「ん、熱は完全に下がってるな」


 バイタルチェック用の計測器を確認して、満足げにうなずいている。

 なおリュウはと言うと、とりあえず一時間はしっかり横になってこいと、強引に自室へ戻らされていた。朝の掃除には間に合わなくなるが、そのあたりは常連達が手伝ってくれるらしい。即効性の睡眠薬まで用意されていて、その周到さには素直に尊敬の念が湧いた。

 それから倒れた時の状況やその時に考えていたこと、これまでに同じような経験があったのならば共通事項など、いくつかの質疑応答を挟みつつ、呼吸音を確認されたり、身体のそこここを触診される。

 その手付きは極めて事務的でありながら、こちらへの気遣いも確かに存在していて。

 他人に触れられる不快さや、医者というものに抱く生理的嫌悪を、この男に対してはあまり感じないのが正直ありがたい。


 口調こそ軽く装っているが、その内容はこちらの反応を観察しながら、慎重に吟味しているのだと理解できるのも好感を覚える。


「あの長下肢装具だけどよ、ちょい預からせてもらって良いか? いろいろと勉強になるし、うちの患者のリハビリにも、参考にできそうでよ」


 礼と言っちゃアレだが、調整はこっちで適当にやっとくわ、と。

 そう提案されて、別に不都合などないので、うなずきを返した。

 どうせ普段は収納の中で、埃を被っている代物だ。他で誰かの役に立つというのならば、その方が良い。


「それから、そろそろこっちの治療も考えたいんだが」


 肘の内側から採血を行っていた男は、注射器を丁寧にケースへ収めてから、止血テープを貼った。そうしてひょいと、軽い動きで右腕をひっくり返させる。

 これまで下になっていた、前腕の外側があらわになった。

 そこには以前、リュウを刺そうとした男によってつけられた、肘から手首近くに至る長い傷痕が存在している。

 手当てを受けるのこそ早かったものの、使用済みの食事用ナイフで力任せに切られたせいで、かなり派手に残ってしまった。今はまだいいが、冬になって気温が下がると、引き攣れた皮膚に動きを阻害されるかもしれない。


人間(ヒューマン)用の人工皮膚を使えば、跡形もなく消せる。定着も早いから、術後三日もあれば ―― 」

「いらん」


 意識するよりも先に、口が動いていた。

 己の顔から、ただでさえ乏しい表情が抜け落ちるのを自覚する。


「……シルバー?」

「移植の必要はない。これは、このままであるべきものだ」


 男の手から右腕を取り戻し、起こした上体の胸元へと引き寄せる。

 その動きを、男はいったいどう受け取ったのか。

 しばしの沈黙の後、小さなため息が落とされる。


「 ―― 判った。とりあえず、軟膏だけ出しとこう。朝晩や風呂上がりに使ってマッサージすれば、炎症や拘縮(こうしゅく)はある程度抑えられる。それぐらいなら、続けられるか」


 恐らくは、相当な妥協の末の提案なのだろう。

 職業医師として、目の前の、それも己が治療した手術痕を中途半端に放置するなど、矜持が許さないに違いない。

 それは理解、できた。

 理解は、できるのだ。


 腕を引き寄せる指に、力が籠もる。

 赤く盛り上がった創傷に、わずかに爪が食い込んだ。


「シルバー」


 こういう時のこの男は、声を荒げようとしない。

 無遠慮に手を伸ばしてくることもせず、ただ静かに呼ぶだけで、やめるよう促してくる。

 だから、こそ。


「…………」


 声には出せないままに、それでも小さくだが頷くことができた。


「ん」


 ごくごく短い答えには、穏やかな許容が存在している。

 本来の医師とは、こういうものなのかもしれない。


 少なくとも、かつて己が接してきた者達こそが、特異な存在であったことなど、疑いようもなく ――


 あれらとは何の関係もないこの男に対してさえ、こんな態度を取ってしまうことに、引け目を感じなくもない。

 この男は、これまで何も、自分達に対して害を及ぼしなどしていないのに。

 むしろ、記憶を失い大怪我を負ったリュウを善意で保護し、仕事と住む場所まで与えてくれていた。そして現在でも丁寧なカウンセリングを続け、その心身を尊重してくれている。

 人間(ヒューマン)である己に対しても、最初は警戒を抱いていたようだったが、それでも理を説けばその態度は軟化し、さまざまな助力をしてくれた。

 その恩は、返さねばならないと常々思っている。

 自分にできることであるならば、可能な限りその要請に応じたいと思っているのだ。


 けれど、

 それでも、


「まあ、無理は言わんさ」


 おいおい、な。


 そう言いながら、使ったものを診療鞄へと片付けてゆく男に、己は言葉を返すことすらできない。


 だって、


 ―― 移植などという技術があったから、『本体(オリジナル)』と『予備(スペア)』だなんて、そんな違いが生じたのだから。


 そんな手段さえ、そもそも存在しなければ。

 そうすれば、きっと、自分達は。


 ―― お前なんかに……!


 熱は既に、下がっているというのに。

 呪詛を思わせるあの言葉が、また繰り返し耳の奥で、(こだま)しているような気がしてならない。


 ―― だから、


 移植手術なんて行為を、受けることはできないのだ。

 もう、二度と。


 そう内心で呟く彼女の脳裏には、かつて己とリュウを傷つけ(おとし)め……そして今はとっくにその手で破滅させた男への感慨など、欠片のひとつも残されてはいなかった ――



    〈 鵺の集う街でVI 終 〉

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