プロローグ
配送業者の男が二人、通話装置越しに、固く閉ざされた扉の向こう側と会話していた。
何かを言い募っている二人と、機械から発せられる抑揚のない淡々とした音声を聞き流しながら、彼はどこを見るともなくぼんやりと佇んでいる。
その脳裏をよぎるのは、つい先程まで飼い主だった、男の言葉。
―― 珍しく、お前に興味を持ったようだったからな。
下卑た笑みを浮かべながら、そんなことを口にしていた。
―― うまくいけば、しばらくは可愛がってもらえるだろう。せいぜい媚を売れ。
ぐいと乱暴な仕草で顎を持ち上げられて。覗き込んできたその顔立ちなど、もうほとんど覚えてはいない。もし再度会ったとしても、見分けることはできないだろう。
……そもそも再会する可能性すら、万に一つもなかった。だから、どうでも良い話だ。
気がつけば、男達と扉の向こうとのやり取りは、終わっていたようだった。
頭を掻く二人は、ため息を付いてこちらを向いている。ひどく億劫そうな、モノ ―― いや、道端の塵芥を見るかのような、目。
「やっぱり、いらねえってよ。そりゃこんな薹が立った玩具なんざ、押し付けられたって迷惑だろうしな」
「どうする。受け取り拒否されたら、そのまま処分場に持ってけって話だったろ」
「あそこかあ……遠いし、面倒じゃねえか。もうそこらへんに捨ててこうぜ。そのうち収集車が回収してってくれるさ」
「けど、こいつ特注品だろ。不法投棄だなんだって、後からごちゃごちゃ言われたりすんじゃねえの?」
「なあに、どうせ所有者登録はもう消されてるんだ。誰が捨てたかなんて、判りゃしねえよ。……まあ、この派手な目玉は、確かにちょい目立つかもな」
片方の男がそう言って、胸元に手をやる。
作業着のポケットから引き抜かれたのは、細い筆記具だった。それを逆手に握って、一歩一歩近付いてくる。
どうやら、これから目を潰されるらしい。
さすがに痛むだろうが、どうせ一日もしないうちに処分場へゆくのなら、そう長くは苦しまずにすむだろう。
怯えるでも逃げるでもなく、ただ無感動に見返した彼の前で、男はわずかに訝しむような表情を浮かべる。しかしその手を止めようとはせず、ぐいと無造作に髪を掴み、頭部を引き下ろすようにして固定した。
尖った先端が、左の眼球へと向けられる。
その時、
『 ―― 待て』
通話装置から、短く低い声が発せられた。
それはけして、激しくも大きくもない一言だった。
しかし男達は、何故か跳ねるように肩を揺らし、同時にそちらの方を振り返る。
通話装置の画面は暗いままで、ただ音声だけが聞こえてきていた。それは女のもののようだったが、合成音のようでもある。
感情の色のうかがえない、どこまでも事務的な口調が、平坦に先を続けた。
『気が変わった。そのままそこへ置いていけ』
それを聞いた男達は、面倒な手間がなくなったことを歓迎したようだった。
「受領書にサインを戴きたいんですが」
笑顔を浮かべてさっと通話装置へ向き直り、そんなことを要求している。
「それから、所有者登録もお願いいたします。前の持ち主は既に登録を抹消しておりますので、このままでは飼い主不在として、見つかり次第処分対象となってしまいます」
先程までとは打って変わった丁寧な物腰で話す男に、通話装置からの声は、しばらく間をおいてから答えを返した。
『……判った。少し、待て』
扉の脇に灯っていた光が、解錠を示す緑色へと変化する。
その日の出来事が、彼とその声の主の未来を、大きく変える最初のきっかけになるものだった、と。
この時には誰ひとりとして、予想だにしておらず ――




