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鵺の集う街で  作者: 神崎真
後日談 ... Much of a good thing.
41/95

プロローグ

 長く白い指が、静かに動く。

 かすかな音と共にめくられるのは、古びて黄ばんだ色合いを見せる ―― しかしどこか高級そうな雰囲気を漂わせた紙。それらを包み込んで書物の形を成している表紙もまた、古色蒼然としつつも重厚な気配をまとっている。

 モスグリーンの表面には、装飾された書体(レタリング)で『The Ten Thousand Leaves』と刻まれ、曲線を多用した模様がうるさくない程度に施されている。

 カウンター席で軽く足を組み、子供の手のひらほども厚みのある書籍へと視線を落とす青年の姿は、その容貌とも相まって、実に絵になっていた。

 伏せられた銀色の睫毛が、なめらかな白い頬に影を作っている。一定の間隔でページをめくりながら、時おり傍らに置いたコーヒーカップへと手を伸ばし、紙面から目を離さぬまま口元へと運ぶ。

 混み合う昼の時間帯を乗り越えて、ようやく手の空いたひととき。気心の知れた馴染みの客数名だけが残る店内で、彼はそんなふうに短い休憩時間を過ごしていた。


 と ――


 ドアベルの鳴る音に、ふとその視線が上げられる。

 金褐色と青灰という、稀有な色違いの双眸が、入ってきた人物を映し出した。


「悪い、まだ注文いけるかい?」


 そう言いながら入ってきたのは、上階の住人の一人だった。金髪の巻き毛を掻きながら問いかけてくる小太りな男へと、整いすぎるほど整った顔が、穏やかな笑みを向ける。

「はい、構いませんよ」

 そう答えた時にはもう、椅子から立ち上がっていた。

 手元の本も、ぱたんと小さな音を立てて閉じられている。

「御注文は」

「えーと……クラブサンドとアイスコーヒー頼むよ」

「かしこまりました」

 エプロンを着け直してカウンターへ入るリュウと入れ替わるように、羊種の男はスツール席へと腰を下ろした。

「休憩中だったんだろ? 悪いね」

 いくら自動調理器があるとは言え、この規模の店を二人で回すのはかなり厳しいものがある。長年の経験で慣れているアウレッタと、手際の良いリュウ、そして地域密着型とも言える常連客達の理解があればこそ、なんとかやっていけているような状態だ。

 故に、休む時はしっかり休んでもらわなければならない。うっかり過労で倒れられでもしては、客のほうが困ってしまうのだから。

「いいえ、お気になさらず。ディックさん」

 手早く野菜を用意し、パンをトースターにセット。もう卵とベーコンを焼き始めているリュウは、そう言ってかぶりを振る。

「相変わらず、難しそうなもの読んでるねえ……」

 ディックは太縁の丸眼鏡を軽く押し上げると、リュウが置いた本へと手を伸ばした。そうしてパラパラと中身をめくってみる。

 内部の文字は表紙のものほど装飾過多ではなかったが、それでも古風なデザインの活字が並んでいた。どうやら詩集の類らしく、使われている文法なども現在のものとは微妙に異なっているようだ。

 キメラ居住区内限定発行の小規模出版社で、記者(ライター)兼編集者兼営業をやっているディックは、常日頃から文章というものに慣れ親しんでいる方だ。その彼をもってしても、この内容を楽しめるとは到底思えない。

「慣れると癖になるというか、判らないことが逆に面白いんですよね」

 リュウが苦笑する。

 シルバーの義父が遺したという書籍の数々は、大変動以前の旧世界で記されたものがほとんどだった。現代の生活や習慣とはまるで異なることばかり書かれていて、ほとんどおとぎ話のようなものだ。だがむしろそこにこそ、どこか抗いがたい魅力を感じる、と。


「 ―― はい、お待たせいたしました」


 差し出された皿を受け取ろうと、ディックは持ち上げていた表紙を離した。ぱたりと二度目に鳴った音を聞いて、そこで彼ははたと気が付く。

「あ、ごめん。読みかけだったのに」

 ディックが注文を入れた際に、リュウは無造作に本を閉じていた。しかしあるいは何か、本人には判るような印をつけていたのかもしれない。いま適当に動かしたことで、それが外れてしまったのではないだろうか。

 慌てるディックに、リュウは再度首を振ってみせる。

「大丈夫ですよ。ちゃんと覚えていますから」

 それより、冷めないうちにどうぞ、と。

 料理を勧められて、ディックはきつね色になったクラブサンドへと手を伸ばす。パンの表面はカリカリに焼けていて、それでいて内部はもっちりと柔らかい。具にもきちんと味がつけられていて、張りのある瑞々しい葉野菜との兼ね合いが絶妙だ。

 思わず無言になって口内へ押し込んでゆく彼の隣へと、片付けを終え手を洗ったリュウが戻ってくる。

 そうして再び本を取り上げた。慣れた手つきでぱらぱらとページを送り、ふと数枚戻ってから、また一枚をめくる。確かめるように紙面をなぞった指先が止まると、そのまま続きを読み始めた。

 覚えていると言ったのは、別に気を遣った訳ではないらしい。



 そんな一連のやり取りを、少し離れた席から見守っている目があった。

 窓際のテーブル席を囲んでいるのは、常連達の中でも特に顔馴染みと呼ばれる面々である。

「確かに、見た目はめっちゃ格好良いんだよなあ」

 ため息混じりにそう呟いたのは、白黒茶のまだらの髪を短く刈り込んだ、三毛猫種の若者アヒムだった。

 読書を再開したリュウの姿も、その前のディックとの会話も、ひとつひとつがどこか洗練されていて。それはまるで、ドラマの一場面を切り取ったかのように感じられるほどだった。

「……観賞用って言うのは、つまりそういうことなんだろうよ」

 冷めた炒飯をかき混ぜながら、水牛種のゴウマが吐き捨てる。

 ゴウマ自身は第一世代でこそあったが、肉体労働用に作成されひたすら現場で働き続けてきたため、そういった型式(タイプ)との接触はなかった。ごくごく稀に遠くから、金持ちの人間(ヒューマン)が侍らせている綺麗どころを目にしたこともあったが……自身とはまったく別世界の存在なのだと、気に留めることもなかったのだ。

 それが今になって、こんな形で関わり合いになるとは、思ってもみなかった。

 カワセミのスイが、唇を噛み締めてうつむく。

「……他の都市(まち)では、獣人種(キメラ)なんてモノと同じだって。だからお前ら、こんな良い待遇で感謝しろよっていつも言われて、アタシふざけんなって思ってた。でも、『外』では本当に、そんなことしてるの?」

 膝に置いた小さなその拳が、ぎゅっと握りしめられる。


「ヒトを、プレゼントにするなんて……」


 スイの言葉に、場には重い沈黙が流れる。

 一同の脳裏に浮かぶのは、先日ルディの誕生パーティーの後で、リュウが口にした言葉だった。

 これまで迷惑な贈り物を押し付けられて断るばかりだったシルバーが、たった一度だけ受け取ったという、誕生日プレゼント。彼らはそれを、てっきりリュウからシルバーに贈られた品だと思い込んでいた。そして楽しい宴の余韻もあって、からかい混じりに何を選んだのかと問い詰めたのだ。

 まさか、あんな衝撃的な答えが返ってくるとは思いもせずに。

「 ―― 特に、珍しい話という訳じゃない」

 低い声で口にしたのは、ニシキヘビのジグだった。

 この男もまた、他都市出身の第一世代だった。要人警護用として作成された彼は、結果としていわゆる『金持ち』達と、身近に接した経験も持っている。

 実際ジグ自身、己が守るべき存在と引き合わされたのは、その相手が8歳を迎えたその日であった。

「そういった存在には、あえて教育を施さないことすらある。下手に知恵が回るようにすると、情報漏洩の原因になりかねないからと」

 警備計画を正確に理解せねばならぬため、ジグはそれに要するだけの知識は与えられていた。また警護対象と常に行動を共にしていた結果、その人物が受ける教育の片鱗を、聞きかじりとは言え受けることもできていた。

 しかし、純粋に観賞用 ―― と言えばまだ聞こえは良いが、要は愛玩用(ペット)である ―― の獣人種達に求められているのは、ただひたすら優れた容姿や見栄えのする仕草、物腰だけで。むしろ重要な商談や(おおやけ)にはできぬ密談の場などへ同席させる際には、その内容を理解し記憶できる知能など持たない方が良いと、そう考える飼い主がほとんどだった。

 だから、リュウが読み書き計算をかなりの水準でこなせると知った時、ジグは内心でずいぶんと意外に思ったのだ。

 よほど物好きな飼い主だったのか、それとも何らかの酔狂に付き合わされていたのか、と ――

 あるいは、


「シルバーは、いずれリュウを手放すつもりでいたのかもしれない」


 ジグの言葉に、一同はぎょっとしたように視線を集中させた。それには構わず、ジグは己の考えをまとめるように、ゆっくりと続ける。

「読み書き計算、炊事や掃除といった家事全般に諸手続きのやり方。どれも自立した生活を行う上で、必須に近い技能だ。実際、市民権を与えられてこの都市(まち)へやってきた獣人種のほとんどが、まずそこでつまづく」

「ああ……そいつぁ、確かに……」

 ゴウマがしみじみと頷いた。彼には何かと思い当たる節があるのだろう。

 もちろん純粋な好意もあるのだろうが、ほとんどは飼い主の気紛れや法改正の結果としていきなり自由の身とされた獣人種達は、しかしそこで高い壁にぶち当たる。それまでは良くも悪くもただ一方的に、与えられるものだけを受け入れる世界で生きてきた彼らは、放り出された新しい環境へと、なかなか適応することができないのだ。

 自身の力で仕事や住処を得るために、いったい何をしなければいけないのか。金銭の価値や、それらを稼ぎそして使うという行為は、どういった意味を持つものなのか。まずはそこから覚え始めなければならないのだから。

「……リュウは、この店で働くためにと渡された契約書を、きちんと読んだ」

 あれは、一種の試験でもあったはずだ。

 未だ素性どころか為人(ひととなり)すら定かではなかった彼の器量を推し量るために、ドクター・フェイはあえて難解な表現を用いた契約書を作成し、サインするよう告げたのだ。意味が判らないと、暴れたりした場合の対策要員として、ジグも同席させて。

 結果、

「最後まですべて目を通し、不明瞭な部分は確認を取って、書かれていることに納得をしてから署名した。あの段階でリュウは、ちゃんと契約というものの意味を知っていて、そして内容を理解することができていた。それは、いつかそれが必要となった時のためにと、あらかじめ教えられていたからじゃないのか」

 世間知らずの獣人種がもっとも陥りやすい罠のひとつに、明らかに不当な内容が記された契約書を読みもせず、あるいは読解力それ自体を持たず、促されるまま適当なサインをした挙句にすべてを搾り取られるというものがある。いくら後から理不尽を訴えても、合意の上だったという公式文書が残っているのだから、手の打ちようもない。

 そんな流れで破滅していく獣人種達は、それこそ日々数え切れないほどに存在している。

 しかしリュウには、最初からそれを回避するだけの判断力が備わっていた。

 たとえ教育を受けたという、事実それ自体は記憶から失われていたとしても。それでも知識という形で彼の奥底に根を下ろしていた、一人で生きていくための、教養。

 そんなものを与えることができた人物は、ごくごく限られているだろう。


「『手に負えない、迷惑なプレゼント』か……」


 あの晩リュウが、そしてアンヌの相談を受けた日のシルバーが、口にした言い回し。それを黒豹のルイーザが繰り返す。


 それはどこまでも重く、そして苦い響きを含んだ表現で ――

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