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鵺の集う街で  作者: 神崎真
鵺の集う街で
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第二章 新しい家主

 翌日、【Katze】の店内は、勇気のある一部のキメラ達によって、席の半ばが埋められていた。

 いつもであれば、騒がしいほどに笑い声や食器のぶつかる音で満ちている店内だったが、今日もまた昨日と同じように ―― いや、あるいはそれ以上の緊張感が漂い、誰もが息を潜めるようにして玄関ホールへと続く扉の方を窺っている。

 やがて。

 事前に知らされていた時間ぴったりに、表通りと玄関ホールの間にある自動ドアの作動する音がした。いっせいにぴくりと、キメラ達の長い耳が反応して揺れる。

 しばしの間を置いて、店の扉が引き開けられた。ドアの上部に付いているベルが、からんころんと場の雰囲気にそぐわない、のどかな音色を響かせる。

 あからさまに顔を向けないように、それでいて全神経を、みながいっせいに集中させた。その矛先が向かう先にいたのは、確かにこの街ではめったに見かけることのない、人間(ヒューマン)だ。

 実は獣人種(キメラ)と人間のあいだに、外見的な差異はそれほど存在していない。キメラの方が耳が細長く尖っていることと、白目に対して虹彩のバランスが大きめなこと。あとは組み込まれた遺伝子の種族によって、瞳孔の形がいくぶん特徴的な者もいたり、あるいは髪や目の色彩が比較的バリエーション豊かなことぐらいだろうか。

 しかし、全身を包む雰囲気が、両者は決定的に異なっていた。それは違和感とでも表現するしか説明のしようがない。たとえ耳を隠し、後ろ姿しか見えておらずとも、人間と獣人種を見違える者はまずいなかった。

 あるいはそれこそが、遺伝子の段階から刷り込まれた、両者は似て非なる存在であるという、(くつがえ)しようのない認識かもしれず ――


「…………」


 店内に一歩を踏み入れたその人物は、いったん足を止めた。閉まる扉を背に、ゆっくりとあたりへ視線を巡らせている。

 まだ若い、女性だった。おそらく二十代の半ば頃か。癖のないストレートの黒髪を腰のあたりまで伸ばしており、切れ長の瞳も同じ色をたたえている。肌はうっすら黄がかった象牙色だ。旧世界で東洋系と区分されていた人種だろう。女性にしては背が高く、すらりとした体型をしている。身につけているのは藍色のスーツだった。男物のようだがネクタイは絞めておらず、マオカラーの光沢のあるブラウスを合わせている。

 店内を観察していた視線が、右手にあるカウンターキッチンへと向けられた。漆黒の瞳がまっすぐに内部に立つリュウを射抜いてきたが、彼は反射的に目を伏せ、極力その気配を殺す。

 うつむいた姿をしばらく眺めていた彼女は、何も言わず視線を外した。

 きゅっ、と。

 ゴムの擦れる音がタイル貼りの床を鳴らす。

 彼女は右腕に杖を装着していた。支えとなるU字型のカフを、前腕にはめる種類のものだ。前に出した杖に体重をかけるようにして、左足を引きずりながら一歩進む。そして右足を揃えると、再び杖を前につく。

 静まり返った店内に、杖が床に当たる音がやけに大きく響いた。

 予想していなかったその姿に、女将は呆然としてしまい、我に返るのに時間がかかった。気が付いた時には既に、彼女は表通りから見て一番奥の、カウンターに最も近いテーブルまで辿り着いている。

「し、失礼しました! どうぞ、お掛けになって下さい」

 慌てて椅子の背もたれを引いて、アウレッタは席をすすめた。女性は無言で頷くと、腰を下ろす。

 そうしてアウレッタを見上げた顔には、まったく表情らしきものが浮かんでいなかった。

 磨いた黒曜石を思わせる両目が、ただただ無感動に女将の姿を映している。その瞳に射すくめられるような心地がして、アウレッタは両手で前掛けを握りしめた。そうして立ち尽くしているのをじっと見つめていた彼女は、ややあってから左手を持ち上げた。手のひらを上にして、二人がけのテーブルの向かい側へと向ける。

「…………?」

 意図が掴めず首を傾げたアウレッタに向けて、口を開く。

「……座らないのか」

 やはり感情の見えない声は、低いアルトだった。平坦ではあるが落ち着いた、どこか凛とした風格を感じさせる声音だ。

 いったい何を言われたのか、一瞬判らなくて。アウレッタは数度目をまたたかせた。それから意味を理解して、思い切り首を左右に振る。

「い、いえ……そんな……ッ」

 人間の、それも家主(オーナー)を相手に同じ席につくような真似など、できるはずがなかった。目眩を起こしそうな勢いで否定するアウレッタの反応に、新しいオーナーは促す手をテーブルへと下ろす。

 どっと冷や汗が吹き出すのを感じて、アウレッタは小さく息を吐いた。そんな彼女へと、再び声がかけられる。

「アウレッタ=シュシュ?」

「は、はい!」

「このビルの、実務を管理する人物という認識で、間違いないか」

「 ―― はい」

 もともとはアウレッタの亡き夫が任せられていた管理人の仕事だが、生来面倒見が良い性分であり、また夫が店の方に多く手を取られていたこともあって、以前から彼女がかなりの部分を引き受けていた。おかげで先年夫が死んだ時も、さほど混乱なく、ごく自然にその職務を継いだのだ。力仕事が必要な場合などは困ることもあったが、最近ではリュウがそのあたりを担当してくれるおかげで、ほぼ問題なく諸事こなせている。

 はっきりと返された肯定に、はたして満足したのかどうなのか。

 新オーナーは、小さくひとつうなずいた。

「……昨日(さくじつ)も名乗ったが、私はセルヴィエラ=アシュレイダ。このビルを購入した、新しい持ち主になる」

「セ、セルヴィ……」

 難解なその発音は、一二度聞いただけでははっきりと覚えられなかった。しかし聞き返すのも失礼に当たると焦るアウレッタへ、彼女は無表情のまま淡々と続ける。

「仕事上ではシルバー・アッシュと名乗っている。シルバーで良い」

「シルバー、さま?」

 おそるおそる口にする。ファーストネーム……というより、略称を使うことに困惑するが、本人がそう呼べと言うのだから従う他ない。実際、本名よりも格段に覚えやすいことは確かだ。

 アウレッタの戸惑いを気にかける素振りもなく、彼女 ―― シルバーは必要事項を確認していく。

「家賃の振込と維持管理費の引き落としについては、後ほどそちらに新しい口座番号をメールする。何かあった際の連絡先も、そちらに記載しておこう」

「は、はい」

「家賃の価格は当面、変更する予定はない。ただ管理費については、どのように使用されているのか、詳しく把握したい。月ごとに細目を報告してくれ」

 これまでの持ち主はかなりずさんで、維持管理にほとんど予算を回さない代わり、用途についても細かく詮索してはこなかった。こちらから連絡を取ると嫌がられることもあり、そのあたりはなあなあで済ましていた部分がある。

 いやもちろん、けして後ろめたい点などなく、不必要な出費や用途外への流用も一度たりとてした覚えはなかったが、それをこの新しい家主が信じてくれるとは限らない。

「……承知いたしました」

「管理用のシステムプログラムは、こちらで新たなものを用意する。家賃収入や住人の出入りも、一括して統合管理できるようにしよう」

 それからも何点か、確認と打ち合わせを続けてゆく。

 シルバーの態度は終始変わらず、その表情や口調も愛想や女性らしさを感じさせない横柄なもので一貫されていた。しかし現在の居住者の立ち退きも家賃の値上げもしないと本人の口から断言されて、周囲で耳をそばだたせていた一同は、ほっと胸を撫で下ろす。

 やがて、ひと通りのやりとりが終わると、彼女は仰向いて天井に貼られたパネルを見上げた。

「資料によれば、七階がペントハウスになっているそうだな」

「ええ。一番上は、まとめてひとつの部屋になっております」

 このビルで言うペントハウスとは、一般的にそう呼ばれる屋上に作られた独立した建造物ではなく、最上階にある他の階層よりも上質な造りの部屋のことを指している。

 もともとホテルとして使用されていたこのビルは、一階に旧食堂をそのまま流用したこのカフェレストランと玄関ホールがあり、二階から四階に1LDKの部屋が四室ずつ、五階と六階に2LDKが三室ずつあり、最上階である七階はワンフロアがまるごとひとつの続き部屋になっていた。設備もキメラ居住区にしては比較的整っていて、ちゃんとエレベーターが設置されているし、高速ネットワークの回線が全室に通っている。……もっともネットワーク回線に関しては、活用している住人などまずいなかったが。

 現在のところ、部屋は三分の二程度が埋まっている。もともとの造りがしっかりしていたおかげで、築二十年を超えている割には住みやすいし、家賃もそこそこ。一階の店を利用すれば自炊の手間も省けるとあって、それなりに人気のある物件なのだ。

 とは言えさすがに、空間の無駄遣いとも言えるペントハウスに入居するような酔狂な住人など、そうそういるはずもなく。

「……あそこは今、誰も住んではおりませんが」

 アウレッタが言いにくそうに告げると、あっさりうなずきが返された。

「判っている。中を見られるか」

「は?」

 間の抜けた声で聞き返してしまうが、シルバーは相変わらず動じることなく、言いたいことを続ける。

「条件に合うようなら、私が使おうと思っている。内部を確認したい」

 その発言に、それまでひそかに推移をうかがっていた全員が、思わず身体ごと振り返っていた。

「ここに住まれるおつもりなんですか!?」

 アウレッタの叫びは、皆の心境を代表していた。

 驚愕に声を失っている一同の中で、シルバーだけがまったく表情を変えていない。

「何か問題があるのか」

「い、いえ、それは……その……」

 問題があるのはペントハウスではない。他でもない人間(ヒューマン)が、この街に足を踏み入れるだけでも珍しいというのに、わざわざ居住しようという、その行為自体が大問題なのだ。考えられないことだと言っても良い。

 このキメラ居住区は、人間達に爪弾きにされた獣人種が、身を寄せ合うように集まり形成した街だ。ここでならば、キメラであっても人間に脅かされることなく、肩の力を抜いて暮らすことができる、貴重な居場所。確かに治安が良いとはお世辞にも言えないし、キメラ同士での諍いだって頻繁に起きている。それでもここには、仲間達と暮らしているという確かな安心感があった。獣人種という、大きなくくりでの仲間意識が、この街の住人達を強く結びつけているのだ。

 そんな場所に、人間がどうして、しかもたった一人で居を移そうというのか。

 正直を言って迷惑だ。そんな異分子が紛れ込んできた日には、いったいどんなトラブルを引き起こすか知れたものではない。ましてや同じ建物で日々気を遣いながら顔を合わせるなど、考えたくもない生活になるだろう。

 しかし人間の、しかも家主の要望に、逆らうなど許されない。

 唇を噛んで視線を落とすアウレッタへと、シルバーは問いかける。

「手が()くのはいつ頃になる」

「……は、はい。あの、今すぐに」

 のろのろと手を動かし、髪を包んでいるバンダナと前掛けを外そうとする。

 しかしシルバーは手を上げてそれを止めた。

「別に急ぐ必要はない。これだけ客がいるのなら、忙しいだろう。時間ができてからで良い」

「え、しかし……」

 当惑するアウレッタに、かぶりを振ってみせる。

「かまわん。それより、私にも何か飲むものをくれ。コーヒーを」

 と、そこで一度言葉を切って、少し考えるように沈黙する。

「 ―― いや、カフェオレがいい」

「しょ、少々お待ちください」

 頭を下げると、アウレッタはテーブルを離れてカウンターへと向かった。カウンター内では話を聞いていたリュウが、既に自動調理器を操作しながらカップの準備を始めている。



 必要な会話を終えたシルバーは、手のひらほどの大きさの携帯通信端末を取り出し、何やら操作していた。周囲の状況を気にかけることもなく、ひたすら黙々と画面を見つめている。テーブルにカップが置かれた際も、ちらりと一瞬目を向けただけで、湯気が薄くなるまで手を伸ばさなかった。

 そうして彼女は三十分ほど時間を潰したのち、ひと通りの注文をさばき終えたアウレッタとともに、店を出て玄関ホールにあるエレベーターへと乗り込んでいったのである。

 二人の姿が見えなくなると、店内にいた面々はようやく緊張を解いて、それぞれに言葉を交わし始めた。

 立ち退きや家賃の値上げがなかったことを、喜ぶ声が多い。が、やがてじょじょにその内容は、新たな家主から受けた印象へと移ってゆく。

 人間といっしょに住むなど冗談じゃないといった率直な意見やら、やはり人間は根拠もなく態度が偉そうだ、話し相手以外には目もくれないし、まともな受け答えもしないしといった具合に、否定的な感想が多い。日頃から人間と同じ職場で働き、一方的な差別を受けては鬱憤を溜めている者など特に、ここぞとばかりに気に食わない部分を挙げつらねている。

 テーブルに残されたカップを下げるべくカウンターから出たリュウは、空になって底を見せているカップを黙って見下ろした。

 この店で出しているコーヒーは、ミルクも含めてすべて合成品だ。女将の伝手でそこそこ良いものを仕入れていて、この界隈ではかなり上等な部類に入っている。しかし人間(ヒューマン)が普段飲んでいるそれに比べれば、何段階も味が落ちるはずだった。

 アウレッタの手でおずおずと供されたそれを、彼女は何も言わず普通に飲んだ。

 味のまずさも、獣人達と同じものを飲食することへの忌避も、そして洗ってあるとはいえ使いまわされた食器に口をつける嫌悪も、あの女性はまったく表に出さなかった。

 それに ―― あの程度の態度など、リュウが知る人間達のそれに比べれば、偉そうだなどとはまったく呼べない代物である。人間が、本当に傲慢と表現できる態度をとった時、どれほど筆舌に尽くしがたい行動に出るものか、リュウは骨身に沁みて思い知っていた。

 言葉遣いこそ確かに高姿勢だったが、あの新オーナーが通達した内容に、理不尽と呼べるものは何ひとつとして存在しなかった。

「…………」

 それでも彼女は人間で、いつ何をきっかけにして態度を豹変させるか判らない。

 カップを取り上げカウンターに戻るその背後では、客達の会話がシルバーのついていた杖に及んできている。

 人間であれば、病気や怪我をしてもまっとうな治療が受けられるはずだ。ましてこのビルをまるごと購入できるほどの資金力を持っているのであれば、生身と比べても遜色のない機械義肢を誂えることだって可能だろう。それなのに何故、あんな歩き難そうな杖など使っているのか。扱いには慣れているようだから、捻挫といった一過性の負傷には見えないのだが、と。

 話題がだんだん好奇に寄った方向に変わってきている。これではもう、本人の耳に入った場合にどうなるか知れない、無責任な噂話の域だ。その恐ろしさを理解していない彼らは、やはりこの街の ―― 建前上であれ、キメラに対して寛容な法を定めたレンブルグの ―― 住人なのだろう。人間(ヒューマン)の、本当の恐ろしさを判っていない。

 ……第一印象ではそうと見えない年若い女こそが、いったんその怒りに触れた時、もっとも残酷な真似をしてのけるというのに。

 そんなふうに思いながらも、リュウは口に出して忠告など試みはしない。

 今まで己がどんな目に遭ってきたのか。何をされてきたのか。言葉にしようと考えるだけでおぞましい。

 だからこそ彼は、ただただ口を閉ざし、心を閉ざし、己の職務 ―― 今の場合は皿洗いと料理 ―― を遂行し続けたのである。

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