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鵺の集う街で  作者: 神崎真
鵺の集う街でIII ―― Too much of a good thing.
36/95

第一章 疑問と相談

 その日、いつもの席で遅めの昼食を摂っていたシルバーに話しかけたのは、ずいぶんと珍しい人物であった。

 薄い茶色の髪を首の後ろで束ねたその姿は、地味な色合いの服装や化粧気のなさも相まって、ひどく質素な印象を見る者に与える。年頃はシルバーと同年代か、あるいはいくつか上のはずだ。しかしすっかり腰が引けてしまっているため、どう見ても目下といった立ち位置になっている。そんな女性だ。


「…………」


 決死の覚悟で声をかけたと思しき相手を、黒髪の人間(ヒューマン)女性は携帯端末の画面から顔を上げ、見つめ返した。漆黒の双眸が、逸らされることなくまっすぐ向けられる。

 どこまでも透明な、その眼差し。


「……アンヌ=テナー?」


 低いアルトが、そう名を形作った。

 なにかしらの確認をとりたい時など、そんなふうにフルネームで呼びかけるのが、彼女の流儀らしい。特にあまり馴染みのない人物に対しては、最初にまず、そうやって呼ぶ場合が多かった。

 それはまるで、自分の脳内にある知識(データ)と、現実とを擦り合わせているかのようで。

「は、はいっ」

 今もシルバーは、慌てて返事をした相手 ―― ルディの叔母である、小馬(ポニー)種のキメラを見て、小さくひとつうなずいていた。

 そうして、無言で向かいの席を指し示す。

「え……、あの……」

 戸惑うアンヌへと周囲の席にいる客達が、身振り手振りで何かしきりに伝えようとしていた。しかしさほど交流のない、しかも人間(ヒューマン)に対して自分から話しかけるという行為で一杯一杯になっているアンヌは、その意味するところを理解できず。ますます頭の中が真っ白になっているようだ。

 やがて何も言えずにうつむいてしまった彼女だったが、ふと側近くに寄り添う体温を感じ、顔を上げる。

「ほら、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」

 肩を抱くようにしてそう言ってきたのは、この店の女将である鯖猫のアウレッタだった。

 恰幅の良い彼女は、その太い腕でアンヌの背を優しく叩く。

「シルバーさんは、椅子に腰掛けて楽にしなって言ってるんだよ。ね、そうだろ?」

 言葉の後半は、座ったままの人間女性へと向けられている。え、とそちらへ視線を向けると、小さくだがはっきりとしたうなずきが返された。

「ほら、遠慮しなくていい。ルディも、いつもそこに座ってるんだから」

 優しいが有無を言わさぬ手つきで、アンヌは向かいの空席へと腰を下ろさせられてしまった。シルバーと真正面から相対する形になり、とっさに助けを求めて周囲を見わたす。しかし返ってくるのは、どれも力づけるような笑顔や、親指を立てたり片目を閉じる仕草ばかりだ。

 うろたえている彼女をよそに、シルバーは手にしていた携帯端末を、テーブルへ置いた。ことりという小さな音に、アンヌははっとして視線を向かいへと戻す。

「……なにか、用事があるのだろう」

 問いかけてくるその声には、まったくと言っていいほど抑揚がない。ごく素っ気ないものだ。

 細い首が、ほんの少しかたむけられる。癖のない長い黒髪が、さらりと肩からこぼれ落ちた。


 ―― あのね、そんでね。


 ふと、アンヌの脳裏に、いつも楽しそうに日々の様子を報告する甥の声がよぎる。


 ―― ぱっと見にはわかりにくいけど、でも慣れるとかんたんなんだよ。こうやって首を曲げてる時は、なんだろう? ってふしぎに思ってる時なんだ!


 ずいぶんと大袈裟な身振り手振りで真似をしていた、その仕草が目の前の姿に重なった。


 ―― シルバーは、ほかの大人みたいにウソでからかったり、いいかげんなこと言ったりしないんだ。ダメなことはちゃんとダメって言うけど、いいって言ったことはホントにいいんだよ。そんなわけないだろうとかって、あとで怒ったりなんて、絶対しないんだ。


 笑顔でそうはしゃぐ甥は、この数ヶ月でずいぶんと明るくなった。

 以前から元気な子ではあったけれど、それでも時おり寂しそうな顔をすることがあった。それはいつも仕事で忙しく、充分そばにいてやれない自分のせいだと、心苦しく思っていたのだけれど。しかし女の細腕で子供一人を育てるのには、どうしても先立つものが必要で。昼も夜も働きに出るために、幼い甥を顔見知りがほとんどとはいえ、他人の大人ばかりがいる店へと預ける形になっているのは、アンヌにとって大きな引け目だった。

 そんな甥が、よりにもよって新しい家主(オーナー) ―― しかも人間(ヒューマン)に対して図々しい態度でまとわりついていると聞いた時には、思わず気が遠くなりかけたものだが。


「あ、あの……」


 大きく息を吸って、太ももの上で拳を握る。

 懸命に言葉を紡ぎ出そうとするアンヌを、シルバーは()かすでもなく黙って見つめていた。その目に苛立ちの色が存在しないことに力を得て、アンヌはどうにか言葉を絞り出す。


「ルディの……甥の、ことで。相談、したい……というか。お訊きしたいことが、あるんです」


 とぎれとぎれにだが、どうにか言い切ったところで、上目遣いに相手の反応をうかがった。

 と ――

 相手は表情を変えないまま、ただゆっくりと一度、まばたきをしていた。

 人間種独特の、白目の割合いの多い黒瞳(こくどう)が、静かに動いてアンヌを見返す。


「……ルディに、なにか問題が生じたのか」


 穏やかな口調は、先程までとまるで変わらないのに。

 なのに何故か、背筋にひやりとするものを感じて。アンヌは思わず息を詰まらせた。一度は落ち着きかけていた鼓動が、早鐘のように打ち始める。


「あ ―― 」


 全身を強張らせるアンヌの視界を、急に何かが遮った。


「そんな言い方では、誤解されてしまいますよ」


 男性の、柔らかい声が発せられる。

 食器が触れ合うカチャカチャという音とともに、漂ってくるのはふくよかなコーヒーの香り。


「 ―― サーラ」


 真綿で優しく包み込むような。

 壊れやすい何かを、そっと大切に両の手のひらへと乗せるかのような。

 そんな印象を感じさせる、呼びかけ。


 視界を塞いでいた何か ―― 白いシャツの袖が引かれると、まっすぐにこちらを見据えていた黒い両目は、斜め上へとその向きを変えていた。そちらには、苦笑いを浮かべた銀狼の青年 ―― リュウが立っている。テーブルの上には、運ばれてきたばかりの、湯気を上げるカップが二つ。


「ルディを心配しているのなら、きちんとそう言わないと。それでは彼女を責めているようにしか聞こえません」


 リュウの指摘を受けて、シルバーは再び睫毛を上下させる。

 それから、先程までとは逆の方向に首を傾けた。


「……そうなのか?」

「はい」

「なるほど……そうか」


 何かを納得したように、一度うなずく。

 そうして改めて、アンヌの方へと向き直ってきた。わずかに上体を乗り出すようにして、ひたりと見つめてくる。その顔つきは、変わらぬ無表情のままであったけれど。


「 ―― ルディは、私の、友人だ。なにかあったのならば、できる限りの力を貸したいと思っている。私で判ることならば、なんでも訊いてくれ。判らなければ、調べられるだけ調べる」


 できる限り、とか。判ることならば、とか。あるいは調べられるだけ、とか。

 それはひどく、抜け道の多い言いまわしであった。

 しかし ―― だからこそアンヌは、甥が評していた彼女の人となりを、改めて納得できた気がした。

 嘘を言わない。

 いい加減なことも言わない。

 できないことはできないのだと、最初からそう断ったその上で、できる限りのことをしてくれる。

 そんな人柄だというのが、感覚的にすとんと腑に落ちたのだ。

 そうと理解できた瞬間、身体に入っていた力が急速に抜けてゆく。

 緊張がほどけて、反動のように口元が緩んだ。


「……すみません。こちらこそ、誤解されるような言い方をしてしまって。別に、悪いことが起きた訳ではないんです」


 むしろ良いことをしてやりたいと思って、うかがったんです。

 そんなふうに言うと、数度まばたきを繰り返して、動きが止まる。


 ―― あれはね、きょとんってなってるんだよ。


 脳内のルディが、笑顔でそう解説した。



§   §   §



「誕生プレゼント?」

 いぶかしげに繰り返すシルバーへと、アンヌは大真面目な表情でうなずいた。

「ルディは姉夫婦の間に生まれた第三世代なので、ちゃんと誕生日があります。それがもうすぐなんですが……学校で人間(ヒューマン)のクラスメート達に、バースデイのお祝いをしてもらったという話を聞かされたそうで」

 獣人種の間に生まれる子供は絶対数が少なく、また親にも経済的な余裕のない場合が多い。そのため誕生日を祝うという習慣はほとんど広まっていなかった。そもそも未だ多くを占める工場生産の第一世代にとって、生まれた日 ―― すなわち製造年月日など、ただ年齢を数える区切りという意味合いしかない。

 アンヌは両親を持つ第二世代ではあったが、そういった価値観を持つ第一世代に囲まれて育ったうえ、やはり金銭的な問題もあり、これまで誕生日に特別何かをするという発想など思いつきすらしていなかった。

 しかしルディは、このレンブルグにキメラの人権を認める法律が施行されたのちに生まれ、そして育ってきた第三世代である。生まれながらに教育を受ける権利を持っており、物心ついてまもなく人間達と同じ学校へ通うようになった。もちろん、同じ学校に通っているからといって、人間の子供と親しくなった訳ではない。そのあたりはまだ根強い差別が残っており、子供だからとはいえ ―― いや、むしろ上辺を繕うことを知らぬ子供相手だからこそいっそうに ―― あからさまな排斥を受けているらしい。

 同じ教室内で交わされる会話は、鋭敏な聴覚を持つ耳に、はっきりと届く。その中には、これ見よがしに語られる自慢話もあるのだろう。

「聡い子ですし、優しい子でもあります。わたし達はキメラだから、そういうものとは無縁なのだと、察しているようで。でも……黙ってあきらめているのを見たら……少しでも何かしてやりたいって、思ったんです」

 どうして誕生日を祝ってくれないのか。はっきりとそう問われたなら、困っただろう。プレゼントが欲しいとねだられたなら、我が侭を言わないでとたしなめたかもしれない。

 けれど……あの年頃の子供に気を遣わせて、我慢させているのだと気が付いたら……一年に一度の『特別』だというその日にぐらい、屈託なく喜ばせてやりたいと思ったのだ。

 ただ、それにはひとつ問題があった。

「ですから、その……誕生日のお祝いって、いったいどういうことをするものなのか、教えていただきたいんです」

 アンヌも、そして彼女の友人知人である他のキメラ達も、誕生日を祝いあった経験など一度もなかった。故に、ルディが友人から聞かされた『お誕生日会バースデイ・パーティー』や『誕生プレゼント』といった代物を、どんなふうに用意すればいいのか。想像すらできずに行き詰まってしまったのである。

 娯楽番組などで、そういった光景を目にしたことはあるような気もする。しかしなんとなくといった雰囲気程度ならばともかく、具体的な ―― たとえば誰を呼ぶのかとか、プレゼントとして買い与えるものの予算はどれぐらいを考えれば良いのかといったあたりが、さっぱり見当もつかない。

 さりとてこんな質問を馬鹿にせず、真面目に答えてくれそうな人間(ヒューマン)なんて……と。そう考えたところで思い出したのが、この、おそらくは現在キメラ居住区で暮らしている唯一の人間であろう、家主の存在だったのだ。


「オーナーさんは、今までどんなプレゼントをもらってきたんですか。どんなものをもらった時が、嬉しかったですか?」


 アンヌの問いかけに、シルバーは沈黙した。テーブルに落とされたその視線は、どこか遠くへ焦点を結んでいる。おそらく過去の記憶をたどっているのだろう。

 かなり長い時間が経過したのち、ようやく彼女は口を開いた。


「…………ない」

「え?」

「もらって、嬉しかったものは、ない」


 うっすらとだが、眉間にシワが寄っている。彼女にしては珍しく、不快さを(おもて)に出した表情だった。

 持ち上げられた右手の人差し指が、薄い唇をなぞってゆく。

「そもそも互いの誕生パーティーで押しつけあうものは、みなプレゼントとは名ばかりの賄賂だったからな。もしくはいかに稀少な、周囲を驚かせる品を用意できたかをひけらかす、一種競争の場でもあった。下手な相手から下手なものを受け取っては面倒なことになるから、私は自分の意志で裁量するようになって以降、品目に関わりなくすべてを固辞していた。……親が管理していた頃については知らん。誰が何を持ってきたのかも、それがどうなったのかも、私の関与するところではなかった」

「え……っと……、それは、その……」

 予想だにしていなかった答えに、アンヌはどう返せば良いのかと迷う。

「い、一個もなかったんです、か。嬉しかったもの」

「むしろ迷惑な品ばかりだったな。装飾品や衣服などはまだ、身につける側の趣味嗜好をいっさい考慮していない、ただ金銭的な価値が高いものという範疇で収まっていたが。しかし巨大な絵画だの彫刻だの、車両だの不動産だのといったあたりは、置き場や管理の手間を考えろと」

「は、はあ」

 その内容が、人間(ヒューマン)の中でさえ一般的なそれと大幅に異なっていることぐらいは、さすがのアンヌでも理解できた。なんというかこれは、相談する相手を完全に間違えたのかもしれない。

 内心で冷や汗をかきつつ、どうにか相槌を打つ。

 それに気づいているのかどうなのか。シルバーは苦々しく息を吐く。

「特にやっかいなのは、生き物だった」

「生き物、ですか?」

 確かルディの話の中には、可愛い仔猫を買ってもらったとはしゃぐ、女子生徒の存在があったと思ったのだが。

「生き物を飼うというのは、その生命に対して責任を負うということだ。それなのに、愛情はおろか充分な知識も覚悟も飼育環境も整えていない相手に、事前の同意すら得ぬまま一方的に生あるものを押しつけるなど、受け取らされる側も、贈られた生き物の方も、迷惑極まりないだろう」

 確かに、シルバーの生活スタイルでは犬の散歩になどとても連れていけないであろうし、精密機器を扱っているところへ猫などが出入りするのも困るはずだ。さりとて小鳥を愛でる趣味があるとも思えないし、その世話だとて相応に手間を取られるか。確かにそれは迷惑かもしれない。

「まったく、黒い獅子だの、白銀の一角獣(ユニコーン)だの、双頭の大蛇だの……そんなに自慢したいのならば、自分で面倒を見ろという話だ」

 ……愛玩動物(ペット)などというレベルではなかった。

 もはやうなずきさえ返せなくなったアンヌの前で、ふとシルバーが何かに気づいたように表情を変える。

「……そういえば……一度だけ、受け取ったな」

 その目が動き ―― ほんの一瞬、カウンターの方を見やる。反射的にその視線を追ったアンヌは、いつもと変わらぬ様子で洗い物をしているリュウの姿を見て、首をかしげる。

「リュウさんが、何かプレゼントしてくれたんですか」

「ああ、いや」

 失言だと思ったのか、シルバーは小さく咳払いしてうつむく。

「 ―― とにかく、だ」

 仕切り直すように言葉を繋いだ。

「すまんが、私の知識では役に立てんようだ。もう少し普遍的な祝い方について、こちらでも調べてみる」

 どうやら彼女自身も、己の過去が世間的なそれから逸脱しているものだと、理解はしているようだ。

「義務教育期間中の子供を対象とした、身内間で行われる一般的な誕生祝い、という定義で合っているだろうか」

「あ、はい。そうです。それでお願いします」

 表現こそ堅苦しかったが、危惧していたよりも当初想定に近い条件に絞り込んでもらえて、アンヌは思わず何度も強くうなずいてしまった。

「始末に困るプレゼントというのは、本当に厄介だからな。ルディを、困らせたくは、ない」

 落とされた呟きは、いつもと変わらぬ淡々としたものであったが。

 しかしその言葉が、心の底から発せられたどこまでも真摯なそれであるのだと。

 聞いていた客達はみな、何故かごく自然に受け入れていたのだった。

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