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鵺の集う街で  作者: 神崎真
鵺の集う街で
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第一章 白い空の下

 かつての人類は、人口の増加とそれに伴うエネルギー及び資源の枯渇に悩まされていたという。

 地球上のあらゆる場所を開発し、それでも望むだけのものを得られなかった人々は、やがて宇宙へとそれを求めた。衛星軌道上に宇宙ステーションを打ち上げ、あるいは月や火星に新たな居住区や採掘場などを建設する計画を立案、実行する。

 ……しかしそれらの試みは、ことごとくが失敗した。

 大規模な事故が連続し、巻き込まれて主要な都市がいくつも消滅した。時には大陸が丸ごと焦土と化し、あるいは海に沈み、さらに勃発した世界大戦が厄災に拍車をかける。立て続けに起きた大変動で、土地と水と大気が汚染され、結果として人間を含む多くの生き物が命を落としていった。

 ……人口が激減したことで、根本的な問題が解決されたのは、ある意味皮肉とも言えるだろう。

 大変動から数百年が過ぎ、今では激変した環境もひとまずの落ち着きを見せていた。現在、残された大陸はひとつだけで、それも以前とは大きく形を変えているらしい。しかし大変動以前の情報は一般にはほとんど広まっておらず、人々は各地に点在する地方都市で、過去を忘れ現在の日々をそれぞれに生きていた。

 獣人種 ―― キメラを生み出す技術自体は、大変動以前に開発されたものだという。動物の遺伝子を合成細胞に組み込み人工子宮で培養した彼らは、上流階級の富裕層の間で、愛玩用として持てはやされていたらしい。

 遺伝子段階で手を加え、美しい外見と従順な気質を与えられた、賢く愛らしい従属物(ペット)。それは資源が限られた旧世界で、ごく一部の特権階級だけが持つことのできる、贅沢を象徴したステイタスだった。

 しかし大変動を経て人の数が減りすぎた新世界で、彼らの存在は別の意味を持った。

 持ち主の意向にそって設計、製造される完全受注制ではなく、既に存在する遺伝子パターンを組み合わせ、目的に合わせて規格化。クローン技術を応用した促成培養で安価な大量生産を可能にする。そうすることでキメラ達は、少なくなった人間の代わりに労働力を提供する、いわば使い捨ての家畜として位置づけられたのだ。

 建築現場や開拓地など劣悪な環境での作業といった、過酷で危険な仕事に従事し、人間の命令には絶対服従を義務付けられた、人間以下の存在。それがキメラに課せられた存在意義であった。人々は大変動からの復興という辛く厳しい日々を、自分達よりもなお劣った存在がいる事実を支えに乗り切ったとも言える。

 そうして、現在 ――

 ある程度の安定した生活を送れるようになってようやく、人々は憐憫の情というものを思い出した。

 自分達とよく似た姿を持つ知性ある生き物を道具として扱うことに、やっと罪悪感を覚え始めたのだ。それは余裕というものを得て初めて持つことができる、あくまで上位者の目線であったかもしれない。それでも一部の人々は、キメラにも最低限の権利を認めるべきだと考え始めた。

 その度合は各地域によって異なるが、キメラを必要以上に虐待してはならないという法律を制定したり、あるいはキメラ自身に独立した人権を認めると宣言した都市もあった。一方でまたこれまで通り、彼らはあくまで人間が製造した従属物であり、その生殺与奪の権は手放すべきでないと主張する一派もある。

 大陸西部に位置するレンブルグは、キメラにも人間と同等の市民権を与えると法で定めた、新世界でも珍しい都市であった。

 元の所有者がそれを認めていること、犯罪歴がないことなどいくつかの条件は必要だったが、それでも市民権を与えられたキメラは、自由に子供を産むことができ、生まれた子供にもまた市民権が与えられる。そうして教育も仕事も、人間と同じものを許されていた。 ―― 少なくとも、表向きは。

 実際には、未だに根深い差別意識が残されている。口では綺麗な建前を並べたてても、人間の本質的な意識はそうそう変わるものではない。雇ってもらえる先は労働条件が厳しく賃金の低い職場ばかりだし、住むことができる場所も、都市の南東部にある老朽化した一角 ―― 通称キメラ居住区 ―― にほぼ限られている。

 それでもレンブルグでは、無条件の隷属を強制される訳ではなかった。どうしても耐えられない仕事は辞めることができたし、己の意思で職場以外を出歩くこともできる。そうして自分で選んだものを食べ、選んだものを着ることができた。

 他の都市では得ることのできない『キメラにとっての自由』が、ここにはあったのである。



 久しく刃を入れていない柔らかな灰色の髪を風になぶらせながら、銀狼の獣人 ―― リュウは、路地裏で空を見上げていた。

 老朽化した建物に左右を遮られて、見えるのはごく狭い限られた範囲でしかない。それも青というよりは白に近い、汚れた大気に濁った色だ。

 それでも、一人で好きな時に眺めることができるそれは、とても美しく感じられた。何よりも得難い貴重なものに思えて、いつまででも見ていたくなる。

 ひときわ強い風が、前髪を大きく揺らした。そうすると隠れていた両目があらわになる。灰色がかった青い右目。そして褐色を帯びた金色の左目。両方の目を細めて、空を見つめ続ける。

 彼は、自分がどうしてこの都市(まち)にいられるのかを知らなかった。

 無意識に動いた手が、知らず首に巻いたコックスカーフに触れる。

 彼が以前に住んでいたのは、ここよりもずっと東にある街だった。限られた一部の特権階級のみが暮らすその都市は、かの大変動以前から存在し続けているのだと、住人達は誇らしげに語っていた。自分達は世界が一度崩壊する以前から連綿と繋がる血脈を保ち、他の土地では忘れられた知識と技術を受け継いだ、特別な存在であるのだと。

 事実、かの都市とこのレンブルグとは、文明化の度合いがまったく異なっている。

 あの街はガラスと金属とコンクリートに彩られ、道は塵ひとつなく整えられていた。それでいて豊かな緑と水が点在し、清潔な衣服を着た人々が失われたはずの過去の科学技術(ロスト・テクノロジー)と現在における最先端のそれの、双方の恩恵を当たり前のように享受している。

 辛い肉体労働や下賎と見なされる仕事は、すべてキメラが担っていた。かつての旧世界のように、見目良く設計され培養された獣人達には、みな隷属の首輪が嵌められている。主人の命令にはけして逆らうことなど許されず、もし仮に首輪を持たないキメラが発見されたならば、それは主を持たない『野良』として、無条件に処分される。あそこはそんな場所だった。

 なのに現在、彼はこの街にいる。何故かは判らない。

 ある日、ふと目を覚ました時には、大怪我を負った状態でレストランを経営する女主人に保護されていたのだ。そして運び込まれた医師の元でよく検査した結果、ここ二年ほどの記憶が失くなっているとの診断が下された。

 ―― 不都合は、何も感じなかった。

 失われた二年間に興味など欠片もないし、ましてあの都市での生活に、未練などあるはずもなかった。

 残っているのは、玩具として幾度も売り買いされた記憶ばかり。

 ある金持ちの道楽で製造された彼は、近年の規格化された労働用ではない、遺伝子段階からカスタマイズを施された特注の一点物であった。左右色違いの珍しい瞳も、注文主が特にこだわり抜いた部分だと繰り返し言い聞かされた。男性的なたくましさと繊細な面立ちを兼ね備えた容貌は、好事家達の興味を大いにそそるもので。だが設計を誤ったのか、それともあえてそうしたのか。彼の気質はけして従順とは言いがたいものだった。反抗的でしばしば命令に抗う彼を、最初の飼い主は面白がり、調教と称しては暴力を振るって悦に入っていた。そうして半年もせぬうちに飽きると、似たような趣味の仲間へと売り渡した。その後も同じようなことが繰り返され、幾度も主人が変わっていった。加虐趣味の男の慰み者になったこともあれば、暇を持て余した女の優越感を擽るアクセサリーになったこともある。何人の主人を持ったかなど、もはや数える気にもならなかった。

 幸いにも、女将に拾われた際、ポケットの中にはレンブルグの市民証が入っていた。名義はリュウ=フォレスト。まったく覚えのない名前だったが、彼にとって名などというものは、持ち主が変わるたびに、好き勝手に変えられる記号でしかなかった。そしてその市民証には、確かに彼の遺伝子情報が登録されている。ならばこれは紛れもなく彼の市民証であり、そこに記されている名こそが現在の彼の名前なのだ。それさえはっきりしていれば、このキメラ居住区で暮らしていくことはできる。

 市民証に登録されていたのは名前だけで、住所は空白だった。この市民証はクレジットカードとしても使用できるらしいが、あいにくパスワードを覚えていないため、銀行口座の開設や新しい住所の登録はできなかった。しかしそれがいったい何だというのか。官憲に職務質問された際に、飼い主などいない、この都市の正式な住人だと身分を証明できる。彼 ―― リュウにとっては、それで充分すぎるほどだった。

 今のリュウは、レストランの女将 ―― 鯖模様の雑種猫のキメラ、アウレッタ=シュシュ ―― の好意で、彼女の仕事を手伝っている。先ごろ料理人だった夫を病気で亡くし、ウェイトレスも辞めてしまった彼女の店は、ちょうど人手が足りなくて困っていたのだという。そこで空いている物置部屋で寝起きさせてもらう代わりに、厨房に入ったり、ビル全体の掃除や手入れといった雑用を担当してくれれば助かると、彼女はそう言ってくれた。

 そんな生活が始まってから、そろそろ一年。不満はなにもなかった。むしろこの暮らしがこれからもずっと続いて欲しいと願っていた。

 確かに着ている衣服は、かつてよりずっと粗末かもしれない。食べ物も質素だ。だがそれがどうしたというのか。

 こうして、好きな時に好きなだけ空を見上げることができる。その自由は、何にも代えがたい。


「…………」


 しかしその暮らしも、もう終わってしまうのかもしれない。

 このビルが人手に渡ったことで、今の生活は変化を強いられるだろう。むしろこの一年間が、平穏でありすぎたといえる。これまでの人生の中で、この一年ほど穏やかに過ごせた時間はなかった。

 辛いと、心底から思う。

 しかし獣人種(キメラ)人間(ヒューマン)の勝手によって振り回されるのは、どうしようもないことなのだ。

 それでもこの街で暮らしていけるのであれば、どんなにひどくとも、かつてよりも悪い生活にはならないだろう。

 ため息をつくと、リュウは視線を手元に落とした。両手で抱えているのは、ゴミ置き場へ中身を捨てて、空になったポリバケツだ。それを持ち直すと、リュウは店の勝手口へ向かって、止めていた歩みを再開した ――



   §   §   §



 リュウが【Katze】に戻ると、そこは先程までとは異なるざわめきに満ちていた。食事を終え店を出た常連達から話を聞いたのか。さっきまではいなかった上階の住人や近所の者などが集まってきており、すべての席が埋まっている。座りきれなかった者は通路で身を寄せ合うように立っていた。

 みな不安げな表情で、カウンター脇にある開口部の方を見やっている。そこはここがホテルだった時代に大人数向けの料理を作っていたメイン厨房の入り口で、今はあまり使われていない場所だ。そのさらに奥に存在する元事務室に、都市全体との通話ができる、広域用の通話装置が設置されている。

 ひそひそと交わされる声に耳を傾けてみると、少しずつ状況が見えてきた。どうやらその通話装置に連絡が入ったらしい。キメラ居住区の外から連絡を寄こすのは、ほぼ家主(オーナー)に限られていた。ならば相手は前の家主か、新しい家主のどちらかだろう。今はアウレッタが応対しているので、みなは少しでもその会話を聞き取れないかと、懸命に耳をそばだてているという訳だ。

 しかしいくらキメラの鋭い聴覚を持ってしても、壁越しに捉えられるのはなじみ深い女将の、かすかな気配ばかり。通話装置は設定を変えない限り、盗み聞きを防止する指向性の高いスピーカーを使用しているのだから、無理もないだろう。

 しばらく経って、ようやく通話を終えたアウレッタが、厨房の奥にある扉から戻ってきた。

 そろそろ五十代の半ばを迎える恰幅の良い女店主は、どこか困惑したように眉を寄せている。いつもはバンダナで押さえている灰色に濃いグレイの筋が混じったふわふわの髪を、しきりとかき混ぜていた。

「……オ、オーナーだったのか?」

 住人の一人が、たまりかねたように質問する。全員が息を呑んで答えを待った。

「え ―― ? あ、ああ、うん」

 アウレッタは我に返ったように顔を上げると、小さくひとつ息をついた。

「ここを買った、新しい家主(オーナー)だって言ってた」

「ど、どんなヤツだった!?」

「ここをどうするつもりだって?」

「やっぱり出て行かなきゃなんないのかいっ?」

 途端に店内が騒がしくなった。みながそれぞれ好き勝手に、疑問に思うことを口に出している。

 己の定位置であるカウンター内の簡易キッチンから、リュウもまた女将の様子を見つめていた。店内の視線を一身に集めたアウレッタは、ひとまず一番重要だと思われることを伝える。

「……とりあえず、住民の立ち退きはなし。今のまま、アパートを続けてくれるそうだよ」

 その発言に、張り詰めていた緊張が一気に解けた。

 あちこちから安堵のため息が発せられ、幾人かは力が抜けたようにテーブルへと突っ伏す。

 少なくとも、最悪の事態は免れたといえるだろう。今すぐ荷物をまとめて引っ越せとか、この店も不要だから出て行けとか、そんな命令はされずにすんだようだ。

 とはいえまだ、完全に安心するのは早すぎる。家賃を上げられたり、あるいは居住にあたっての利用規約を厳しく変えられる可能性も高いのだ。そのあたりがどういった次第になりそうなのか、新しい家主と実際に言葉を交わした唯一の存在であるアウレッタに、一同の不安が殺到する。

 口々に問いをぶつけられて、アウレッタは辟易したようにかぶりを振った。

「そんないっぺんに訊かれたって、あたしが答えられる訳ないだろ!」

 バン、と手のひらでカウンターを叩く。

「詳しい話は、明日ここですることになってるんだ。それまでは何にも判らないよ!!」

 アウレッタが叫ぶように告げると、店内が静まり返った。まるで予想もしなかったことを聞いたように、全員が目を見開いている。

「ここでって……まさかオーナーが?」

人間(ヒューマン)が、この店に来るってのか!?」

 この、キメラ居住区のまっただ中に、と。

 信じられないと呟く一同へと、アウレッタはうなずいてみせる。

 以前の持ち主は、この一帯にキメラが住むようになってから、一度として近付こうとはしなかった。用事はすべて通信ですまし、どうしても必要な時は代理人を寄越したが、それは明らかに小金で雇われたと思しき態度の悪い三下であった。それでも家主の使いであり人間(ヒューマン)である以上、傍若無人で一方的なその態度にも、住人達は甘んじて従うしかなかったのだが。

 しかし新しい家主は、自身でここに足を運ぶのだという。

「いったい、何を考えてるんだ。その新しいオーナーってのは」

「ここを買ったってことは、お金持ちなんでしょう? どんな人間だったの」

 二〇三号室に住む小馬(ポニー)の獣人、アンヌに問いかけられて、アウレッタは思い出すように少し黙り込んだ。それからゆっくりと口を開く。

「……女、だったよ。まだずいぶん若くて……長い髪をしてた。話し方は、男みたいで……だいぶ偉そうではあったけど……」

 考え考え、言葉を選んでいるような女将に、常連の一人が鼻を鳴らした。

「人間が偉そうなのは、いつものことだろ」

 たとえ獣人種に人権を認めているこのレンブルグであっても、差別は未だ明白に残されている。人間は当然のようにキメラを見下し、自身の立場を上に置く。腹立たしいが、それが日常なのだ。

「いや……そういうのとは、ちょっと違う感じでさ。なんて言うんだろう……」

 アウレッタは、己が感じたものをどう表現すればいいのか、ふさわしい言葉を見つけられないでいるらしい。しかし首を傾げている彼女をよそに、店内にいた一同は、若くて金持ちの偉そうな女という要素から、どうやらいけ好かない(たぐい)の人物なのだろうと意見を一致させる。

 一連のやりとりを眺めていたリュウは、せめてその女が少しでも、キメラに無体を要求しない性格であれば良い、と。

 乾いた心でぼんやりと、そんなふうに考えていたのだった ――

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