第2話
帝国の皇太子リオレリウス・ケト・グラシア。皇太子殿下が現れたことで、言い争いをしていた両名は渋々といった風に口を閉じた。
「お前たちは相変わらずだな。だが、ここは交流の場だ。皆をお前たちに付き合わせるな。行くぞ、イオ」
「はい」
颯爽と去っていくリオレリウス皇太子。それに付き従うイオと呼ばれた青年。この場にいる全員が黙ったまま二人の背中を見送った。
その中には、ユーリも含まれている。あの水色の髪。あの会場で見た人物と同一人物のはずだが、その表情は別人のようだった。
「あの人……」
「ユーリ、あの人って……もしかしてイオリアス様のことかしら?」
「⁉」
ポツリと呟いた言葉は、隣にいたナターシャには聞こえてしまったらしい。まさか聞こえているとは思わず、ユーリは顔を赤くして首を横に振った。
「い、いえあの――」
「ユーリ」
焦るユーリに、ナターシャは両肩に手を置き、真剣な眼差しでユーリを見つめる。滅多にないナターシャの行動に、ユーリは驚き目を瞬いた。
「あの、ナターシャ様?」
「あの人だけは止めた方がいいわ。こんな可愛らしいユーリをあの男の毒牙にやられるなんて……絶対に駄目、それ以上に――」
「おい、ナターシャ」
ナターシャの名を呼ぶ声が届き、ユーリとナターシャは揃って声の方へと振り返る。そこには、先程の上級生二人を諫めた皇太子その人が立っていた。立ち去ったかに見えたが、まだ留まっていたらしい。この場にはまだ人がたくさんいる。一気に周囲の目がナターシャと皇太子を中心に注がれた。
「これは、ご無沙汰をしておりましたリオレリウス殿下」
「……わざとだろうが」
「え?」
チラリと漏らした皇太子の言葉がユーリへと届く。つまりナターシャにも聞こえている筈だ。けれどナターシャは笑みを浮かべながら指摘することはなかった。
「まぁいい。ナターシャ、今宵の交流会だがパートナーを頼む」
「承知しております」
皇太子が言う交流会とは、その言葉通り二つの学校が交流するための場。その開始初日に行われるパーティーのことだ。服装は制服であり、パートナーを伴うのが基本。学生同士ということを除けば、社交界と大して変わらない。パートナーは相手校の学生であることが望ましいが、婚約者がいる場合はその限りではない。
ナターシャの婚約者は皇太子。パートナーに誘うのは当たり前なことだ。
「それと、彼女を紹介はしてくれないのか?」
「……彼女は私の友人です。ユーリ・ファンシアム伯爵令嬢ですわ」
渋々といった形でナターシャがユーリを紹介してくれる。まさか皇太子と顔を合わせることになるとは思わなかったユーリは、緊張で頭の中が混乱している状態だ。それでも皇太子に不敬な態度を取ることはできない。
「ユーリ、この方は私の婚約者であるリオレリウス皇太子殿下です」
優しく微笑むナターシャは、緊張で冷たくなっているユーリの手に触れ包み込んでくれた。大丈夫だと、そう言われている気がして少しだけ勇気が湧いてくる。震える手で淑女教育で学んだ作法を思い出しながら、カーテシーを取る。
「ユ、ユーリ・ファンシアムと、申します」
「ファンシアム伯爵令嬢か。まさかナターシャの友人に、こんな可憐な令嬢がいるとはな」
「そうですね。私には勿体ないくらいの友人です」
「わ、私の方こそ……ナターシャ様のお傍にいられて……」
「まぁ! やっぱりユーリは可愛いですわ」
ぎゅうと抱きしめて来るナターシャに、ユーリは緊張がほぐれていくのを感じた。
「私の時とは随分と対応が違うな、ナターシャ」
「それは申し訳ございません……私は自分の気持ちに正直なものですから」
最後は小さな声で呟かれたが、近くにいる皇太子には当然聞こえている。緊張感が再び戻ってきて、ユーリは身を固くしてしまう。
「お前な……」
だが聞こえていたはずの皇太子は、呆れた様に眉を寄せるだけでそれ以上は言わなかった。どういう反応をすべきなのかわからず、ユーリに出来るのはナターシャの傍で立っていることだけだ。
「まぁいい。時にファンシアム伯爵令嬢は、交流会のパートナーは決まっているのか?」
「い、いえ……私は」
「リオレリウス殿下、彼女は――」
「ならばイオのパートナーを務めてもらえないだろうか?」
ナターシャの言葉を遮って告げられた言葉に、ユーリは一瞬何を言われたのかわからなかった。
「あの……」
「イオは婚約者がいない。相手を探すとなると少々面倒なことになる。だが、ナターシャの友人ならば問題ないからな。構わないだろう?」
ナターシャから握りしめられた手に力が入るのを感じた。それは、不本意ではあるが断ることも出来ない彼女の葛藤を示しているようで、ユーリは嬉しくなる。ナターシャがどれだけユーリを案じているのかがわかるから。自分のような伯爵令嬢と懇意にしてくれるだけでも十分なのに、彼女はユーリを友人として傍に置いてくれている。ユーリは、心を落ち着かせるように深呼吸をした。
「謹んで、お受けいたします」
「助かる。では後でイオを迎えに行かせるから頼んだ」
「承知いたしました」
声が震えないように、必死で淑女教育で覚えたことを繰り返す。ここで不手際をしてしまえば、笑われるのはナターシャだ。
「では後でな、ナターシャ」
「……はい」
今度こそ去るのだろう。背中を向けた皇太子が振り返ることはなかった。そのことにユーリは心から安堵する。
「私たちも下がりますわよ。ユーリ行きましょう」
「は、はいっ」