6:ここから北に百歩いったところに、宝物を埋めたんです
「……あっ!」
私は遠くの方に、一本の大きな木が生えているのを見つけた。
少しひょろっとした感じの、細くて長い木だった。
「ねえ、あの木、なんなのかな?」
「ワタクシたちが目指す場所ですよ」
「そうなんだ!」
二人は道からそれて、草むらの中を歩くことにした。
膝下くらいまで生えたその草は、足にちくちくと気持ちよかった。
「おじょうさん、足を切られないように気をつけてくださいね」
「大丈夫だよ。言ってたでしょ、危険なものは何もありませんって」
「おっと、失念していました」
ウサギは目を細めた。
そんなウサギを見ているのが、好きだった。危険なものは何もありません。
「どうしてあんなところに一本だけ、木が生えているのかな?」
「“目印”ですよ」
「目印?」
「はい。迷わずにそこへ辿り着けるようにって、目印にしているんだと思います」
「確かに、こんなに広いと、改札前以外に待ち合わせ場所に困っちゃうね」
「そうですね」
「でも、なんで木なんだろう?」
「どういう意味です?」
「待ち合わせ場所の目印って、別に木じゃなくても椅子とかカカシとかなんでもいい気がする」
「おじょうさん、木じゃないとダメなんですよ」
「そうなの?」
「はい、木じゃないとダメなんです」
「今日はそういう日だから?」
ウサギは無言でうなづいた。
「明日になったら、もしかしたら木じゃなくて椅子やカカシになっているかもしれませんよ」
「それはいいね。うん、もしもそうだとしたら、毎日来ちゃうよ」
「ぜひぜひ。誰も咎めることはしませんよ」
「楽しみだなぁ。椅子だったらね、木じゃないとダメ。プラスチックや金属じゃいけないと思うの。それでちょっと黒ずんでいて、背もたれの端が朽ちてるんだ。ねえ、そういう椅子がそこにあってさ、それが待ち合わせだとしたら素敵だと思わない?」
「おじょうさんらしいですね」
「カカシだったら、田んぼにあるような田舎って感じのカカシはやだな。全部藁でできているの。少し首を傾いでいて、でも手は何かを守ろうとしているかのようにびしっと横に広がっている、そんなカカシがいい!」
「おじょうさんの想像力には敵いませんね。オズの魔法使いにでもでれると思います」
「そんなことないよ、きっと」
そんな会話をしている間に、いつの間にか木のもとまで辿り着いていた。
遠くから見た時より、ずいぶんと低く見える。
葉はそれほどたくさん多くなく、まるで植木屋さんに刈ってもらった後のような、そんな寂しさを覚えた。
「ワタクシはよく、この木の下で、星を見ていました」
ウサギは木に寄りかかって、空を見上げた。
私はその場で上を見上げた。
いつの間にか星が出ていた。
月の周りは明るくてあまり見えないけれど、少し離れると、そこでは星々がゆらめいていて、綺麗だった。
私の家のベランダから見た空よりも、たくさん見える。
こんなにもたくさん星があったんだと、私は驚愕さえした。
とても、綺麗。
もしも月が無ければ、もっとたくさん見えたのだろうか。
いや、月があるからこそ、星たちも映えているのかもしれない。
何か一つが欠けていてもダメ。
私はそこに、協調という言葉を見出した。
いかんいかん、職業病かもしれない。
「おじょうさんにだけ、教えますね」
ウサギは、鼻をひくひくさせて、言った。
「ワタクシ、ここから北に百歩いったところに、宝物を埋めたんです」
「あ、この近くに埋めたんだ」
私は北であろう方向を眺めた。
草原が、続いている。
「ねえ、宝物って、いったいなんなの?」
「それは、まだ内緒です」
「どうして埋めた宝物をまた掘り出そうと思ったの? 今がそういう時期なの?」
「それも……うん、内緒です。掘り出したら、全部教えたいと思います!」
「楽しみにしてる」
ウサギは、私とはまったく逆の方向に向かって、走り出した。
「イチ、ニ、サン、シッ!」
「あ、ちょっと、ちょっと待ってよ!!」
私はくるりと反転して、ウサギの後を追った。
北だと思っていた方角は、どうやら南だったようだ。
「本当にこっちが北なの?」
「はい! 北斗七星が見えますから!!」
こういう時、理系だったら即座にこっちが北だと分かったんだろうなぁと、文系に進んだ自分をいくらか恨んだ。
あ、別にそういうのは関係ないか。
私には今、ウサギがいるから大丈夫。
こっちで間違いない。
でも。
「ちょっと早いよ! ちゃんと数えているの?!」
「大丈夫です、頭の中でしっかり数えていますから! 今ヨンジュウハチ、ヨンジュウキュッ!!」
ウサギが立ち止まった場所に着いた時には、私はすっかり息があがっていた。
一本道を歩いていた時には疲れなかったのにな。
私は肩で息をしながら、ウサギの横に並んだ。
ウサギはすでに前足でその場所を掘り返していた。
その場所だけ草はなく、土が露出していた。
ここに、間違いはなさそうだ。
「ヒャワヒャワ!」
ごそごそと、力強く土を掘り返していく、ウサギ。
そんなに固くはなさそうだが、それでも少しだけ、痛そうだった。
「もう、いきなり走って、いきなり掘りはじめるんだから……」
私はかがんで、ウサギの掘っている場所を眺めた。
土がどんどん脇へとどかされていく。
ウサギの前足は土で汚れ、黒ずみはじめていた。
「痛くないの?」
「……平気です。宝物を発掘するんですから、これくらいなんともないです」
「そっか。でも、手伝うよ」
私は鞄を地面に下ろし、野原を駆ける少女のような手つきで漁った。
確か、入っていたはずなのだ、今彼に必要な『ハンドシャベル』が。
からからと払ってゆくと、それは鞄の一番下に、うずくまるように重なっていた。
ひらりと鞄から取り出すと、シャベルは見つけない方がよかったと言いたそうに、冷たい月明かりをその先端でちらつかせた。
冷たい夜だ、と思った。
見上げた空はあまりに暗く、吸い込まれそうで、私は小さな恐怖が自分の中に降りかかるのを見た。
――違う。
私はウサギを傷つけないように、ハンドシャベルですぐ近くを掘った。
ウサギの手と私のシャベルの動きが重なりながら、茶色く湿った土をどかしていく。
サクサクという音もしない。
ただ、さざ波の音が泣いているように聞こえたのを、覚えている。
掘り出された土はみるみると丘のような山になり、穴は10cmくらいの深さになった。
一度手を休めて、もう一度空を見上げる。
月は、位置を変えずに、無言のまま私たちを見降ろしていた。
明るい影が空を、草を、木を、私を、ウサギを、冷たい土を、照らしている。
「ねえ、本当に、ここに埋めたの?」
ウサギの爪と指の間から、血のようなものが滲んでいる。
ウサギはひげを一度ひくりと動かすと、呟きたそうに口を動かし、聞こえない声で叫んでいた。
『はい。絶対、ここなんです!』
私と目を合わせることなく、泣きそうな瞳のまま、必死で必死で掘り続けた。
それが深さ15cmになり、20cmになり、私の膝くらいまで入りそうになっても、ウサギはがむしゃらに掘り続けた。
見つかるまで、絶対にやめません。
彼に声をかけたら、絶対そんな言葉が返ってくる。
目が滲んでいる。
私までなぜか潤んできて……気がついたら、ウサギを後ろから抱き上げていた。
「もう、止めようよ」
「嫌です、絶対見つけ出すんです!!」
ウサギは私の中でバタバタ暴れ、必死に掘り続けようと、もがいた。
それに負けじと抱きしめる腕に力をこめる。
必然だったのかもしれない。
今までだしたことがないくらい強い力が、確かにウサギの体温と一緒になって私の腕にこもっていた。
「お願いだから、やめて」
「ダメです、ダメなんです、ここでやめてしまったら、ダメなんです」
「でも、私はやめさせなくちゃいけない」
「どうしてですか!」
二人の格闘はしばらく続いた。
ウサギの爪があたって、私の手首や腕に細い筋が走った。
「お願いします、掘らせてください! 掘らないといけないんです、掘らないと、見つけないと……っ」
ウサギは私の腕で泣いた。
ダダをこねる子供のように、暴れて、泣いて、もがいて、泣いた。
私も一緒に泣いた。
なぜだかわからないけれど、悲しくなって泣いた。
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて。
ウサギのばたつきは止まらなかった。
おもちゃをねだる子供のように。
子供の死を目前に突きつけられた母親のように。
自分の存在価値を否定された、少年のように。
だから、私は悲しかった。
彼がここにいる理由を、消したくないと願った。
彼の目的は、『おつきさま』で埋めた宝物を見つけること。
その探し物がもしもなかったら、彼はどうしたらいんだろう。
彼がここに来たその時間や労力が無駄になるとか、そういうことじゃなくて。
そもそも彼が今こうして存在していること自体が、私は否定されているような気がしてならなくなって。
だから私は彼を止めなくちゃいけなくて。
彼を消したくなかったから、彼とまだいたいと思ったから、私は彼の宝探しを止めなくてはいけない。
消えてほしくない。
……また、あの時のように?
そんな私のことを察したのか、しばらくするとウサギはうなだれるように、ぐったりと体重を預けてきた。
無言の風が流れる。
あんなに腕を動かしたのに、先ほどまでウサギの体温が織り交って熱いくらいだと感じたはずなのに、少し冷たい。
ウサギの髭を、風は静かに揺らして消えた。
私の髪も合わせて揺れる。
無言の時が、流れ続けている。
「ねえ、一体ここに何を埋めたの?」
私はウサギの体をかえし、その沈んだ瞳を覗き込んだ。
あのウサギが、とても悲しそうな顔をしている。
諦めたようなうつろな目が、私の心臓をきゅーっと握りしめた。
見たくない。
そんなウサギを見ているのは、耐えられなかった。
でも見なくてはいけない。
私は、今彼から離れてはいけないのだ、そう思った。
「ねえ、教えてよ」
「…………」
ウサギはしばらく、唇をかみ締めていた。
「……本当に」
しかしやがて、ウサギはその重い口を、ゆっくりと動かした。
「本当に、大切なもの、だったんです。誰にも盗られないように、失くさないように、そのためにここに埋めたんです。なのに……」
ウサギの声が震えている。
私はウサギを地面におろした。
「ワタクシを置いて、どこかに消えてしまった」
ウサギはそこで一度、息を飲んだ。
とても苦しそうに、辛そうに。
そして、私の目を一途にとらえて、言った。
「ワタクシの、大切な……“オモイデ”」