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ひらり、はらり。  作者: 久遠寺蒼
3/8

3:スーパーで卵が一人三パック限定98円セールをしているから行きたいのです

挿絵(By みてみん)



 太陽が真上に来たあたりで、私たちは家を出た。

 お風呂の栓を抜いてから洗濯物を部屋の中に干して、トマトとキャベツで簡単な朝食をとった後に戸締りを確認して、お気に入りの白いワンピースとこの間買ったばかりの麦わら帽子、赤い篭バッグを持って、玄関の鍵をかけた。


「麦わら帽子、ずいぶん似合ってますね」

「あなたは褒めてばっかりね」

「いえいえとんでもない! ワタクシ、嘘がつけないんですよ。思ってることがすぐ口に出てしまうんです。不器用ですから」

「なに、それ」

 私たちは二人、並んで歩いた。

 二人の影がひこひこと目の前で左右に揺れている。

 今回の旅は四人か、と私は目を細めた。

 少し強い日差しに、私は二の腕に若干の痛みを感じた。

 日焼け止めクリームを塗っていなかったら、きっと一時間もしないうちにやけてしまうだろう。

 白い肌が、私の小さな自慢の一つだった。



「ところで、どこまで行くの?」

「はっは、もうちょっと歩いてからお話しましょう。せっかくこうやってのんびりと歩いているんですから。時間は焦ったって逃げていきませんよ」

「逃げてはいかないけれど、過ぎてはいくと思うんだけどな」

「細かいことは気にしちゃダメです」

 私が三歩あるくたびに、ウサギは五歩あるく。

 ウサギは思ったよりも歩幅が短かった。





挿絵(By みてみん)


 田舎道を少し行き、私たちは踏み切りから線路の上を歩いた。

「電車来たらどうしよっか」

「大丈夫、電車はきませんよ」

「どうして?」

「そういうものなんです、今日は。可笑しいでしょ?」

 別に笑えなかったけれど、まるでスタンド・バイ・ミーの世界にいるみたいで、面白かった。


 トラヴィスの気持ちを味わえるかもしれないと思ったけれど、ここは砂漠ではないし、私は不眠症でもなかった。

 アハハンもったいない、と思ったけれど、しかしスタンド・バイ・ミーではウサギと一緒に歩くことはないのだから、逆にこっちの方がいいかもしれないと思った。

 ウサギと歩くことができるなんて、きっと前にも後ろにも今回だけだと思う。


 ウサギはどこかかわいい。

 少し空ろな目とか、思わずさわりたくなってしまいたくなる髭とか、思わず撫でたくなる頭とか。

 ウサギは私の視線に気づいたのか、私と顔をあわせるとくいっと首を傾げた。

「どうしたんです、おじょうさん?」

「なんでもないよ。それよりもさ、そろそろ、どこに行こうとしてるのか教えてくれてもいいんじゃない?」

「おじょうさんの髪のような場所ですよ」

 ウサギはそう言って、一人、笑った。()()()()()()()()()()()()()()


 自分の髪を撫でる。

 少し毛先が痛んではいるが、それでもまだしっとりとした髪質を保っている。

 髪に首筋をはらりはらりと撫でられると、とたんに私は力が抜けそうになる。

 くすぐったいくらいに気持ちいい。

 私は自分の髪が好きだ。

 一度も染めたことのない自分の髪は、静かな風になびく。

 もう少し伸ばしたらきっとそんなこともなくなるのだろうが、セミロングあたりでとどめているのが、自分でも気に入っている。


「よく分からないよ」

「それくらい、いい場所ってことですよ」

 それくらい、いい場所。

 ウサギは私が寝ている間に私の髪を触ったのだろうか。

 少し考えて、赤面する。

 羞恥と歓喜のあいだ、なんて思ってみたりして。

 くだらないけれど、ウサギの台詞よりかは笑える言葉だと思った。


「……まあ、いいでしょう。その代わり、笑わないでくださいよ」

「別に笑う必要もないでしょ。どこにいくの? 山? 海? 川? 町役場の向かいの奥田さんの家?」

 おそらく全部違うだろう。

 ウサギと歩いているのだ、そんな人間がいきそうな場所に行こうとしているなら私は少し悲しかった。

 スーパーで卵が一人三パック限定98円セールをしているから行きたいのです、なんて言われた時には三日間くらい寝込むかもしれない。





「ワタクシ、“おつきさま”に行きたいのです」

「……おつきさまぁ?」

 期待通りな反面、あまりにメルヘンちっくすぎて、気の抜けたラムネのような声が出てしまった。

 喉にビー玉でも転がっていそうな気がする。

「“おつきさま”って、ここから遠いの?」

 ウサギは歩いていた足を止めて、空を仰いだ。

 私もそれに倣って顔を上げる。

 空では入道雲に向かって、バニラ色の飛行機雲が伸びているところだった。

 空が青い。

 コントラストが、朝に比べてさらに強くなっていた。

 町の緑が、色濃く反射している。

 少し錆びた鉄道のレールでさえ、光を放っているように見えた。





挿絵(By みてみん)


「デンシャに乗りましょう」

 ウサギは力強く頷いた。

「デンシャって、あのデンシャ?」

「はい、きっとおじょうさんが想像しているデンシャだと思います。ほら、あそこ、駅のプラットホームが見えるでしょう? あそこでデンシャを待つことにしましょう」

 ウサギが見つめた先に、なるほど、小さくて一見するとただの台にしか見えないけれど、確かにレールの傍にプラットホームがあった。

 長さは十メートルくらいだろうか、駅名の書いた看板も無ければ、待合室も改札も無かった。

 木の電柱すらもないし、そのプラットホームに向かう道すらもなかった。


「なんであんなところにプラットホームがあるんだろう?」

「ワタクシにも分かりませんが、言えるとすれば、ワタクシたちにとってそこにプラットホームがあるのは都合良いということですね」

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「なんで都合良いの?」

「そういうものだと思ってください」


 ウサギってこんなにも謎めいた生き物だったっけ、と私は右頬に細い人差し指をあてた。

 暑さでじんわりと汗が滲んでいる。

 すっぴんに近いメイクをしてきたので、化粧の崩れはあまり気にならなかった。

 とりあえずプラットホームに移動して、待つ。

 このプラットホームを境にして、風景が全然違うように見える。

 今まで来た道は、森の中を走るようなイメージ。

 この先は、野原の中を走るようなイメージ。

 そんなに離れていないというのに、全然印象が変わる。

 コインの表裏のように、すぐ近くに別の顔を持っているかのようだった。





-----


「ほらほら、おじょうさん、デンシャが到着しましたよ」

「――え?」

 私が振り向くと、そこにはいつの間にかデンシャがやってきていた。

 全然気づかなかった。

 音も気配も無かった、はずだ。

「暑さにやられてしまいましたか?」

「うーん、そうでもないと思うんだけど」

 デンシャのドアが開く。

「ほら、デンシャに乗りましょう」

 飛ぶようにして乗ったデンシャは一両のみで構成されていた。

 中には誰もおらず、しかし冷房が適度に調整されていて、涼しかった。

「涼しいね」

「そうですね」

 ウサギは楽しそうに笑った。





挿絵(By みてみん)


 ウサギは真ん中の七人掛けの席の真ん中にどっかりと乗ると、窓に張りつくようにして、流れていく風景を見はじめた。

 私はその姿を、向かいの席から足を組んで眺めた。


 不思議だな、と思う。

 今まで一度たりともウサギのような存在と旅をしたことはなかった。

 二人きりになったこともない。

 それが今、こうしてウサギに誘われて“おつきさま”に向けて旅をしている。

 夢では、ないらしい。

 太陽の光はやけにリアルだし、少し歩き疲れて足の裏がじんじんする。

 夢の中で、こんなにも冷房が気持ちいいと思ったことは、ないだろう。


「おお……デンシャは速いですねぇ」

 ウサギはデンシャにとても驚いているようだ。

「乗ったこと、ないの?」

「乗ろうと思ったことはあります。でもそのたびに黒い服を着た人に追いかけまわされるんです。本当、困ったものですよ」

 そりゃそうだろう、と私は思った。

 当たり前だ。

 常識とはそういうものなのだから。

 私はウサギの見ている風景に目をやった。

 まだ住宅街の中を進んでいるようで、いろいろな家々が現れては消えていった。

 右からやってきては、左の方へ流れていく。

 数え切れないほどの家が、目の前を通り過ぎていった。

「……あの家ひとつひとつに、たくさんの思い出があるんでしょうね」

 ウサギは誰に言うでもなく、ぼやっと呟いた。

 その言葉は、外の風景と一緒に、窓の外へと消えていった。

 私はどこかそんなウサギの背中が哀らしく思えて、その小さく見える背中に向かって声をかけた。

「あなた、昨夜あんなところで何してたの?」

 ウサギは耳をぴくっと震わせてから、風景から目を離してこっちを向いた。

 その時にはすでに笑顔だった。

「宝物を探しに、外の世界に出てきたところだったんです。冒険ってやつですかね!」

 どこか誇らしげに、ウサギは語った。

「あなたの探している宝物は“おつきさま”にあるの?」

「はい、そうです」

 ウサギは目を細めた。

「昔、埋めたんです。とても大事なものなんです」

「ふぅん……」

 そこで会話は途切れた。

 私たちは再び窓の外を眺めた。

 デンシャの走る音が響く。

 ドアの窓から、隙間から、光が漏れて灰色の床に白く反射していた。

 音も無くデンシャは走り続ける。

 時折揺れる座席が、どこか不思議な感じがした。



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