シュガー・ロリィタ
目の前の異形に小さな刃を刺す。何度も刺す。異形が叫んだ。最後に首を落として仕事は終わり。大きなトラックが遺体を回収して走り去り、その後続が血溜まりに水をかけて道路を磨いてゆく。
ふと見ると、短剣の白い刃が血に濡れて赤く染まっていた。服の裾で拭うも服が多少汚れただけだった。
この世界は一人で生きるには厳しすぎる。死にたい、なんて思った。みんなに、会いたい。
「危ないっ!」
誰かが背後から叫んだ。その一瞬後、私の体が横に真っ二つに割れた。血が溢れる。身体の中身が跳ねる。断面から溢れた"紅"が蠢いた。
それは花弁のように開き、凶器となった。赤い花が咲いた。それはわたしを半分にした張本人である異形を斬り飛ばす。
その後も尚それは体を探すように蠢く。上半分の体を持ち上げ、糸のように断面に入り込んだところでわたしはようやく元の形を取り戻した。
少女がこちらを見ていた。わたしよりも多少背が高く、金色の目に金色の髪。しかし身に纏うのは襤褸で接ぎだらけのフード付きマントによれたシャツ。
金の瞳が驚愕に見開かれていた。しかし、すぐに意を決した様に口を開く。
「私と、生きて欲しいの」
「何……故?」
これは好意を持たれているだとか、愛されているだとかそういう類の発言だろうか。初対面の人からそんな事を言われる筋合いはわたしにはない。意味がわからない。
「決して変な意味じゃない。君がとても不安定な存在に見えたから。死にたい、なんて思っているでしょ」
そこで少女は少しの間を置いてそっと言った。
「だから、君を救う。私の名前はシヴィ。改めて、共に生きましょう」
この子なら、わたしを救ってくれる。殺してくれる。そんな気がした。
「いい……よ」
殺してほしい、なんて言ったらきっと怒る。だから気持ちを隠して微笑を浮かべる。
「わたしの家が月地区にある。一緒に帰ろう」
そこはわたしの王国だった。全てに手が届き、全てを俯瞰して見られる。豪奢な調度品も、わたしの仕事によるもの。
見た目からして金持ちには見えないシヴィには全てが非日常に見えただろう。物珍しげに辺りを見回している。
「分かってはいたけどやっぱり凄い」
「分かってたの?」
「だって君も『月の欠片』でしょ」
「あなたも?」
太腿に取り付けてある白い短剣を取り出して指先で一回転させてみせる。
「駆け出しだけどね。だからよく知らないんだ」
「じゃあ教えてあげる。バルコニーなら説明しやすいかな」
バルコニーからは月地区の一部が見下ろせる。沢山の家々、整備された道。そして一際目を引くのは足場の取り付けられた壁のような巨大な物体。
「あれは、三五〇年程前に落ちた月の一部だよ。この月地区の名前の所以でもある」
*
三五五年前。平和に暮らしていた人々の前に突如として出現したのは大きさも形も様々な異形の群れ。人々は殲滅を試みた。しかし、端的に言うなればそいつ等は強かった。最近の技術の結晶とも言える武器、大量の人員を使おうと体に傷一つ付かない。それどころか戦闘に出た人は殆ど死亡し、生き残った人も治すのに一生かかるであろう重傷だった。
そして、人類の滅亡を後押しする様に悲劇はやってきた。白く輝く、大質量が地上に落ちたのだ。頭上で輝く月の一部が。ただでさえ衰退の一途を辿っていた人類はその悲劇によって壊滅寸前まで追い込まれた。
しかし、いつの時代にも聡明な者はいる。ある人が異形は月の近くを嫌うのではないかと考えた。その考えは多くに知れ渡り、次いで異形を無理に月に近づけたらどうなるのか、と考えた者もいた。その時代には、異形を捕らえる事により無力化を図っていたので、そこから一体拝借し、拘束を解かぬまま暴れる異形を月の近くに連れて行き、月に触れた瞬間、触れた部分の腕が蒸発したのだ。
そこからの人類の行動は早く、月を削って武器が作られることになった。しかしあくまで削られたものなので、本体のように触れただけで消滅するような力は無いが、確実に攻撃が通るようになった。それによって人類は昔程ではないが、多少の復興を果たした。
*
「それで月の武器を使って戦うわたしたちは『月の欠片』と呼ばれて異形と戦っているんだ」
「君は『神の御心』でしょ?あの能力は」
「多分、ね」
『神の御心』とは『月の欠片』の中でも特殊な能力を持った集団のことを言う。それはわたしもよく知っている。しかし──
「多分?」
「厳密な決まりは無いからね」
何を以てそう呼ぶのか、誰がそう呼び出したのか、そしてどこから生み出されたのか、何もかもが不明。その力を頼りにする者が大半だが、気味悪く思う者もいる。
「そっか、でも君が『神の御心』であってもなくても、私は君のことが好きだよ」
嬉しかった。人から戦いの道具として必要とされることはあっても純粋な好意を向けられることはなかった。
今までの仲間だって所詮仕事仲間だった。友人と呼べるような存在に彼女とならなれる気がした。
一ヶ月の月日が流れ、わたしは彼女とそれ以上の関係になれたと少なくともわたしは信じていた。まさに、世界に色が戻ったような気分だった。
六度目の守るべき人は、特別な何かだ。だからこそ、死なせたくない。繰り返される日々、それだけが愛しかった。
ある風の強い日。その日の仕事場所は人気のない花畑だった。仕事はすぐに終わった。
「帰ろっか」
彼女は風の音に負けないよう、いつもより声を張って言い、歩き出す。わたしはふと立ち止まって、少し離れた彼女に向かって囁くように──
「わたし、あなたのこと──」
そっと呟くように言葉を紡ぐ。
「大好き」
その声は強風に掻き消されてきっと届かなかっただろう。
「ごめん、聞こえなかった。もう一度、言って?」
彼女は振り向き、バツの悪そうな薄い笑顔で言った。
「ううん、なんでもない」
やはり声は届かなくて──。もう一つの言葉を口に出す。
「生きたいと思うのは罪かな。わたしなんかが願ってはいけないことかな。でも、生きる意味を見つけられた気がするんだ」
「それが普通よ。それでいいの」
わたしの手を取ってシヴィは言った。
「一緒に、いてくれる?」
彼女が答える前に、視界がうんと下がった。彼女が泣いているのが見えた。
「────────っ!」
彼女が声にならない叫び声をあげた。血が吹き出す首が見える。体が見えた。何故?わたしの頭は今、何処にあるの?
「やっと見つけたよ」
赤く濡れた刀身が見えた。大部分を血で濡らした白く輝く刀身のクレイモアを振り抜いた姿勢の少年がわたしの体の後ろに立っていた。そこでやっと首を撥ねられたのだと悟る。
彼女が泣いている。なのに、わたしの体は、何故動かないの?今まで感じたことのなかった死が一番近くに見えた。わたしは、殺されたのだ。
この世界は些か手厳しい。死にたいと思えど死ねないのに、生きたいと思えば死んでゆく。悲しい、なんて思った。
「そのうち絶命するお前に教えてやろう。お前の正体は、異形だ」
少年がわたしの髪を掴んで言った。
「そんなのって……ないよ。嘘だ。それに、殺す必要はどこにもなかったでしょ」
彼女が震える声で言った。服の裾を握りしめていた手でわたしの頭をひったくるように奪って、金の瞳で少年を見据える。
「我々の組織が彼女を必要としている。彼女の、血を」
少年は驚いたような顔で言った。
「異形なわけない。『神の御心』かもしれないじゃない」
「『神の御心』は本質的には人間だ。もし彼女がそうだとすると首を落とせるのはおかしい。それに『神の御心』は我々の組織で作り出した生物兵器なんだよ。異形の血を体内に入れて能力を得る」
彼女は地に膝をついた。
「それでも、私はあの子を、愛してた。たとえ彼女が異形でも。彼女は世界の価値そのものだった。彼女のいない世界なんて、いらない──」
彼女が腰の銃を抜いた。いつも仕事に使っている白いハンドガンではなく、実弾の装填されている黒い方を。それを側頭部にそっと添わせて、引き金に指を──
「まだ……死んでない、よ……」
彼女が驚いたように銃を取り落とし、わたしの前髪を撫でた。
「なら……まだ助かる……!」
「それは……むりだよ……。だから……わたしのかわりに……いきて。わたしは、もう……し──」
*
彼女が言葉の途中で塊のような血を吐き、地面に赤色を上書きする。繰り返し吐血し、やがて絶命した。その瞼をそっと撫で、開かれたままだった目を閉じさせる。
「お別れは済んだか」
「許さない。絶対殺す」
落とした実弾銃を拾い上げる。
「そうか」
後頭部に衝撃を受けた。剣のポンメルで殴られたのだと気づいた。
「じゃあちょっと眠って貰うね、友達以上の力、欲しいだろ」
*
意識を取り戻した時、目の前には白色が広がっていた。そして厳つい人間が何人か、周りに立っていた。動こうとすると、手足を拘束されているのに気づいた。
「起きたな」「異常はないか?」「報告が先だろう」
思い出した。私は殺さなければならない人がいたのだ。
「拘束を解いてほしいんだけど」
「いいのか?」「許可を頂いてからでないと駄目だろう」
殺さなきゃ。絶対殺す。その為にはこの拘束が邪魔だ。強く思うと、体の中から力が溢れるのを感じた。だんだん目が金の輝きを増す。その光は遂には部屋を金に染め上げ、拘束が外れた。
「やった……」
部屋を出る。廊下は入り組んでいたが、行きたい場所は不思議と分かった。到着したそこの扉を開け放つ。
「ああ、起きたんだ。体調は変わりない?ここまで来たってことは能力は無事使えるようになったようだね」
「人を拉致して改造しておいて白々しい。でもお前を殺せる力を貰った事だけは感謝するね」
殺す。跡形も残らぬように消し飛ばす。強く、強く、それだけを思う。すると再び光が溢れ、全てを包む。
「これが……究極の力──」
その光が治まる頃には、そこに立っているのは私だけだった。
「殺しても彼女は戻らないけど。こうでもしないと私の気が治まらないから。一瞬で逝かせてあげたことは感謝してね」
外に出ると、そこは月地区の端だった。
「家に……帰ろう。私と、彼女の家に」
神様、出来るならどうかもう一度やり直させて下さい。今度は死んでしまう運命を変えてみせます。どれだけの代償を払ってもいい。だから……新しい世界線を──。
金色の光が世界を包み、その世界は消滅した。