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004:……ほ、ほぁぁー


 現在、俺は気配を押し殺して通路の隅でしゃがみ込んでいた。


 ちょっとした休憩と迷宮で得た情報を整理するためだ。T字路のちょうど角のあたりに潜伏している。この場所はかなり良い。Tの横方向に魔物を見つけた場合は下側の通路に、下側の通路に見つけた場合は横側の通路に隠れることができる。


 流石に十字路だと対応に困るし、直線の通路では挟まれる可能性があるからだ。Tの三方向から同時に来たらどうするのか? その場合は一方に全力突撃でなんとかするしかない。


 あらかじめ行動を決めておくことが秘訣だ。


 頭の中だけで情報を整理できる人が正直言って羨ましく思う。俺はいちいち声に出さないと、いまいち状況を掴めない人間なのだ。というか疲れて頭がうまく働かない。


 だから、ほんの囁き声で現状を物語る必要があった。


「……今は北東あたり……ちゃんと帰る道は覚えてるか? ……覚えてる……怪我はどうだ? 今のところ左足首に噛まれ傷一つ、右腕と右側のほっぺたに引っ掻き傷が一つずつ。ジクジクして痛い。けど歩ける。問題ない……疲労は? 正直つらい。身体が重い。歩くのがダルい。複数匹のイヌモドキと連戦するのは疲れる……そりゃそうだ。突進と急停止を繰り返しすぎて疲れた……お腹空いた……そろそろ戻りたい……もう帰る」


 方針は決まった。呼吸も整ったことだし行動を再開する。


 最初は意気揚々と行軍を続けていたのだが、先に進むにつれて当たり前のように複数匹(2~3匹)と連戦するハメになり、もう、ほんとに、疲れた。


 どこをどのように通ったかをしっかりと頭の中に入れないといけないし、前後の警戒もしないといけないし、傷口は痛むし、腹は減るし、そこの角から急にモドキ共が現れたらと思うとドキドキするしで、疲労は蓄積するばかりだった。


 もしかしたら気づかないうちにカレンが俺に話しかけてきているかもしれないが、正直反応する余裕はなかった。ひたすらにモドキ特有の足音が聞こえないかだけに集中していた。


 あいつら、潜むとかひっそりという言葉を知らないようで、ペタペタ、カツカツと足音がよくなる。現実のお犬様やお猫様よりも爪が大きく鋭いせいで、地面と爪がガリガリっと擦れ合っているせいだ。


 疲労困憊、満身創痍な現状だが、それに見合った探索の成果が一つある。モドキの種類ごとの出現分布だ。


 まず出発点であるセーフルームを迷宮の中心にあるものと仮定する。そして、出入り口の扉がある方向を北側に決めた。


 北西方面はイヌモドキとネズミモドキの混成が多く、ネコモドキの姿は見えない。


 北方面はイヌモドキとの遭遇率が跳ね上がった。その上でネズミモドキとネコモドキのどちらかがお供についている。


 北東方面はイヌモドキとネコモドキの混成が多く、ネズミモドキの姿は見かけなかった。


 まとめてみるとこうなる。


 北 西、イヌモドキ:ネズミモドキ=1:1、ネコモドキの姿なし。

 北方面、イヌモドキ:その他モドキ=2:1、イヌモドキ三匹構成。

 北 東、イヌモドキ:ネコモドキ =1:1、ネズミモドキ姿なし。


 この分布具合から一つ推測できることがあった。


「……もう一種類、小動物モドキがいそうだな」


 迷路型の構造のせいか、まだ南方面へと続く道は見つけていない。セーフルームを出てすぐに南方向へ進もうとするとぐるりと回りこむ形で北方面へと戻されてしまう。


 つまり、まずは西か東に向かわなければ南方面へと進むことはできないと推測できる。


「……か、もしくは南方面はない。セーフルームが最南端である可能性もあるか」


 全体マップがわからないので迷宮の全体像は仮定して推測するしかない。想定しているのはとりあえず二つだ。セーフルームを中心とした構造図と、セーフルームを最南地点とした構造図である。


 ビギナーダンジョンでそんなに入り組んだマップ構造にはしないだろうというメタ視点の考察も少し入っている。あまりメタ視点の考察は過信したくなかった。その思考をカレンに利用されるかもしれない。


「……まずは、迷宮の最端を確認したいところだな」


 次の探索時の目標を定めてから思考を打ち切る。集中力の切れかかった脳みそに檄を飛ばして警戒歩行を優先した。


 無事に帰りたい。もう、その気持ちでいっぱいだった。


 あとは通ってきた道を戻るだけ……ではない。今回の探索はまず北西へ向かい、それから北方面へ。そして現在地である北東方面へと移動をしてきた。


 この動き方はあらかじめ決めていた行動方針ではなかった。迷路の構造的に仕方なく選んだ通路もあったし、モドキとの連続戦闘を避けるためにやむを得ない方向へと移動を繰り返した結果だった。


 歩いてきた道のりをそのまま戻るとどう考えても遠回りになる。


 セーフルームがあるはずの方角を目指してまずは南進することに決めた。もちろん真っ直ぐ直線的には進めない。俯瞰的かつ気持ち的にという意味での南進だ。


 俺の推測が正しければ、ネコモドキと遭遇する割合が高くなるはず。


 予感的中! とまで確信はできないが、ネコモドキ2匹とイヌモドキ1匹の混成部隊を進路前方に発見した。


 ……モドキはまだこちらに気づいていない。


 これはもしかしたらやり過ごせるかもしれない。あいつらの進行方向は俺と同じ、つまりモドキは俺に背を向けている状況だ。モドキの索敵方法や範囲はまだ確定できていないが、今のところ奴らの視界に入らなければ襲われないことだけはわかっている。


 それにしても、あいつらの聴力や嗅覚はどの程度なんだろうか。そもそもあいつらは五感を使って俺を認識しているのだろうか。


 もしイヌモドキが現実のお犬様並の嗅覚を持っているとしたら、俺から漂う血や汗の臭いを瞬時に嗅ぎつけて襲ってきそうなものなのに。


 またメタ的な思考をしてしまうが、ビギナーダンジョンだから出現する魔物の能力値や行動範囲が制限されている可能性も考えられなくはない。行動パターンもある程度決まっているみたいだし。


 臭いに関しては現段階ではどうすることもできないので思考から除外しよう。どうしてもメタ的な考察をしてしまいがちだ。こうだから大丈夫だろうとか、きっと何々だから平気だろうという思い込みはよくない。


 距離を空けたままジリジリとモドキの後ろをついていく。


 いつでも動けるように呼吸を整えつつ、左手にぎゅっと相棒を握りしめる。何となく右手が手持ち無沙汰だ。もう一本くらい短棒があっても良い気がする。俺の相棒はいわば中棒、地面から俺の腰あたりの長さしかない。


 長棒だったら薙ぎ払いとかで中距離を保った戦闘もできそうなのになとは思うものの、また一から練習が必要だろうしやっぱないかぁとも思わなくもない。でも、長棒をヒュンヒュンと自在に操る姿を想像するとカッコいい。突いてよし、薙ぎ払ってよし、叩きつけてよし。長棒を支点とした壁蹴りからの側頭蹴り。複数のモドキを同時に相手にしている俺の姿はとても素敵である。


「……しまった……集中力が途切れているぞ」


 気の緩みに自分自身へほんの小さな叱責を行う。


 顔を左右にぶんぶんと振って意識を現実に戻す。すかさず前方を見つめた。そしてホッと安堵の吐息をこぼす。よし、怪我の功名だ。後方かつこの程度の呟きならばモドキの耳に拾われない。


 結果的に、ネコモドキとイヌモドキの混成部隊を俺はやり過ごすことができた。


 ある程度進んだところで西方向を意識する。


 セーフルームに近いほどモドキは単体でいる傾向が高い。もちろん絶対ではない。あのときもイヌモドキ三匹がセーフルーム前にドンと姿を現したわけだしな。……あれはカレンの嫌がらせだと俺は睨んでいるが、まあ実際のところは聞いてみないとわからない。


 俺の脳内マッピングによればもう少しでセーフルームに続く通路が見つかるはずである。一応、目印的なものは付けてあった。迷宮の壁は非常に固く、俺の相棒や爪のひっかき程度では傷一つ付けられない。仕方がないので俺の血を壁や床にこすりつけて対処した。


 カレンが意地悪く時間経過でわざと消さない限りそのまま残っているはずだ。モドキの遺体を利用して目印にしようと思ったこともあったが、どうやら時間経過で消失してしまう仕様だった。モドキにも血は流れているが、その血も一緒に消えてしまう。


 では、俺の血ではどうなるのか。


 結論から言うと、俺がセーフルームに戻るまでは継続して残っていた。要するに前回の探索で付いた痕跡は残らない仕様らしい。まあ、ありがたいと言えばありがたい仕様だった。そこらかしこに俺の血痕や遺体が散らばっているダンジョンに何度も足を踏み入れる度胸は俺にはない。


「……よし、あった」


 ダンジョンの中では小声で喋る癖がついてしまった。治すべきだと思うが、迷宮の静けさで頭がどうにかなりそうなのだ。ゲームにおけるBGMの重要さがわかる。


 それはともかく、左向きのT字路(←↑)の中央に血痕で大きく←Sの文字が書かれているの見つけた。そこから先は一本道だ。クネクネっと二回角を曲がればセーフルームに辿り着ける。


「……油断するなよ?」


 さっきも集中を切らせてしまったばかりだ。ここは気を引き締める必要がある。そして俺は自分自身に感謝した。Sと書かれた分かれ道までもう少し。


 後ろを警戒してサッと振り返り、すぐに視線を前へと戻した瞬間。


 ……そいつはそこにいた。


「……ガァルルゥッ」


 通常のイヌモドキよりも数倍でかい。大型イヌモドキは俺を視界に捉え、唸り声をあげる。くそったれと悪態を付く前にするべきことを決めた。


 大きさが変わろうと弱点は一つ。飛びかかってきた際の口の中だ。むしろ弱点部分が大きくなって当たりやすい。


 いや、ムリだって。でかいって。


 こんな棒切れじゃ噛み砕かれるのがオチだ。相手は一匹、向こうの飛びかかる勢いに合わせて突けば殺せるはず。簡単だろ? それなのに相棒を握りしめる手が震えて汗が止まらない。


 俺が動かずに黙って身構えていると、大型イヌモドキも同じくこちらを睨んだまま動かない。なんだ? こないのか? 来いよ、俺の相棒を捧げてやるよ! その口の中にな!


「ウォォーーンッ!」

「ほ、吠えたぁっ!? や、ヤバイって!」


 絶対来る。絶対来る。絶対来るよ……増援が。


「うわぁああああっ」


 俺は叫んで走り出した。


 大声でも上げないと身体が動かないからだ。……決めた。もう決めた。俺の特攻に対し、大型イヌモドキはヒョイッとバックステッポをこなした。こいつ、まだ待ちの姿勢を崩さない。そりゃそうだろう。数は多い方が良いなんてケモノでも知ってる道理だ。仲間が到着するのを待ってから俺をいたぶる腹づもりだろう。


 俺は本気の殺意を持って走り続けている。絶対に一撃で殺してやる。そんな決意の込められた殺意だ。俺の気迫に押されたのか大型イヌモドキはT字路の真ん中ではなくやや奥側に、もう一度ステップして引っ込んだ。


 ならば話は早い。相棒を力強く握りしめ、俺は走った。


「あばよおおっ!」


 角を曲がってセーフルームに一直線だ。


 おそらく、これはもう直感に近いが奴は単独では襲ってこない。仲間がいないと行動できないチキンドッグだ。じゃあ何で単独で行動してたんだという疑問なんてドブに捨ててやる。今は考えない。


 後ろに迫る気配はあるが、殺気はなかった。敵意はあるが殺気はない。この違いは大きい。そのまま全力疾走で走り続けている俺だが、もちろん懸念事項は頭の片隅においてある。絶対いる。


 セーフルームの直前に三匹のイヌモドキがいると確信していた。


 一つ目の角を左に曲がってから直進! そしてもう一つ右へ曲がるL字の角がすぐ前方に見える。


「……はぁっはぁっ……くはぁっ……はぁっ」


 息がつらい。酸素が欲しい。でも立ち止まれない。立ち止まったら終わりだ。走るのに相棒が邪魔だが、絶対に手放せない。


 なぜなら。


「ガルルっ」「ガルァっ」「……アウ?」


 ほらねっ。


 ひょっこりと現れたイヌモドキ三匹を見て俺は笑みを浮かべた。後方の大型イヌモドキはもう無視だ。ついでに困惑顔のイヌモドキも当然無視だ。二匹のイヌモドキが俺に向かって駆け出した。


 その瞬間、背後からの殺意が膨れ上がった。


 だが、俺の知ったことではない。


 衝突地点は考えるまでもない。何度となく繰り返した突進・相棒突き。3・2・1、はい、跳んだ。


「うらぁああっ」


 通常のイヌモドキ二匹など恐れるに足らず。一撃のもとに葬ってやった。もう一匹のスカしたイヌモドキを無視して俺は勢いを落とさず前方へ走り続ける。


 そして相棒を捨てた。口から串刺しになったイヌモドキ付きの相棒なんて俺……もう、いらないっ。


 最後の角を曲がって見えるのは俺が待ち望んだセーフルーム!


「カレンっ! 開けろぉお!」

「ほいほーいっ! お任せあれっ」


 後ろを振り返る余裕もなく、俺は滑り込むようにセーフルームへと辿り着いた。俺が入った瞬間に自動ドアの如く扉は閉まり、俺は迷宮とモドキの殺意から隔絶される。


 俺は生きて辿り着いた。今までとはわけが違う。初めて迷宮を『探索』して無事に『帰還』できたのだ。


「……ほ、ほぁぁー」


 俺は疲労と嬉しさのあまり呆けた言葉をもらしつつ倒れ伏した。もう、一歩も動ける気がしない。


「いやったぁー、シズクっ、生還おめでとぉ!」


 カレンの言葉は素直に嬉しいが、一緒に喜べる状態ではなかった。


 ただひたすらに息を整えつつ、俺は笑みを浮かべ続けた。


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