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そのチート、パン以外に使い道がありますか?  作者: 天野 麦


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第3話:天才魔導師の誤解

ノアの生活は安定していた。首席品質技官、そして技術改良統括責任者。二つの面倒な肩書はあったが、彼が作った『ノア式農法マニュアル』が自動で農場を回し始めたため、ノアにはこれまで以上の自由な時間が生まれた。


「これで、ライ麦の低温発酵の実験に集中できる」


ノアはそう喜んでいたが、ある日、彼の小屋の前に、場違いな来訪者があった。


現れたのは、深紅のローブを纏い、背中には大杖を背負った、美しい銀髪の女性だった。名をエルシーという。彼女は、王都で名を馳せる「孤高の天才魔導師」であり、魔法による『究極の素材創造』の研究者だった。


エルシーは、ノアの小屋の前にひざまずいた。


「ノア・エルトニア様。ついに見つけました。私は、あなた様の『大地の真理を究めた恐るべき求道者』としての噂を聞きつけ、この辺境の地に辿り着きました」


ノアは手に持っていたライ麦の種を落としそうになった。


「ええと、求道者?私はただの農夫で、パンを焼きたいだけですが……」


「ご謙遜を!」エルシーは激しく首を振った。「あなたの作り出した小麦は、魔法によって人工的に生成されたいかなる素材よりも、生命力と調和に満ちています。それは、この世のことわりを完璧に理解していなければ不可能なことです」


エルシーは、ノアの『ノア式農法マニュアル』を指さした。


「この、『黄緑色の彩度70』になったら石灰を散布、という記述。これは、単なる農法ではない!生命のサイクルにおける『力の均衡点』を捉え、魔力の流れを調整するための古代魔術の応用に違いない!」


ノアは呆然とした。マニュアルの基準は、病害虫が「まずい」と感じる栄養バランスを『ルーペ・アイ』で数値化した、ただの品質管理基準だ。まさか、それが「大地の真理」として崇拝されているとは思いもしなかった。


エルシーは、ノアに弟子入りを懇願した。


「どうか、私を弟子にしてください!あなたの知識は、世界を救う鍵となります!」


ノアは困り果てた。しかし、エルシーは天才魔導師だ。ノアはふと思いついた。


「わかりました。弟子にしてもいいですが、私の研究を手伝うのが条件です。私はいま、『最高のパン』を完成させようとしています。あなたには、パンが焼ける最適な環境を整える雑用をお願いします」


エルシーは目を輝かせた。


「なんと!師匠は、究極の調理過程を通じて、世界の『変成の理』を私に伝授してくださるのですね!光栄です!」


ノアはさっそく、最高級のライ麦パンを焼き始めた。そして、焼き上がったパンを『ルーペ・アイ』で解析する。


微細鑑定ルーペ・アイ

対象: ライ麦パン・今作

外皮の脆さ(クラスト): 92%(目標 100%)

内相の気泡の均一性: 98%

グルテンの結合安定性: 95%


ノアは解析結果を口に出した。


「まだ外皮の脆さが足りない。おそらく窯の温度が5度ほど低いか、生地を窯に入れるタイミングが2分早すぎた」


エルシーは、その言葉を聞き、ノートに血走った勢いで書き込んだ。


「『世界を構成するエレメント(窯の温度)が、目標の92に対し、5度不足している』。これは、万物の変容法則における『閾値いきち』の計算だ!そして、『時間の流れ(2分)の調整』こそが、師匠が究める『時空魔術』!」


ノアの「最高のパンを再現するための究極のメモ」は、エルシーの手によって「大地の真理を解き明かすための古文書」へと変貌していった。


エルシーという「天才魔導師の弟子」ができたことは、ノアの周囲の評価を決定的に変えた。


「ノア様は、ただの農夫ではない。裏で、王都一の天才を指導する隠れた賢者だったのだ!」


農場長は、ノアがパンを焼く様子を遠巻きに眺めながら、震える声で側近に囁いた。


「彼はパンを焼いているのではない。あれは、『大地の力を糧とする魔法儀式』だ。彼には下手に命令などできない。我々は、ただ彼が静かに研究できる環境を整えるだけでいい」


ノアは依然として、最高のパンを追求し、弟子に「最高の発酵環境の調整」という名目で、湿度や温度を完璧に管理する地味な雑用を命じていた。


ノアの「パン職人としての知識」は、天才魔導師エルシーの崇拝と、周囲の誤解によって、「恐るべき権威」へと変換されつつあった。ノアは、自分がパンを焼く環境がますます安定していくことに満足し、その裏で自分がどれほどの権力者になりつつあるかには、全く気づいていなかった。

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