タイトル未定2025/12/03 08:32
オルゴールは、楽器ではない。
演奏できるのは曲の一部だけ。円筒形のドラムについた突起で鋼の板をはじく構造上、長い演奏は難しい。その曲の有名な一節だけを繰り返す。そういうおもちゃだ。
◇
昨日、会計士の奥様だと言う女性が、修理して欲しいと持って来たオルゴール。
小さいが、しっかりとした造り。
「途中で止まってしまうんです。」
わかりました。見てみましょう。
「あと、箱の角にある傷は直さないで下さい。」
承知しました。
動かしてみる。
曲はショパンの「華麗なる大円舞曲」。前奏は省略され、2つのテーマだけが繰り返される。
小さなシリンダー式オルゴールの限界だが、それがいいという人もいる。
必ず同じ所で止まる。シリンダー側のギアか櫛歯を弾く爪の不具合だろう。
◇
修理が出来上がった。
会計士の奥様が引き取りに来る。
「シリンダーのギアが欠けていたのが原因でした。あと、ニスがだいぶ剝げていたので、透明なニスを薄く塗っておきました。傷はニスを掛けただけで、そのままですよ。」
奥様、それを見て泣いてしまった。
何度もお礼を言われた。
◇
「お爺ちゃん。」
孫娘のマリエッタが遊びに来た。
「あの傷のあるオルゴールがない。修理終わったのね。」
昨日奥様が取りに来られたよ。とても喜んでくれた。
「傷は直さないで、なんて変な注文だったね。」
きっと、あの傷には何か思い出があるんだよ。
「そっか。」
マリエッタはクッキーを持ってきた。
私は紅茶を入れる。
「もうオルゴールは作らないの?」
目が悪くなって細かい仕事が難しくなった。今は修理だけだよ。
「お爺ちゃんの作ったオルゴール、音が澄んでて好きだったな。」
お前にはわかるんだね。
作ろう。そう思った。
◇
オルゴールは、楽器だ。
筐体にはギターと同じスプルースを使う。
櫛歯も良質な鋼だ。
曲は「アルハンブラの思い出」。オルゴールでは難しいトレモロに挑戦しよう。
慎重に設計する。
トレモロは一つの音を2つの歯で交互に鳴らす。
それも一つ飛ばしに配置して干渉しないようにした。
ひと月後、出来上がったオルゴールを庭で鳴らしてみる。
うまく出来たな。
マリエッタが来たら自慢してやろう。その後でプレゼントする。
トレモロのメロディが流れる。
それは、発条が解けるにつれて、次第に速度が落ちてゆく。
なんだか眠くなって来たな。
◇
「お爺ちゃん来たよ。」
午後の日差しの中、老人は庭の椅子に座ったまま、動かない。
「おじいちゃん?」
オルゴールが止まった。
この話は、瑞月風花様の短編「君との舞踏会はオルゴールの調べに乗って」に触発されて書いたものです。あの後、地面に落ちたオルゴールはどうなったのかな、って思ったもんですから。




