8.猫の気持ち
「少し胸元が開き過ぎではないかしら」
コルセットでお胸を上に持ち上げ美しい谷間が出来上がり、まるで表面張力のように溢れんばかり。
それでいて下品にはならないという絶妙さではあるのですが。
「駄目ですよ。ドレスの青とお嬢様の真っ白なお胸のコントラストが美しいのですから」
コバルトブルーのドレスは普段は着ない少し大人っぽい色合いですが、どう見てもフィザリス様の瞳のお色です。
「いっそ真珠の粉をはたこうかとも思いましたが、そこまですると旦那様の旦那様がお元気になりそうだから止めておきましょうね」
「旦那様の旦那様?」
それは誰のことでしょうか?前公爵様?
「んん゛。失礼致しました、お気になさらず。髪は緩く纏めましょうか」
緩く編み込んだ髪を、真っ白なレースのリボンでふんわり纏める。
「やはり白が映えますね」
派手になりすぎない品の良いアクセサリーを身に着け、お化粧も少し直して下さり、いつもとは違う少しだけ大人っぽい姿になんだか落ち着きません。
「さすが旦那様を陥落させただけあります。大変お美しいですわ」
あらやだ、人聞きの悪い。
「陥落などさせておりません。たぶん、フィザリス様は誤って滑り落ちてしまっただけですわ」
「まあ、お嬢様ったら」
ころころと楽しげに笑っているのはメイド長のダフネさんです。この方も長く公爵家に勤めているお方らしく、時折『旦那様』ではなく『坊っちゃま』と呼んでしまっているのはうっかりなのかワザとなのか。
「ですが安心致しました。あの坊っちゃまが惚れ込むなどどんな惨事が起きるのかとハラハラしていたのですよ」
惨事……え、そんな怖い人なのでしょうか。
つい胡乱な眼差しを向けてしまったのでしょう。慌てて否定して下さいました。
「坊っちゃまはとてもお優しいですし、偉ぶることもなく立派な主だと思っております」
「そうなのですね」
確かに、使用人からは慕われている気がします。
「旦那様は人でも物でもとても大切にされる方です。
旦那様の馬なども、手入れから何から出来るだけご自身でなさったりと本当に可愛がっておられるのですよ」
それは素晴らしいことだと……
あら?何だか部屋の外が騒がしいわね?
「申し訳ありません、確認してまいります」
ダフネさんも気になったらしく、確認の為に席を外そうとした時、ノック音が聞こえました。
「失礼致します。大奥様が到着されました。クレイトン様にお会いしたいそうなのですが如何致しましょう」
まあ、まさか領地からわざわざいらして下さったの?
もしかして『お前のように貧相な娘は願い下げよ!』とか言われたりして。
「すぐに伺います。ダフネさん、もうこれで完成ですよね?」
でも、別に駄目だと言われても困ることはないのですよね。縁がなかったというだけのことですもの。
「では、ご案内致します」
「お願いします」
廊下を歩いていると、だんだんと叱責するような声が聞こえてきます。
やはり前公爵夫人は私との婚約に反対なのでしょう。
だってあるのは若さと純潔くらいの小娘です。母親ならば反対して然るべきなのでしょうし。出来ればお茶をかけられたり扇で殴られたりは止めて頂きたいわ。
「失礼致します。大奥様、お嬢様をお連れ致しました」
ぐるんっ!
今までフィザリス様を叱っていた前公爵夫人が勢い良く振り向きました。目が爛々としていて何だかフクロウのようです。
「なっ!何なの、この可愛らしい子猫ちゃんはっ!どこから掻っ攫って来たのですっ、元いた場所に返してらっしゃいっ!!」
とてもお美しいご婦人ですのに言っていることが残念極まりないのはやはり親子なのかしら。
確かにちょっぴり攫われた感はありましたが、野良猫のように扱われるのは如何なものでしょう。
「母上!彼女は歴とした子爵家の令嬢です!平民ではありませんよ」
何だか副音声が聞こえた気がします。
猫さんですか。もしかして、妻ではなくペットをご所望でしたか?