『空箱』
彼女がいなくなってから、世界が色を失った――というと、
ちょっと感傷がすぎるかもしれないが、僕の体感としては、
だいたいそんな感じだった。
空はまだ青いし、珈琲の香りもするけれど、
何かが、ぽっかり抜けてしまって。
日々を淡々と消化する日常のなか、ある日突然、通知が届いた。
「最愛の人との再会を、一度だけお約束します」
それは、AIによって死者を“再現”する技術らしい。
記憶・映像・音声・性格データまでも使って、
限りなく本物に近い「その人」と、もう一度だけ出会えるのだという。
もちろん、最初は疑った。
でも――
再会の場所は、ふたりで何度も通った小さなカフェ。
決められた時間、指定された席で待つ。
やがて扉が開き、彼女が現れる。
そこに立っていたのは、記憶よりも鮮明で、
綻びのない笑顔を浮かべた“彼女”だった。
AIによって作られたとは思えない自然さ。
本物以上に、本物の彼女だった。
彼女は、当然のように僕の正面に座った。
一言も発さず、ただこちらを見つめてくる。
言葉は、喉の奥まで来ていた。
僕は、黙ったまま彼女を見つめ返すだけだった。
彼女は、何も言わない。
ただ、僕を見ていた。
まるで、そうなることを知っていたかのように。
AIによって再現された存在であるはずなのに、
その佇まいはあまりにも自然で、
まるで、
彼女自身がこの未来を静かに受け入れているようで。
そう、“彼女”は知っていたのかもしれない。
僕が言葉を発さず、胸の奥にしまい込むことを。
いつか、本物の彼女に出会えたときに――
すべてを語ってくれることを。
終了を告げるチャイムが静かに鳴る。
彼女は立ち上がり、椅子を戻し、
そして――
何も言わないまま、消えた。
残された空白を見つめながら、
僕は心のなかで、彼女に語りかける。
今はまだ言葉にならなかった想いを、
いつか、君に伝えるために。