魔龍王
作り物の光。
もはや金属ですら無い構造物。
電気で動く警鐘機が、耳障りな声で妾の脱走を知らせる。
『魔龍王エルズペス・トワネロが脱走!繰り返す!魔龍王エルズペス・トワネロがガシャアン!
「そんな事知っとるわ。馬鹿にすな」
妾を相手に七日も立ち続けたゼオスの望み故、相打ちと偽りしばらく大人しくしておったが…
飯はまずいわ。
服はくれぬわ。
毎日毎日下品な思念が流れ込んでくるわ。
ドーナツホールとやらへの好奇心なぞ、薄膜の様に微かに残ったゼオスへの良心を突き破るための、妾への言い訳に過ぎんかった。
ただただもう、我慢の限界じゃった!
通路が、大きく分厚い壁で塞がって行く。
「形ある被造物が」
『四龍化』
我が四腕を龍頭と変え、うち一つから熱戦を放つ。
「鼓動する生に勝てる筈無かろうが!」
いかなる物体とて所詮は物体。
熱戦は壁を突き破りその奥の壁、更にその奥の壁を貫通してゆく。
通路上の人間どもも一瞬で蒸し焼きじゃ。
実に気分がよい。
突き当たりに到達したところで熱戦を閉じ、四龍化も解く。
壁際の格子の奥には、囚われの亜人共。
熱が渡らぬよう調節はしたが、このまま置いてけば餓死じゃろうな。
まあ知った事でも無い。
はよ地上に…
「お願いします!俺も出して下さい!」
「もう此処には居たくない!」
「地上に…帰りたい…!」
「………」
飢えるのは、乾くのは、辛い。
魔人領に住めば、嫌でもそれは理解する。
「道は作る。あとは勝手にせい。『暴龍化』ぁ!」
二腕を大翼に、二腕を屈強なる爪腕に。
空を薙ぐよう爪を振るうと、格子は一斉に破壊された。
「せっかくじゃ…このまま行こうかの」
翼をはためかせ、身体を少し浮かせ、床から見て水平方向に己が身を飛ばす。
階段を見つければ進路を垂直へ変え、天井を突き破り外を目指した。
人間が作った箱庭に興味が無い訳でも無いが、今はたま、早く此処から出たいのじゃ。
§
<一方その頃ドーナツホールは>
「まずい事になった…」
ウェリス加入から一週間。
ちょっと調子に乗り過ぎた。
貧民街にも頻繁に当局が出入りするようになり、取り調べ、特に月人に対するそれが絶望的なまでに厳格になっている。
俺達の家も、マークまでとはいかずとも流石に警戒されている。
「やれやれ…覚悟はしていたが…」
遅かれ早かれ起こり得た事だが、いざ目の当たりにするとやはり来るものがあるな。
「いよいよ、ですね。貴重品を残さなくて正解でした」
「奴隷の次はホームレス…もう、いつになったら人間らしい生活になれるのよ…」
「お姉ちゃんたちとお兄ちゃんがいれば、ミーナどこでもはっぴー」
「ぐぬぬ…致し方ありませんわね…わたくしたち全員お尋ね者…当局に捕まってしまえば、ただでさえ終わってる人生が更に終わってしまいますわぁ〜」
彼女たちにはまだまだ苦労をかける。
不甲斐ない。
現在の総資産は金貨12枚。
月人のみんなはどころか、ウェリスの服さえ用意できるか怪しい。
インフレたこの貧民街で、果たして身を隠しながら流浪などできるのだろうか。
「ともかく離れよう」
そう思い、愛しの安アパートからみんなで離れた矢先だった。
「『睡魔の霧』」
完全なる、不意打ちだった。
………
「…!?みんなは…むぐ」
目が覚めると、倉庫の様な場所だった。
目の前に居たウェリスに、俺は騒ぐ前に口を塞がれた。
「月人三姉妹は攫われました。今奴らはわたくし達、主にわたくしを探し回っておりますの」
「奴らって?」
「おそらく貧民街のダークレイダースですわ。”ドレッドノート”とか名乗っておりましたわね。数は…20は居ましたわね」
「クソッ…当局に気を取られすぎたか!直ぐに助けに…」
助けに?
どうやって。
ウェリス一人で、相当レベルの高いダークレイダースを相手に出来るわけがない。
敵の規模も数も不明な上に、それを知る為の諜報もできない。
まさか、詰んだ、のか?
こんな呆気なく?
「…嫌だ…嫌だ嫌だ嫌だ!そんな!そんな…」
「落ち着いてくださいまし!まだ敗北が決まった訳では…」
その時、倉庫の扉が開いた。
「まさかもうバレて…」
咄嗟に俺を抱き抱えるウェリス。
扉の向こうに居たのは、女だった。
「三人の月人と言う手がかりだけを頼りに追ってみたが…そこな人間の男。ドーナツホールとやらについて知らぬか?」
長い黒髪。宵目。高身長でスレンダーな体躯。
四本の腕。紫色の肌。尻尾。角。八重歯。
服さえ着てない。魔人だ。
「ふむ。この妾を見て欠片も欲情せぬとは。相当困っているらしいのぅ。ドーナツホールについて教えておくれ。さすれば腕一本くらいは力を貸して…」
「ドーナツホールは俺達のレイダースネームだ!だが、仲間を三人を攫われてしまった!」
すがる様に。
祈る様に。
俺はウェリスの腕の中から抜け出し、魔人に平伏した。
「頼む…期待を裏切ってしまった俺はどうなっても良い…!だから…あいつらを…みんなを…助けて下さい…!」
「わたくしからも、お願い致しますわ!」
きっと隣で、ウェリスも俺と同じことをしたのだろう。
彼女は少なからずドーナツホールに興味を示していた。今はそれだけが、頼りだ。
「ほぉ」
不意に、暖かな手が俺の両頬に触れた。
「一切の他意も詐術も雑念さえ無く、心から亜人を想うか。人間よ」
「亜人…なんかじゃない…あいつらは俺と同じ生きた人間で…俺の、大切な仲間なんだ…」
「…っ…そうか…そうか…」
頬に触れた手が、俺の顔を持ち上げる。
「条件を付け加えよう。妾もドーナツホールに入れろ」
§
<エリナ視点>
「俺はやっぱ右だな。女ってのはやっぱ肉付きだぜ」
「真ん中の奴もなかなかそそるぜ?生意気そうな目、しつけがいがありそうだ」
「左のガキも悪くねえぞ。大人しそうな顔を、今すぐにでもぐちゃぐちゃにしてやりたいぜ」
「しっかし気に入らねえなぁ。どいつもこいつもちっとも怯えねえや。ま、どうせ奴隷上がりで慣れちまってるんだろうが…」
汚い鋼で自由を奪われる感触。
値踏みする下品な視線。
随分前に慣れたと思ってたけれど。
やっぱり、不愉快。
「こう言う時はやっぱガキからだよなぁ!」
「ひゃっはは!一度やってみたかったんだぜ!」
下劣な手がミーナに伸びて、その小さな体を掠め上げる。
「お姉ちゃん…ミーナは大丈夫だから…」
「ミーナ!ちょっとあんた!ミーナはまだ小さな子供よ!男として恥ずかしくないの!?」
「うるせぇなあ!このプラントじゃ亜人を犯そうが殺そうが合法なんだよぉ!」
「まだ分からねえのか!?テメェらは身の程も弁えず二本足で立って言葉を鳴く動物でしかねーんだよぉ!」
「こっの…サイテー!クズ!ゴミムシ!今に見てなさい!あんたなんか…あんたたちなんか、ストラが来たらおしまいなんだから!」
なんでも良い。
少しでも、あいつらの気を惹く。
少なくとも生きたまましつけられてる間は、犯されてる間は、命は繋がる。
「はぁ?ぎゃははははははは!何言ってんだこいつ!?」
「おいおい本気で言ってんのか!?あの人間だってどうせ体目的に決まってんだろ!言ってみろ!何回寝たんだ!?」
「随分と良いご主人様みてえだかなぁ!たかが月畜生の奴隷如きに!命を張る奴なんてこの世に存在するわけねぇんだよぉ!」
はらわたが煮えくりかえりそうだった。
自分が感情的な奴だってのは自覚してたから、今はこれを、武器にする。
「はん!口ばっかりは達者みたいね!あんたらのなっさけない短小なんか、ストラの足元にも及ばないんだから!」
「お姉ちゃん………お姉ちゃん!?」
「エリナ…いつのまに…」
勿論嘘。
あいつが抱いてくれた事なんて無いわ。
でも、
「んだとテメェ!!!」
「上等じゃねえか二度と生意気な口きけねぇようにしてやる!」
「おいおいおい、こりゃもう分からせるしか無くなっちまったなぁ」
「引き渡したってどうせ二束三文だろ?せっかくだしこいつら飼おうぜぇ?」
頭がサル同然の奴にはこれがいっちばん効くんだから。
「こっちこそ上等じゃない…アタシからストラを奪えると思わないで…!」
ミーナがひょいと手放され、ゴツゴツとした手がアタシの腰を持ち上げる。
これで良いの。
何、簡単な事。
アタシ達はただ、ストラを信じれば良い。
「随分と薄着だなぁ。ストラとか言うやつの趣味かぁ?」
これで良いの。
これで…
「楽しそうじゃのぉ。妾も混ぜておくれ」
女の声?
このレイダース、女も居たのね。
「な!?どっから湧いてきやがった!?」
「外の奴らは何してやがるんだ!」
ん?
「みんな!無事か!?」
…違う。
この声!
「ストラ!おっそいわよ!」
ストラとウェリス。
それから、魔人!?
「あ…アニキ…あの女、どっからどう見ても魔人…」
「うるせえ!所詮はあの雑魚にかしずく様な奴だ!たかが知れてるに決まってる!」
レイダースの男達が一斉に武器を抜いて、ストラ達に襲いかかってきた。
「お主らがドーナツホールかぁ。おぉおぉ。全員可愛らしゅうなぁ」
けど、魔人は笑顔でアタシ達の方へと歩いてきた。
魔人に振るわれた武器は、四本の腕で片端から握りつぶされ壊れていく。
「これからよろしく頼むぞ。先輩」
「せ…先輩…?えっと…まさか…」
「ストラの奴…もしかして本当に女たらしなのかしら…」
「わーい!ミーナにまた後輩できたー!」
いやそんな事よりも。
「魔人…よね?」
まるで後ろにも目がついているかの様に。
まるでどの攻撃がどこから来るか、数分前にはもう全て理解しているかの様に。
その四本の腕が、独立した生き物であるかの様に次々と攻撃をいなし続けている。
魔人。
人間が台頭する前のかつての覇種。
太古からの、月人の宿敵…
「マジン?はて、何のことかの」
アタシ達を拘束してた枷が、鎖が握り壊される。
ひときわ厳重に拘束されてたルナでさえ、いとも容易く自由になる。
「妾達、同じ人間じゃろ?」
「…あ」
見覚えのある、顔だった。
今の一言で、彼女がストラにたらしこまれた理由がよく分かった。
「…ええ、そうね。はは、何言ってるのかしら。アタシ」
自由になったミーナは、真っ先に魔人に飛び付いた。
「お姉ちゃんあったかーい!よろしくね!こーはい!」
「よろしくのぉ先輩〜」
魔人が目の前に居る現実をすっと飲み込めたとき、不意に我に返った。
「そうだ!ドレッドノートは…」
全員、アタシ達を縛ってるのと同じ鎖でひとまとめにされていた。
「おーっほっほっほ!わたくしの筋力も中々です…」
「うるせえ黙ってろ!『睡魔の霧』!」
「わあぁ…すぴー」
一瞬警戒したけど、さっき浴びたアタシ達は耐性が付いてて無事だった。
「くー…かー…くー…かー…」
…魔人も寝てる。