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仕事に、会社に、同僚に慣れることに精一杯で毎日が過ぎて行った。ただ雅也だけは消えていかない。友達はみんな新しい彼氏ができればすぐに忘れるよって言うけど、そんな簡単に次の人は見つからない。もうすぐ今年も終わる。
第4クオーターの報告会、つまり年度末の報告会では、KRGとかいう物質で作った新薬『抗無忘薬レタワイス』が来年6月に発売されることが発表された。
年が明けると会社中が新薬『抗無忘薬レタワイス』のギミックで溢れた。医療系の雑誌で特集が組まれ、女性誌やファッション雑誌でも取り上げられた。目の前で展開される大企業の広報の力を茫然と見ていた。
新薬発売からしばらく経っても、私はどんな製品かよくわかっていなかった。新しい仕事環境で調べる余裕もなかったし、興味も好奇心ももう失せていた。でもいい加減、自社製品のことくらい少しは知っておいたほうがよいかと、世間話のついでに渡瀬さんに聞いてみた。
「今更ですけど・・無忘症って何ですか?」
優しい彼女はいつも嫌な顔一つせずに私の質問に答えてくれる。いい人だ。
「無忘症は忘れることができない病気よ。抗無忘薬レタワイスは、思い出したくないことを思い出さなくさせる薬。」
「えっ?その薬を飲んだら思い出せなくなるんですか?」
「そう、その人のシナプスが一番活発に働く記憶に作用するから、いつも考えてしまうこととかを思い出せなくするのよ。」
私は即座に雅也のことを思った。きっと私の脳細胞は雅也のことばかりに使われているだろう。私も病気なの?
「みんな多かれ少なかれ忘れたいことはあるものだしね。売り上げは好調らしいわよ。私は非忘症がいいと思ったんだけどね。」
アルツハイマーとか、記憶障害とか、忘れてしまうことが病気の症状なのは知っていたけど、忘れられないことも病気なのか・・・病名を付けるって・・・そういうこと?
「でも、シナプスの働きを止めてニューロンが結合できなかったら、レセプターは他のニューロンを誤って受容してしまうんじゃないのかな?執着の強い人は危険かもね。」
渡瀬さんが怪訝な顔で話を続けたが、私には内容がわからないし、自分のことで頭が塞がっていた。雅也のことを忘れられないのは病気なのだろうか。