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一、お試しライヴ
ずっと夢見ていた。世界中でロックナインのショウをする。高校生になったんだ。直ぐにでも仲間を探して世界中を周りたい。
現実は簡単じゃない。ロックナインを組むには最低でも俺以外に八人の仲間が必要になる。誰でもいいなら直ぐにでも始められるが、そうはいかない。本気で世界中を飛び回る。中途半端な仲良しこよしに興味はない。同級生以外からも探すべきだと考え直している。
同じ高校の友達と組みたいと考えていた。メンバー集めに苦労したり拘ったりした事が知られるのは格好悪い。幼馴染や同級生と組んだら上手くいったと言いたかった。
そうはいかないと感じている。確かにこの高校には面白そうな奴があいつ以外にも数人いるが、全員を集めるのは無理だと思う。そこまでの求心力と実力があるのかって疑問もある。俺がただの口だけ野郎だったら、あいつさえ付いて来ないだろう。その他を集めるなんて論外だ。
だからお試し期間を設ける事にした。俺の実力を試してみたい。
学校近くの駅は、人通りが激しい。バス停の近くで弾き語る連中なら見た事がある。だが流石にそこだと危険だ。身バレはしたくない。なんて言うと何様だって思われるだろうが、学校で人気者になるにはまだ早い。
学校とは反対側のコンビニ前で歌う事にした。当然変装はする。
自作曲をウクレレで弾き語った。ハワイアンは意識していない。まさしくたまたまだ。家にあったから、持ち運びが楽だから、音色が綺麗だから、弾き易いから、その小ささが逆に目立つから。理由なんてまぁそんなところ。
初日は散々だった。まぁ仕方ない。無許可でコンビニの駐車場で突然歌い出す。怒られない方が驚きだ。
俺は馬鹿だが、残念な事に本物ではない。怒られる事に不満なんて感じない。当然だと思っている。それでいいとさえ思う。怒られるって事は、注目されるって事。そう考えた。周りの目が俺に向くきっかけとしては丁度いい。
怒られる度に頭を下げた。だが歌うのは辞めない。むしろその度に音量を上げていった。何度怒られたかなんて覚えていないが、気が付くとその店員がノリノリで俺の音楽を聞いていた。目の前の特等席で。
気が付いたらって言うのは大袈裟な表現だ。店員がノリノリになる前に、そうなるきっかけが存在している。
コンビニの隣には小さなスナックがある。噂では大きな身体のオカマちゃんが人気だと言われていた。夜中に彷徨っているとキスされるらしい。
そういうのは嫌いじゃない。というか、どうでもいい事だと思っている。男とか女とかっていう区別には意味がない。そもそも人間なんて皆が同じで皆が違う。それが全てだ。まぁ、この話は長くなると疲れるからこれでお終いにする。
その日は珍しく昼間から店に顔を出していた。現実は家に帰らず店内で寝泊まりしていただけのようだ。そしてちょうどのタイミングで目を覚ましていた。彼女はすぐに外での騒ぎに気がついた。彼女は敏感なんだ。メイクもせずに寝起きのまま飛び出してきた。
その日が初対面じゃあなかったから、それ程驚きはしない。とはいえあのインパクトには恐れいる。俺としては長い付き合いを予感している。
秘密のお試しライヴにその場所を選んだのには明確な理由がある。彼女が隣にいるのを知っていたからだ。
普段の彼女が昼間店に顔を出すことなんてない。通常営業は夜の十時から。準備なんて殆どしない。九時にならないと店には来ない。だが俺は知っていた。その時間に彼女がいるって。
俺の父親はお酒が好きで、外で飲む事も多かった。家は学校から見ると駅裏から歩いて行ける距離にある。コンビニにも馴染みがあった。オカマちゃんの店も知っていた。泥酔した父親を迎えに行った事もある。その際彼女に口説かれてもいる。頬にキスをしている。そうしないと帰してくれない。まぁ、そういったコミュニケーションは嫌いじゃあない。
お試しライヴ前日の話。父親は深夜を過ぎて帰ってきた。俺は呼び出されなかった。だが事態は把握出来た。オカマちゃんは深酒をした日は始発を見逃す。始発に乗れなければそのまま店で寝て過ごす。満員電車で帰るのは好みじゃないそうだ。
彼女が騒ぎに気がつく事を見越して歌っていたって訳だ。
彼女はコンビニの店員が二度程注意した後にやって来た。俺の顔をじっと見つめていた。きっと気がついている筈だと思っていた。後になって聞いたところ、俺が歌っているとは思ってなかったらしい。見つめていたのは歌声に惚れたから。俺がいい男だからでもある。まぁ、彼女の意見ではだが。
俺を注意する店員に彼女がこう言った。
まずはこの子の歌をちゃんと聞きなさいな。怒るのはその後からだって出来るんだから。
彼女と店員は顔見知りだったようで、一瞬表情を歪ませながらも店員は納得した様子で俺に向かって顎を突き出した。いいから歌えとの合図だと思われる。
俺は素直に従った。彼女に視線を送ると、ウィンクされた。一瞬引いたが堪えたよ。そして思いっきりの作り笑顔でウィンクを返した。
彼女はウィンクを吸い込んだ。お返しに投げキッスでもしようかとの動きを感じ、素早く歌い始めた。流石に投げキッスを受け止めるのは骨が折れる。
俺の歌を聞いた店員は、アニメのように口をアングリと固めた。血走った目が飛び出している。周りの観衆が彼に気が付いていないのがシュールだった。
周りの感情を吸収しながら歌う自分に驚いた。歌は自分の感情を表現する場だと思っていたからだ。自然と身体が反応してしまう。オカマちゃんの喜びや店員の困惑が憑依する。
人前で歌うっていう事はそういう事なんだと思い、気持ちよく三曲立て続けに歌った。
おぉーなんていう声と共に拍手が鳴り響く。オカマちゃんが来る前に歌い始めた時には観客なんていないに等しかった。この時点では七・八人が俺の目の前に並んでいた。
拍手を受けるのは気持ちがいいと知ったよ。思わず手を上げて応えようかと思ったが、止めにした。それで終いかい? そんなオカマちゃんの声が聞こえたからだ。
オカマちゃんだけが拍手をしていなかった。店員でさえ渋い表情のままではあったが、周りを伺いながらも拍手をしていた。
まだまだだよ。俺はそう呟き、即興で「まだまだ」っていう曲を披露した。
やるじゃないの。なんてオカマちゃんの言葉は無視をしてもう二曲続けて歌った。
更に大きな拍手が舞い起きた。人だかりが倍増している。気持ちがよくて思わず姿を曝け出そうかと考えてしまった。学生服姿を見なかったら、帽子とサングラスは外していたと思う。
マスクをしながらでも俺の声は籠らない。だからこの日はずっとマスクをつけて歌っていた。変装に一番適しているのは口元を隠す事だ。外したくはなかった。
学校の誰かにバレるのはまだ早い。将来的にはこの日を伝説にしたいと密かに考えてはいた。だから制服を着ていたし、学年とクラスが分かるバッジを詰襟に付けていた。普段はわざと外しているのに。
店員がノリノリだったのはこの時だ。他の観衆も同じようにノリノリだった。何故だかオカマちゃんだけは腕組みを崩さない。とは言っても顔は正直だ。俺は確かに感じていた。その顔がノリノリだったのを。オカマちゃんは、確かに音を楽しんでいた。
調子に乗った俺は、更に音楽を重ねた。頭に思い浮かんだメロディーを歌にする。レパートリーは尽きていたから、即興しか手段はなかったんだ。
評判は良かった。ノリノリの観衆にはね。オカマちゃんでさえ、否定をしないのは素直に嬉しかった。普段のオカマちゃんは、それは違うんじゃない? が口癖なんだ。
黙って楽しんではいられない輩もいる。誰かが通報したのか偶然賑やかさに気付いただけなのかは分からない。俺の歌とウクレレや観衆の手拍子なんかよりも余程耳障りなサイレンを鳴らして駐車場にパトカーが入り込んで来た。
俺は避けなかったが、観衆は大袈裟に避けてそのまま何処かに散って行く。店員とオカマちゃんを残して。オカマちゃんはわざと足を伸ばしてパトカーに轢かれていた。痛ったーいじゃないのよ! 出てきた警官に掴みかかる勢いで喧嘩を売る。
オカマちゃんの勢いに押され気味の警官を尻目に店員は店へと戻って行った。その際オカマちゃんの耳元で何やら呟いていたが、俺の耳には届かなかった。ただ何となくのニュアンスは伝わった。それは、店員の顔がにやけていたから。
警官は二人で来ていた。一人はオカマちゃんの相手で手一杯。もう一人が俺に近づいて来た。俺は逃げない。そこはコンビニの敷地であって公道じゃない。店員は喜んでいた。つまりは許可を得ていたと同等だ。騒がしいといっても向いの家で窓を閉め切っていれば気にならない程だ。昼間だった事もある。ちょっと元気な日常だ。
だからなのか警官の顔は穏やかった。
けれどまさか、そんな事を言われるとは予想外だったよ。
随分と評判がいいみたいだけれど、一曲お願い出来ないかな?
まさかの言葉に目が小さくなる。
その言葉はオカマちゃんにも届いていたようで、突然静かになった。そして、なら最初からそう言いなさいよねと呟きながらパトカーから離れて行った。それにしても危なっかしい運転よね。そんな言葉は俺にしか届かない。
二人の警官を目前に歌うのは後にも先にもない貴重な経験だと思う。まぁ、二度と同じ経験はごめんだがな。奴等は何故だかずっと拳銃の上に手を乗せていた。それは癖なのかも知れないが、そんな格好で立たれていると恐怖だ。いつその拳銃を掴んで俺に向けるか分からない。
一曲だけで辞めるつもりだった。早く去りたかった。警官が無言の圧力をかけてくる。目の前の観客はいない。少なくとも警官からは距離を開けていた。曲間だというのに拍手が起きない。だが誰も立ち去ろうとしない。遠くから俺の歌を待っていると感じられた。
歌うしかないんだとは感じなかった。歌ってもいいんだなと感じ、歌っていた。消えた筈の観客もいつの間にか戻っている。遠目の観客も摺り足で近づいてきたようで、カメラのズームアップのようにいつの間にかその姿が大きくなっていた。
俺はもう一曲だけで辞めると決め込んだ。最後の曲だと感じながら歌っていると、観客の大きな笑顔の中にほんの少しの哀しみが見えてくる。
俺の感情は、ダダ漏れだって知ったよ。それがいいのか悪いのかは分からない。だがそれこそがロックなんだって感じた。
お試しライヴは大成功だ。警官がいたお陰なのかオカマちゃんが側を離れなかったからなのかは判別出来ないが、観客は誰も近づいてこない。話しかけられる事なく散ってしまったのは、寂しい思いもあるが、身バレをしなくて助かったとの想いも強い。同じ高校の制服は多く見かけたし、同じクラスらしき男女の姿も見とめていた。バレるのは嫌だ。下手な変装をしているから尚更、堂々と俺を曝け出して歌いたいと強く感じた日でもある。
後になって気がついていた奴がいたと知った。しかもずっと知らない素振りで過ごしていた事には腹が立つ。まぁ、それでもあいつは俺のファン一号ってことで免罪だがな。