6
俺にとっての野球はまさにそんな感じだ。テレビや球場で観戦していると、得体の知れない感情が胸に渦巻く。楽しいだけじゃなく、悔しくて羨ましかった。俺もそこに立ちたい。そんな感情を胸に秘めながら観戦していた。町内会のソフトボールにさえ、嫉妬した。俺も出たい。口には出さなかったが、熱意は伝わったようだ。代打で打たせて貰った事が一度ある。
たった一度で終わってしまった事には、明白な理由がある。下手くそだったから。大袈裟な空振りでもすれば後の対応も変わっていたかも知れない。だが俺は、足を振るわせたままの棒立ち見逃し三球三振だ。言い訳のしようもない。実力の全てを見せつけた形だった。
仕方がない。ただ妄想を膨らませるばかりで練習なんてした事がなかった。俺の両親は、どんなに態度で物欲しげにしても、口に出さない限りは何も与えてくれない。食事だってそうだ。
俺が両親に何かをお願いした事はなかった。
音楽は家中に転がっていたから、幼い頃はわざわざ欲しがる事もなかった。自分で手に入れられるようになってからは、それこそ夢中で発掘したが、父親が残した物以外を探し当てる確率は低い。大抵は、後から同じ物が父親の部屋からも発見される。
最大の発見は、ロックナインの存在だ。父親がそれを知らなかった事はあり得ないと思うが、本当に知らなかったのかも知れない。どんなにマニアックな音楽好きでも、野球好きでも、知らない人が多いのが現実だ。
ロックナインは、当然のようにテレビ放送もしていないし、その結果や過程がニュースになる事もない。専門の雑誌さえない。けれど、極稀にレコード屋に行けばその存在を知る事が出来る。普通のCD屋でも、ロックナイン特集が組まれたコーナーが出没する。
初めてその存在を意識したのは数年前の事で、当時は親離れが始まっていた。一緒にレコード屋に入る事はあっても、一緒に物色するなんて事はなかった。
父親とのデートは、レコード屋と本屋と立ち食い蕎麦屋。その三つは外せない。
そのレコード屋で、ロックナインの映像が流れていた。小さな特設コーナー。それまでにもロックナインの文字は目にしていた。いつもは手書きのコメントと共に数枚のCDが飾られているだけ。野球場の写真には興味を惹かれたが、ほんの少し立ち止まっただけで視聴機どころかCDにさえ手は伸びなかった。