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俺の母親は、よく歌い、よく踊る。家の中でも、街中でも構わず踊る。
幼い頃から見ていた母親の姿に、それが当たり前だと感じていた。母親は、歌うもの。雨や風が音楽を与えてくれるのと同じ事だと感じていた。
父親はあまり歌わない。踊りもしない。時々母親に誘われて仕方なしとの態度で歌ったり踊ったりする事はあるが、基本的には静かだ。
母さんがいればそれでいい。それだけでこの世界はとても楽しくなる。そんな言葉を父親から聞いた事がある。
テレビから流れる音楽や街中の音には反応する母親だが、レコードをかける事はしなかった。父親が気紛れでレコードをかけると身体を反応させて喜んでいた。自ら音楽を求めたりはしない。母親にとっての音楽は、作るものでも探すものでもない。ただそこに自然と存在しているもの。風の音や鳥の鳴き声にも身体が反応する。一緒に歌い、踊り出す。
父親が家でレコードをかけるのは、イベント事がある時に多いと気がついたのは最近になってからだ。家族の誰かの誕生日や、クリスマスやお正月、お墓参りやたこ焼きパーティー、うどんの日などにレコードをかける。
大勢が集まった時にテレビをつけると視線が慌ただしい。といって無音だとどんなに楽しく過ごしていても寂しさを感じる瞬間が必ずある。外からの音が聞こえている時はいいが、そんなタイミングに限って風も鳥も止んでしまう。
そんな時にレコードがかかっていると寂しさを感じない。自然にその空気を包んでくれる。葬式場でも音楽は流れているだろ? あの音楽は悲しみを助長させない。そこに音楽がある事を忘れてしまう。