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【Vol.06】

 かつての町田駅は、今は高層ビルも空中遊歩道も、廃墟である。

 JR改札のあったあたりが雑草も抜かれて整備され、露天商のテントが無数に並んでいる。

 武洋は靴屋を探して歩く。

 腰には、ひも。

 ひもの端を握っているのは、蓮。

 どこかのお坊ちゃまが筋肉ペットを散歩させているように見えるらしく、露天商が武洋たちを目を丸くして見ている。

 蓮は安心しつつあるのか、きのうよりは顔色がいい。

 ときおりオモチャやお菓子など、気になる露店があると、ひもを引っぱる。武洋がつんのめる。いや買わないから、と武洋にたしなめられて、ぶーたれた顔になる。

 それでも懲りない。青い目を好奇心できらきらさせて、露店をのぞいて、ひもをひっぱる。

 武洋、立ち止まる。

 蓮を見て。

「そうか。闇市、初めてか」

 蓮、大きくコックリする。

「おまえ、甘いもの好きか」

 蓮、大きく大きくコックリする。

 あー、と武洋、あきらめた顔。

「いいか。ひとつだけ許してやる。ひとつだけ選べ。それ以上はほんとのほんとのほんとに、余裕ねぇんだからな!」

 パァッと蓮の顔が、お日さまよりも眩しい笑顔になる。


 百合ヶ丘あたりの民家にて。

 日が暮れて、西の空が赤く焼けている。

 金持ちらしい大きな家で、大理石の玄関がまだ原形を保っている。玄関床には武洋の靴と、新品ではないが清潔な子供用スニーカーが並んでいる。

 その奥に、リビング。硬化プラステックに木目印刷でもしたのか、寝そべっても崩れない丈夫な床である。快適な床で、夕飯を終えたふたりが寝そべっている。

 蓮はもう嬉しくてしょうがないらしい。ひらべったい直径五せんちほどの、蜂蜜味のペロリンキャンディを握りしめている。透明な琥珀色を、窓からの夕日に透かし、すこしなめ、しみじみ味わい、またすこしなめ。端がかすかに欠けるたび、この世の終わりのような絶望的な顔をする。

 武洋はあっけにとられて蓮を見ている。たしかに貧しい国ではあるが、キャンディでここまで喜ぶ子供なんて見たことがない。もしかして自分はキリストになれるレベルの善行を施したんじゃないかと錯覚しそうになる。

 蓮の親たちの顔を思い出す。王子様のように大切に育てはしたが甘やかしはせず、教えるべきはきちんと教えて育てたのだろうと想像する。

「もう寝ろ」

 苦笑しながら声をかけると蓮は素直にうなづく。

 透明な包み紙にていねいに戻し、枕元に置いて、丸くなって目を閉じる。

 武洋の腰にひもをつなぐのを忘れている。

 ははっ、と笑いだしそうになるのをこらえる武洋。

 妙な解放感と寂しさがある。自分の子供も生きていたなら同じ年だ、とか。世の親たちはみんな子の成長に気づくたびにこんな気分になるのだろうか、などと、想いを馳せて。

 すっかり暗くなった部屋で、横になって目を閉じる。


 寝入った、はずだった。

 真夜中に。

 背中に衝撃を受けて、武洋は飛び起きる。

 暴徒に襲われたかと身構える。

 だが、蓮しかいない。

 蓮もびっくりして飛び起きている。だがその足が、武洋の背中のあったあたりに投げ出されていて。

 察するに、寝返りをうった蓮に、蹴とばされたらしい。

 暗闇で、蓮と顔を見合わせる。

 もいちど寝るか、と、ふたりとも横になる。

 だが目が冴えてしまって眠れない。

 いろいろなことがありすぎて、神経がギラついてしまっている。

 蓮も横になって目をあけている。

 武洋は体を起こす。あきらめた顔で笑う。

「こんな夜は、すこし動くといいんだぜ」

 指をクイクイして、蓮を誘う。


 月明かりの庭。

 武洋が空手の型の、騎馬立ちをする。馬に乗るときのような、内股にきゅっと力をこめた立ち方。

 横で蓮がポーズを真似る。

 それを武洋が、腕や肩の位置を直していく。このポーズを記憶しろ、と。

「日本人の心を伝えるなら、剣道や柔道がいいんだろうがな。おれは空手しか知らないんだ」

 拳という大砲を打つには、足腰という砲台をしっかり固定しなくてはならない。

 蓮に騎馬立ちをさせ、キュッと内股を締めさせる。それから武洋は蓮の胸や肩を突く。

 ふしぎとビクともしない。

 次は内股をゆるめさせてから、もういちど胸を突く。とたんに転びそうになる。

 蓮、騎馬立ちの威力にびっくりした顔。

「空手は琉球で生まれた武術だ。当時の殿様の島津斉彬が、琉球人をいじめぬいててな。刀狩りと称して農具も鍋窯も没収してな。毎日のように島津の兵隊がやってきては畑も女房も踏み荒らしていったんだ。水呑み百姓が何もない空っぽの手で、畑と家族を守るために生まれた武術だ。徒手空拳の中では攻撃に特化している。弱い者の、窮鼠猫を噛むための術だな」

 武洋が姿勢を正す。

 騎馬立ちからの、正拳突き。

 肘をぐっと締め、両の拳を体のわきにつける。左の拳を後ろへ引く、腰からの遠心力で、右の拳を前方へ飛ばす。

 腰の入った一撃、とは。この遠心力をうまく右拳へ乗せた状態をさす。

「空手には種目がふたつある。ひとつは組手。選手同士の一対一の対戦だ。もうひとつは型。空手の技を組み合わせて演武のようにした流れの、完成度を競う」

 武洋が、右拳を打つ。

 シュッ、と風が鳴る。空気が裂ける。

 達人の技は美しい。

 蓮は気迫に圧倒されて動けない。

 やってみろ、と言われて真似る。

 形はいいのだが筋肉がないので当たっても痛くもなさそうな、遠心力もない拳が飛ぶ。

 蓮、ちょっと悔しい顔。

 武洋が自分の掌を、ミットのように立てる。ここをめがけて打て、と。

 蓮が打つ。

 もういちど打つ。

 くりかえして何度も。

「空手の型は、敵が八人いる想定だ。隠れる場所もない広い地形で、八人の敵に囲まれる。八人は刀や鎌の武器を持ってる。自分は素手だ。この状況で、どう動けば八人を倒せるか。一瞬で倒す動きを、スローモーションで演じる」

 蓮の拳が止まる。

 それ見てみたい、と目で訴える。

 ううむ、と武洋は考える。空手の型は数百種類あり、すべてを演じられる者はない。たいていは数十種類を知っていて、うち数種類を得意技にして極めていく。さて、自分の得意技は何だったかな、どれなら覚えているかな、と、遠い記憶を探り。

 んじゃ、ひとつやってみっか、の顔。

 蓮は庭のすみに退く。


 月が降る。

 武洋は庭の中央に立つ。

 空気が凛として、厳かなものへと変わる。

 すぅ、と、息を吸い。

 観客席へ一礼。

 武洋の目線、気の配りから、蓮の目にもはっきりと見える。

 そこは琉球の荒野。八人の敵がいる。今まさに武洋に襲い掛かろうとしているのが。

 武洋の、深い声が響く。

「抜塞大」

 鋼の目が光る。


 音のない世界で。

 交差立ちからの、拳、支え受け。

 わずか五分間の死闘がはじまる。

 幻想的なまでに美しい、八人の敵を殺すための技を。

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