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【Vol.05】

 小田急線の線路沿いの街並み。

 二階建ての古い民家がどこまでも続いている。アスファルトはどこもひび割れて陥没し、土をかぶって雑草が茂っている。腰ほどの高さの雑草群もあり、かきわけながら進む道もある。

 武洋はそろそろ裸足が痛い。

 蓮の靴は乾いているが、お坊ちゃま用の革靴ではこの道は歩けない。武洋の靴をサンダルのようにつっかけて履かせ、自分は裸足になるしかなくて。どこかで闇市が立ってないかと思いつつ。

 武洋が歩く。

 蓮がついていく。

 あいかわらず蓮は置いていかれる恐怖におびえ、武洋から目をそらさないよう必死な顔をしている。それでも少し打ち解けたものがあるらしい。ふたりの距離が、きのうよりも近い。

 武洋は歩きながらラジオをイヤホンで聞き、情報収集に没頭している。ときどき足元を見ていないからか躓きそうになり、あわてて体勢を整えている。

 よろけついでに後ろを見ると、蓮がいる。

 こころなし、足をモジモジさせている。

 えーと、と、武洋が蓮をじっと見る。

 そのモジモジは。

「…しょんべん?」

 蓮、恥ずかしそうにコックリする。

「んじゃ、そのへんでしてこい。待っててやるから」

 武洋、目をそらして空をあおぐ。

 だが蓮は動かない。

 武洋、理解できない顔。

「まさか、水が流れてないとか思ってんのか?」

 蓮、コックリ。

「きのうはどこでしてたんだ。裏手にあった川か?」

 蓮、コックリ。

「どこのトイレも水なんかないぞ。壊れてゴミだらけだぞ。きのうからさんざん風呂もトイレも壊れてるのを見てきただろう」

 蓮、訴える目。

「住んでた河川敷には、川をまたげる水洗トイレでもあったんか?」

 蓮、コックリ。

「あの河川敷から外には出ないで生きてたのか?トイレに帰ってこれる距離までしか遊びに行ったこともない?」

 蓮、すこし考える。そして、コックリ。

 武洋、ついにプツンと何かが切れる。

「おまいはどっかのお貴族さんかよ!男は黙って立ちションだ、バーロー!」


 ものすごくやりづらそうに、蓮、民家のブロック塀へ。

 水音をたてている。

 すこし離れた路上で武洋、鬼の顔して仁王立ちになって蓮の背中をにらんでいる。

 やがて蓮、すっきりした顔になり、ごそごそとしまう仕草。

 服を整え、武洋のもとへ駆けてくる。必死な顔をして。

「おれ、そんなに逃げそうな顔してるかよ?」

 武洋、そろそろ頭が痛い。

「…昼メシにすっか」


 蓮をうながして、そばの民家へ。

 庭先がほどよく崩れて、広場のようになっている。雑草をかきわけると幼児のすべり台や三輪車がみつかる。

 武洋は三輪車に腰かけて、ナップザックから小さなメスティンを出し、固形燃料にくべる。アルミボトルの水とオートミールを入れ、慣れた手つきで煮はじめる。

 蓮はプラスチックのすべり台に足をそろえて座り、両手で白い小鉢を持って、待っている。

 塩すらもない、ただのオートミール。

 やがて沸騰し、武洋は燃料の火を消して中身を蓮の小鉢にあける。

 蓮に半分、地面に置いた自分の小鉢にも半分。

 ふーふーしながらオートミールをなめはじめる蓮を、武洋が見つめている。

 ふと、言葉が口から無意識に。

「おまえ、声が出ないのか?」

 蓮が小鉢から顔をあげる。

 青い瞳。

 まっすぐに武洋を見て、かすかにふるえている。

 おそらくは今、武洋の言葉が蓮を傷つけた。

 武洋、あわてて。

「いや、いい。悪かった。おれとおまえしかいないし、喋んなくていいよ。わかるから」

 たぶん、事件が起こる前は喋れていた。普通の少年だった。

 あんな惨劇を目の当たりにして、心が無傷でいるわけがない。

 武洋は失言を後悔しながら。

 大口をあけて小鉢を傾け、オートミールを一口で流し込む。

「…タンパク質が、食いてぇなぁ」

 空を見上げる。

 鳩が飛びたつ。

 となりで蓮も、同じように空を見上げている。

 武洋を見る。

 ふたり、目と目で、何かが通じる。


 虫の声。

 静寂。

 心が無になっていく、その瞬間。

 予備動作もなくいきなり蓮が、跳ねる。

 宙空へ。

 青空に猫のシルエットが踊り、音もなく着地する。

 口に、スズメが一羽。

「…すげぇな」

 おもわず感嘆。

 そうか猫は待ち伏せ型の狩りをするんだったな、と、どこかで聞いた話を思い出す。河川敷から出ないで暮らせるはずだこりゃ、とつぶやいて。


 真夜中。

 昨日とは違う民家の、朽ちたリビング。

 武洋は敷いたシートにあぐらをかいて、ラジオを聞いている。

 その背中に、蓮。

 横になって眠る姿勢でいるが、青い目がらんらんと光り、眠れない。武洋のシャツの裾を握りしめているが不安でいっぱいの顔をしている。

 土間にはメスティンと小鉢が重ねてあり、横にはスズメの骨などが数羽分ほど積んである。

 むくり、蓮が体を起こす。

 すみに落ちていたビニールひもを拾ってくる。

 武洋の腰に腕を回して、ひもを結ぶ。そのひもを握りしめて、にんまり。

 ようやく安心した顔で、目を閉じる。

 武洋、複雑な顔。

「おれぁ犬かい」

 ラジオからは雑音とともに、気象情報、闇市情報、米軍の動きなどが流れている。

 武洋、集中して聞く。

 ピピ…、ガガ…、の音に交じり、キャンプ情報がついにヒットする。

 市ヶ谷駐屯所、大井競馬場、代々木公園などに混じって、御苑の名もあがる。

 知りたいのは、子供を単独で受け入れる体勢があるのかどうか。贅沢を言えるものなら診療所と学校もほしい。

 武洋は鉛筆で、連絡先をメモしていく。雑音がひどくて聞き取れないのを精神力でカバーしながら。


 夜が更ける。

 ふう、と一息つく武洋。

 背中にぴったり貼りついて丸くなっている蓮を見る。

 安らかな寝顔。

 あどけないなと微笑む武洋、だがすぐ微笑みが消える。

 蓮の目尻にひとつぶの涙。

 指でぬぐってやる。

 窓からの月明かりに、指の上のひとつぶが光る。

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