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【Vol.04】

 蓮と一緒に夜道を歩きながら、思う。

 あれはいくつの時だったか。


 電気がなくなった日、武洋は十二才だった。

 通っていた小学校は休校となり、授業再開される日は来なかった。だから武洋の学歴は小学校中退となる。以降の子供たちはみな公立校へは通えていないから、これでも高学歴のうちに入るかもしれない。

 父は電機メーカーの研究所の所員だった。まだ新エネルギー開発に予算を割く力が残っていた時代。民間研究所の最後の希望として研究を進めていたが、研究所からの一時帰宅のときに暴徒に襲われ、亡くなった。母はその翌年に後を追った。武洋を育てるために新宿御苑の難民キャンプに身を寄せながら、まだ畑の残る群馬などへ食料の買い出しに通い、過労と心労に耐えきれずに逝った。

 武洋は初めのうちはそこらの浮浪児たちとともに窃盗などして食いつないでいたが、米兵にとっつかまって殴られて顔が倍くらいに腫れあがった。その日に窃盗からは足を洗った。同じ殴られるならと、殴られ屋家業を始めた。

 ただ生きる、それだけで精一杯だった。子供たちに空手を教えてくれるような親切な爺さんもいたが、おおかたの大人は子供相手に強盗するような敵だった。

 それでも同じ地獄に住む同士、出会うものもあった。

 容子。

 もう顔も忘れた。おっぱいが大きかったことだけ覚えている。

 居心地がよくて、一緒のテントで暮らした。

 ある日、容子に言われた。

 子供ができたと。

 どうしたらいいかわからなくて、武洋は逃げた。

 自分すら満足に養えない世界で、女と赤ん坊を守って走る自信がなかった。

 十八才の時だった。


 御苑のキャンプからも逃げ、かつて思い出横丁といわれた界隈で寝泊まりするようになった。物騒で不潔で、夜も熟睡したとたんに巨大なネズミに足をかじられるような場所だった。

 メチルアルコールで作った違法な毒酒を飲ませる場所で、酔客相手に殴られ屋をした。

 難民キャンプから一キロメートルも離れていない場所だったからか。

 風の噂で武洋の居場所を知り、訪ねてきた男がいた。

 シンという、容子に惚れてた男だった。小柄でツリ目で、とがった攻撃的な顔つきをしていた。

 表に出ろ、とシンに言われた。

 思い出横丁の屋根もとうに朽ちていたから、どこだって表じゃねえか、とまぜっかえしたら、殴られた。

 言われるがまま、かつて山手線の高架線路だったところのガード下、今では人殺しの顔した浮浪者ばかりの界隈に連れ出された。

 胸倉掴まれ、シンに言われた。

 容子が子供を堕ろした、と。

 闇医者にかかり、二度と子供が産めない体になった、と。

 懸命に生きようとする胎児にメスを入れるのだ。電気のある時代に大病院で手術するのであっても二度と子供が産めない体になることも珍しくない。ましてやこんな時代に闇医者では。母体が生きてただけでも運がよかったほうだろう。

 シンに殴られた。

 その気になれば三秒でマットに沈められる程度の拳だったが、武洋は殴られ続けた。何度も。何度も。かつて米兵にとっつかまった時よりも顔が腫れたが、殴り返せなかった。

 容子は夜になると泣くのだという。

 腹の中にいた命を、我が子を、体の奥にあって四六時中ずっと感じていた心臓を、自分の手で潰したのだ。私は人殺しだと、涙をこぼしつづけているのだという。

 赤ん坊のかわりにおまえが死ねば良かったのに、とシンが言った。

 まったくそのとおりだと武洋も思った。

 二度とこの界隈に現れるな、偶然でも容子の目にふれるところで生きるな、と言われたから。

 武洋は翌朝、東京を離れた。




 夜道を歩く。

 うしろから足音が聞こえる。

 あれから何年経ったのか。赤ん坊が生きていれば、蓮と同じくらいの年だろう。

 武洋は後ろをふりかえる。

「年、十四だったっけか」

 蓮の目がじっと武洋を見る。瞳の青さが闇に浮かぶ。

 チョコレートの最後のひとかけらを口に入れてから蓮は、コックリする。

「生まれた時から猫だったのか?」

 蓮は首を横にふる。

 ということは後天的に、成長しながら猫化したのか。

 あの夫婦とは実の親子だったのだろう。

 人でも猫でもかまわない、大切な命として育てられたのだろう。

 けれどそのことを口に出すほど、あの惨劇を思い出させることを話題にするほど、武洋は無神経ではなかった。

 そばの民家を目で示す。

「今夜は休もう。もう、どこでもいいからさ」

 蓮は張りつめた緊張した顔で、武洋を目で追う。あとをついてくる。


 崩れかけた民家に押し入る。

 床もほぼ腐っているが、奇跡的に屋根がある。

 眠っているところを見つかったら暴漢に襲われるので、どこでもいいから身を隠したい。朽ちて乾いてほぼ土と化している床に、ビニールシートをふたつ敷く。ひとつは自分に。もうひとつは蓮に。

 さあ寝ろ、と、蓮をうながして横になる。

 けれど蓮は、自分のシートに横にならない。

 目を閉じたら武洋がいなくなるとでも思っているのか。横になった武洋の、わきの下にもぐりこんできて丸くなる。

 目が点になる武洋。

 そうか、こいつは猫だ、と思い至る。

 蓮は武洋の腕に爪をたてて逃がすものかとばかりにしがみつく。フシャー、と虚空を威嚇してから、ようやく目を閉じる。

 武洋のほうは寝心地が悪くて困惑しているが、疲れには勝てず、眠りに落ちる。




 翌朝。

 蓮が目を覚ますと、武洋がいない。

 ギョッとして戦闘モードの目になり、飛び起きる。

 すると、土間のふちに腰かけた武洋と目が合う。

 蓮、ホッとする顔。

 武洋は困ったように笑う。どこにも行かんから安心しろ、と。

 枕元には、オートミール粥。

 近所のどこかから朝一番で汲んできた水で、オートミールを煮たらしい。

 食え、とうながされて蓮、小鉢に口をつける。

 武洋は掌ほどの大きさに組まれた無電源ラジオにイヤホンつけて聞いている。

 不思議そうに武洋を見ている蓮へ、自慢そうに言う。

「AMじゃないぞ。FMだぞ。おれが作ったんだ」

 承認欲求は人類の本能なのだろう。どんな時代にも何かを発信する人間はいる。今の時代はネットにかわり、違法な海賊ラジオ局が横行している。技術のある者たちが集まっては顔の見えない遠方の誰かと情報交換したがるのは、ハム通信の時代から変わらないらしい。

「じつはおれ、もうじき捕まるんだわ。だからその前に、おまえさんの安全を確保しなきゃならなくてな。たぶん御苑のキャンプはまだ機能してると思うんだがなぁ」

 ぶつくさ言って周波数を変え続けながら。

 キッチンで錆びてるレンジを示す。

「粥、食えるか?大昔ならレンジでチンとかしたらしいんだけどな。おれが子供のころはあんな箱から温かいもんが出てきたんだぜ」

 はははと笑う武洋。

 蓮はキッチンへ行く。物珍しそうにレンジをなでて、コンセントをつかむ。

 むんっ、と蓮がつかんだ手に力をこめる。

 すると、レンジが通電。光りながらターンテーブルが回る。

 武洋、飛び上がる。

「やめろ!」

 怒鳴ってキッチンへ飛んでいき、コードごと奪う。

 今、何が起きたのか。

 武洋は理解できない。

 蓮は、なぜ自分が怒鳴られたのかが理解できない。

 ふたりとも硬直。

 蓮はおびえている。

 そして数秒後。

 ようやく正気に返った武洋が、コンセントを蓮に渡す。

「もういちど、してみてくれるか?」

 蓮、武洋を下からのぞいて機嫌をうかがう。

 目に涙が浮かんでいる。

「大声を出して悪かった。謝るよ。もう怒らないから」

 蓮、うなづいて。

 もういちど、コンセントをにぎって力をこめる。

 するとまた庫内に灯りがつき、ターンテーブルが回りだす。

 武洋、おどかさないよう静かにその手を制して止めさせる。

「もういい。わかった」

 コンセントを手から外させ、かわりに武洋が蓮の手を両手で包む。

 目を見て、ゆっくりと。

「おれがいいと言うとき以外は、この力は使うな。約束してくれ」

 蓮、深くうなづく。

 武洋、まだ動悸が止まらない顔。

「とんでもねぇな。静電気どころじゃねぇ。交流電気を作れるんだ。軍のやつらが血眼になるはずだぜ」

 必ず蓮を、どこかの安全なキャンプへ送り届けなければならない。おそらく米軍につかまったら実験用ラットより酷い目にあわされる。丁重な客分扱いなどしないのは、あの河川敷の死体の扱いをみれば察しがつく。

 ユダヤ大国、アメリカ。

 かつて自分たちがチョビ髭の総統にされたのと同じことを、蓮に対して、するだろう。不老不死の軍隊を作るために非道な実験をくりかえしたのと同じことを。

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