【Vol.02】
日が暮れていく。
米兵どもがうろつく河川敷で、じりじりと時間が過ぎていく。
武洋はわざと最奥のテントから顔をそらして立っている。河原へ降りていく土手のコンクリート階段の下で、興味なさそうな顔をとりつくろって。
照りつける太陽が沈みはじめる。
やがて五人の米兵どもが集まってきて、ガッデム、などと口々に言いつつ土手のほうへ引き上げてくる。あとは明日だ、さっさとシャワー浴びて寝ようぜ、と。
五人がぞろぞろと去ろうとする。階段のふもとにいた武洋、最後のひとりへ声をかける。
おい、報酬をよこせ、と。
米兵がつまらなそうに振り向く。迷彩色の軍服の胸ポケットから煙草ほどのサイズの銀色のケースを出す。蓋をあけ、一ドル札を五枚、数える。
ほらよ、と。
米兵は手で渡すのも面倒だったのだろう。紙幣を地面へ落とす。勝手に拾え、と。
やつらの背中を見送って、武洋は雑草の中から紙幣を探して拾う。
無表情で。五枚を数えながら。
あたりを見回す。
まだ人通りがある。
明るいうちに獣人を引き上げるにはリスクがありそうな空気感。
暗くなりつつある厚木米軍基地。
US.NAVY。座間基地ではなく神奈川綾瀬市にある巨大なほうの基地である。海上自衛隊が敷地のすみを間借りしている関係からか、ここに日本人向けの難民キャンプが作られている。東京ドームほどの広さの空地に、何千あるかわからないがピラミッド型の軍用テントが並んでいる。
キャンプ地の横に、滑走路。
地平線まで続く滑走路へ、軍用機が帰ってくる。海軍艦載機のF一八はこの時代も健在だ。
一機、また一機。
圧倒的な力の差を見せつけるように。
耳が潰れるほどの轟音をたてて着陸してくる。
武洋はゆっくりと歩く。
区画分けされたテントの間をぬって、走り出したいのを我慢して、つとめて平静を装って。
どれもみな同じようなカーキ色の三畳ほどのテントだが、なぜかみな迷わずに自分にあてがわれたテントに出入りしている。ちょうど夕飯時なせいかどのテントも入口前のスペースで、七輪のようなもので食べ物を焼いている。たいていはキャベツなどの野菜にオートミールを混ぜて煮たものなどだが、たまにベーコンが手に入ったテントからは良い匂いがしていて、隣のテントの住民にからかわれていたりする。
武洋も、自分のテントに辿りつく。
入口の幕をあげると、殺風景な佇まい。米軍払い下げで血のついたままの寝袋と、数枚の着替えとタオル。どこから拾ってきたタオルだったかも思い出せないほど愛着もない。さきほどまでいたダンボールハウスのような温かみはまるでなく、これがおれの人生か、と自嘲する。おそらく今夜武洋が消えても誰も心配しないだろう。流れ者がまたどこかへ消えたと思われるだけで。
おれは今、何のために生きているのだろう。
そんな考えがちらりと頭をよぎり、すぐに打ち消す。
今はあの獣人の子供を、どうにかしなければならない。何か食べさせて、どこかへ逃がしたい。いずれどこかで捕まるだろうが、それが自分の目の前でなければ良い。
武洋はテントの中を見回す。
すぐに食べられる物はない。全財産が入ったナップザックにはオートミールが三袋だけ。テントの隅には空のメスティンが転がっている。
武洋は尻ポケットの銀色のケースを出す。さっきの報酬の紙幣が入っているのを確認し、わずかな家財を放り込んだナップザックを肩にひっかけてテントを出ていく。
基地内に、売店が軒を連ねる区画がある。難民キャンプからは離れた、米兵用の購買エリアである。駅前アーケードが穴だらけのコンクリ造りになったような様相。横幅二メートルもない小さな店舗がどこまでも連なっている。
時間外で誰もいない。だが遠くから物音がしている。
そこはコーヒーショップで、豆の匂いが濃く漂っている。
武洋は紙幣を指ではさんで音のする物陰へ行く。何か食べるものと換えてくれ、と言いながら。
店の奥、衝立の裏をのぞく。
そこには米兵がいる。腫れた顔から血を流して横たわる金髪女にまたがっている。
武洋、カッとなる。いつもなら見なかったふりをして立ち去るのに。なぜかこの時は、獣人の少年のことで頭がいっぱいで。
理性のタガをはめそびれる。
何も考えていない、脊髄反射。
米兵を殴り飛ばす。
女は悲鳴をあげ、米兵を突き飛ばして服を拾って逃げていく。
武洋は信じられないものをみる目で自分の拳を見る。
鈍い重い感触。
米兵は吹っ飛ばされて壁に頭を強打している。ぐったりして動かない栗毛のそいつに駆けよる。
白目をむいて、口から髄液が流れている。意識はない。
さっきの女が警官を連れてここへ戻ってくるのも時間の問題だろう。
店の中を見回す。
米兵のものだろう軍用リュックが床に転がっている。拾って中を見れば、財布と、チョコレート一枚が入っている。リュックのそばにはXM5。軍用公式ライフルである。これは女を脅すために持ってきたのか。
足元に、コーヒー豆を運ぶ麻袋。ライフルを入れるのにちょうどいい。
武洋はライフルとチョコをかっぱらって麻袋に入れ、自分のナップザックと一緒に肩にひっかけ、闇に消える。
中津川、河川敷。
誰もいない。
中年夫婦の死体も転がったまま、川の流れる水音が響いている。
あたりをうかがいながら武洋は、最奥のダンボールハウスへ向かう。
とはいえ、子供はもうそこにいない気がしている。木の板の上にはマット類しか乗せていない。内側から押せば自分でも出られる構造になっている。おそらくは作ったのはあの夫婦だろう。脱出方法は子供にも教えているはずである。
音をたてないようマット類をどかしていく。
最後に木の板を外す。
そこに、まだ少年がいる。
気が遠くなっているのか反応が鈍い。だが、まだ生きている。ゆっくり、うっすらと目をあける。
そして武洋を見て、青い目を大きく開く。
なぜ逃げなかったのだ、なぜおれを信じたんだ、そう聞きたかったが。
すがるような色をうかべる瞳に、言葉が詰まる。
武洋、穴から子供を抱きあげる。
お漏らしをしてしまったようでズボンが濡れているが、恥ずかしがる気力も失せた白い無表情。人形のように抱っこされている少年へ。
武洋が小声で、耳元へ。
「遅くなって、ごめんな。チョコレートを持ってきたから許してくれな」
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