【Vol.19】
【Vol.19】
別れの朝。
いつものようにメスティンでオートミールを煮て、半分コして、武洋と蓮が並んで食べる。
武洋、浮かない顔。何かを考えているような。
食べ終わり、空を仰ぐ。
うーん、と唸り。
蓮を指でちょいちょいして呼ぶ。
「気のせいだとは、思うんだがな」
階段を降りていく。
六階。フロア入口の暗証ボックスは、武洋の拳の形に割れている。
フロアに入っていく武洋。
ついていく蓮。
奥に、デスクを四つつなげて大テーブルにしたところがある。武洋がテーブル組んだらしい。その上いっぱいに、大きな図面が広げられている。
設計図。というよりは配線図である。ビジネスビル向け光配線システムの構築図。
「どう思う」
武洋は考え込んでいる。
蓮、読み方もわかんないよと言いたげな不満顔。
ああすまん、と武洋。
「都庁の設計図だ。建築のじゃない。NTTが請け負った、インターネット回線の配線システムな。そんで…」
図面を指さす。
「第一本庁舎は地下三階までのはず。けどこの図面では地下が五階まである。地下四階はビル維持施設のための機械が設置された専用階だから除外するとして、さらにその下に階がある。これの用途がわからない。五階だけが外部へのネット回線がない。地下三階から無線を拾うことはできるだろうが、無線の受発信機の設置場所はない。三階とは距離もありすぎる。各端末はすべて有線で構築されている。無線より有線のがセキュリティレベルが高いからな。情報通信面しかこの図面に書かれていないが、外界から隔絶された世界があるように見える。しかも、七階との専用連絡線だけはある。七階にあるのは都知事室だ」
「…?」
「地下に、何か秘密の施設があってもおかしくはない」
「…」
「秘密といえば軍事や諜報だが、都は軍隊は持ってない。地下五階に何があるのか、わからない。どうせ蓋あけてみりゃただの物置でしたなんてオチだろうとは思うんだがな。それなら都知事室に専用線を作る意味がわからない。普通の業務フロアなら関連他部署に回線を繋ぐべきだろう」
「都知事のための部屋?」
「都知事が地下で何をするんだ?」
「蜂蜜味のペロリンキャンディをなめるため?」
「…」
気をとりなおして武洋。
「ビルが設計されたのは一九八六年。ミスタの党が就任したのがはるか後の年。何かあるとしてもミスタの意志で作られたものじゃない。だが、もとからあった物置をミスタの思惑で別の施設に改造した可能性はある」
「ぼく、どうしたらいい? 行かないほうがいいかな?」
「アホぬかせ。おれと心中する気かよ」
軽口をたたきながら腕組みして考え込んでいる武洋。自分の失言に気がついていない。
蓮はその一言で、凍る。ずっと不安に思っていたことが当たったような顔。
武洋をみつめて言う。
絞り出すような声で。
「ぼくはあなたのために、何ができるの?」
んあー、と武洋はすこし考えて。
笑う。
「幸せでいてくれ。それだけだ」
さてドライブの時間だぜ、と。
ビルの外へ出る。
妙に陽気な武洋が、床に散らかっているブレーキオイルなどの缶を足でどけながら車に乗り込む。
自家製の装甲車。蓮は助手席、武洋は運転席へ。
いつもと同じ顔。いつものノリ。
だがどこか落ち着かないものがある。
蓮は助手席でナップザックをあける。IDタグのペンダントをとりだして首にかけ、服の内側へ隠す。いつも武洋がしていたように。
「車に乗るのは初めてか?」
「うん」
「おれも運転するほうは得意じゃないよ。おまえと同じ年くらいの頃、米軍ジープの部品かっぱらって売っててな。仕組みのほうはなんとなく覚えてたんだけどな」
えーとどっちがアクセルだ、と。怖いことを口走りつつ。
エンジンは入っている。蓮がバッテリーの代用をした。
のろのろと装甲車が走りはじめる。
ローギアのままである。
車は靖国通りをのろのろと進みはじめる。最初はいろいろとオイル系が回っていなかったようでエンスト寸前の走りだったが、しだいにスムーズになっていく。
フロントの小窓からは、通行人がびっくりして車を何度もふりかえっているのが見える。オフィスデスクの天板のお化けみたいなのが歩くような速度で動いているのだから無理もない。
迷彩柄のシャツを着たレジスタンスの若い美人が、車を正面から見て目を丸くしている。
武洋と目が合う。
ばいばい、と笑って小窓から手をふると、美人もつられて手をふりかえす。
新宿一丁目の交差点で、レモネード売りの屋台が出ている。
いいなぁ、の顔で見ている武洋、蓮に言う。
「レモネード、いらない?」
蓮、こんな時に何言ってんだ、の顔。
「あんまり欲しくない」
「甘いよ?」
「そういう気分じゃない」
そうかぁ、残念だなぁ、と言いつつ。
武洋はハンドルを左に切る。
辻で、もういちど左にハンドルを切る。
さらに次の辻でも。
そして元の靖国通りに戻る。ゆっくり走ると、左手に同じ屋台が見える。
武洋が言う。
「レモネード、いらない?」
車をアイドリング状態にして路肩に停めて、屋台のそばに立つふたり。
グラスに差したストローで、レモネードを飲む。
呆れ顔の蓮。
「まったくコドモなんだから」
すこし浮かれている武洋。
「だって飲みたかったんだもーん」
陽はまだ昇りきっていない。待ち合わせの正午までには時間がある。
ゆっくり、ゆっくり、味わって飲む。
こんなところで売っているのに氷も入っていて、冷たくて美味い。
風が吹いている。
蓮も、味は好きらしい。気持ちよさそうに陽を浴びている。
やがて、レモネードがなくなる。
ふたり、売り子のお婆さんにグラスを返す。
さて行くか、と武洋。
蓮は武洋をみつめて動かない。
どうした、と振りかえる武洋に、蓮が抱きつく。
思いをこめて。
そして。
自分から腕をほどく。
泣きそうになるのをぐっと我慢して、もう大丈夫、といいたげな顔を作る。
武洋が腰をかがめて蓮の顔をのぞきこむ。
心から嬉しそうに。
「おまえ、いい顔になったなぁ」
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