【Vol.18】
「ガソリンが欲しい」
武洋がしゃがみ、テントの爺さんに声をかける。
半分眠っていたらしい爺さんが、うさんくさそうに瞼をあげる。
「ドルは?」
「ない。こいつでどうだ」
武洋は肩にぶら下げたアサルトライフルを示す。
爺さんがライフルへ手をのばそうとするのを武洋が片手で押しとどめる。
「何リットルと交換だ?」
「十リットル」
「ふざけんな。他行くぞ」
「わかったよ。二十でどうだ」
「三十」
「嫌だ」
「三十だ」
「…」
老人、金属の携行缶を片手で背中に隠そうとする。
そしてもう片手で武洋のライフルに手をのばそうとする。
とんでもないジジイだなとボヤいて武洋、彼の手をはねのける。
「三十だ。ライフルと交換だぞ。そっちにゃ破格の取引だろう。欲張るな」
「あんた、歩いてきたのかい」
「聞いてどうする」
「あんたの車ぁ、ガス欠かい。ここから近いところに停めたのかい」
「話す気はない。おまえの手下に襲われたら困る」
「三十は、重いよ。二十キロもあるよ」
「問題ない。よこせ」
爺さんは大事そうに携行缶を抱きしめている。だが、やがてあきらめたように缶を武洋のほうへ押して寄越す。
武洋は爺さんを押しのけて缶の蓋をあける。
「あ…! あ…!」
あわてて缶にしがみついてくる爺さんから缶をガードし、目の前で匂いを嗅いで中身を確かめる。
ガソリンの匂いである。色は薄いが充分に使える。
「わ…! あぁ…!」
枯木のような爺さんがじたばたと、ライフルに手をのばしてくる。
蓮の尻の下にある麻袋へ。
迷惑そうに蓮、爺さんをよける。
武洋は麻袋ごと、爺さんへ放る。
「中身を確認しろ。よければおれは帰るぞ」
爺さんは麻袋に飛びついてライフルを手に取る。チャンバーをガチャガチャいわせ、安全装置や引金をさわる。
武洋は立ちあがる。
巨体がいきなり目の前に現れ、爺さんはギョッとする。
武洋の姿におびえ、だが両手でしっかりとライフルを抱く。
「取引成立。いいな?」
爺さん、コクコクうなづく。
武洋が爺さんに背中をむけて歩きはじめる。
爺さん、武洋の背中にライフルをむける。照準を合わせる。
発砲。
だが。
ひどい爆音。ライフル暴発。
爺さんは腰をぬかして倒れてアワアワしている。
肩に蓮を乗せたまま、武洋がふりかえる。
大きな手がいくつもの金属片を、チャラっと上に投げてお手玉のようにキャッチしてみせる。
武洋の手中にあるのは、数個のライフル六・八ミリ弾と、ネジひとつ。分解清掃した時に締め忘れていたネジである。
呆れた顔で爺さんを見下ろして言う。
「弾まで売るとは言ってないぜ。一個サービスで入れといてやったけどな」
指でネジを弾く。
宙を跳ねてネジが爺さんの手に落ちる。
ああいう卑怯なオトナになっちゃいけねぇなぁ、と蓮に言いつつ、武洋のシルエットが人混みに消えていく。
真夜中に。
蓮が丸くなって眠っている。いつものビニールシートと、フロアのどこかから拾ってきた毛布をその上に敷いて。猫らしく、丸くなって目を閉じている。
そばのデスクに武洋がいる。オフィスチェアの座面にあぐらをかいて。魚脂で非常用ランタンを灯して、デスクで作業をしている。
時折ちらりと床の蓮を見る。
眠っている気配を確かめ、また作業に戻る。
小さな欠片をランタンの灯りに透かし、考えながら、何かを組んでいる。
蓮が薄く目をあける。
眠りたくて目を閉じていたけど眠れていない、そんな顔で。
丸くなったまま、武洋の背中を見ている。
ぼんやりと。
ランタンの灯りに引きよせられた羽虫が、ジジ…、と音をたてて焼かれて落ちる。
武洋が蓮をふりかえる。
しょうがないやつだな、と笑う。
「眠れないか」
蓮がうなづく。
「明日は長い一日になるもんな」
蓮が武洋の背中を見ている。
その風景を記憶に焼きつけようと、一心に。
武洋の指の中で細工されているのは、奥歯である。ずっとマイクロチップを隠してきた、あの歯である。
ピンセットでつまみ、武洋が奥歯を修復している。接着剤で継ぎ、パテで割れ目を埋めている。
蓮の視線がデスクの上に移る。
それは何だろう、と。
視線に気づいて、武洋が言う。
「日本人は宗教遺物に弱いからな」
デスクには、遺骨などを入れるアルミのキーホルダー型カプセルがある。
武洋がカプセルの蓋をとり、中身をコピー用紙の上にあける。おそらくは人骨だろう白い砂が、ひとつまみほどの小さな山をつくる。
両手をあわせて武洋は拝み、薬包のように包み、腰のポケットに入れる。
蓮を見て、
「おれの親のお古で、すまんな」
空いたカプセルに奥歯を入れる。さらに自分の髪を先だけ切り、奥歯の上に入れる。
「万が一誰かに見られても、これなら盗まれにくいと思うんだがな。ま、念のためだ。どうしても必要な時がきたら使うといいよ」
完成した遺骨カプセルを、IDタグに重ねる。自分のタグ、容子のタグ、カプセル、三つを一つのリングにつないでペンダントにする。
「たぶんおまえ用のIDは新しく発行してもらえると思うんだがな。もらえなかった時のためにな」
武洋のチェアの足元に、ずっと一緒に旅をしてきたナップザックがある。武洋はそれを床から拾い、中身を確認する。蓮の着替え。蓮の宝物らしいペロリンキャンディの包み紙。花火の焦げカス。そこへIDタグのペンダントも入れる。明日の支度だ、忘れんなよ、と笑って。
武洋の仕草を蓮が見ている。真剣に。
武洋が椅子から下りてくる。
デスクの引出しにもたれて、床にあぐらをかく。
「ありがとな。おまえのおかげでおれは今、本当の意味で生きることができてるよ」
静かに笑う。
デスクの上に手をのばし、ランタンを消す。
闇の中。
丸くなっている蓮の、頭をなでる。
「ひとつ、話をしていいか」
蓮は返事をしない。
じっと見あげて、聞く態勢でいる。
「むかし、太平洋戦争があった。アメリカに負けた。それから日本はずっと属国だ。マッカーサーがGHQを率いて日本に来て占領した。この時マッカーサーは、天皇ヒロヒトの死刑を決めていた。敗戦国のトップだからな。定石だろう」
蓮の頭をなでる。
猫の毛って気持ちいいなぁと笑いながら。
「ヒロヒトがマッカーサーのもとへに面会に来た。マッカーサーは命乞いにきたと思ってヒロヒトを雑に扱った。けどヒロヒトの用件は違ってた。自分は死刑を受け入れるから、すべてを渡すから、国民の暮らしを気にかけてほしい。敵国の占領軍の長に対して最大限の礼を尽くして頭を下げたそうだ。マッカーサーはヒロヒトに感服してな。死刑回避に奔走らしい」
お伽話でも語るような、穏やかな声。
ブラインドの隙間から月がこぼれる。
「これだけは覚えていてくれ。おまえは日本人だ。天照大神の末裔が命がけで愛してくれた、この国の民だ」
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