【Vol.17】
外へ出るのは二日ぶりか。
ビルの玄関扉、コンパネで組んだバリケードをどかす。ずいぶん長いこと太陽を浴びてなかった気がする。
よく晴れている。
扉の外で、おもいきり伸びをして深呼吸する。背中から灰色の埃が舞い上がっているような錯覚があるが、それでも自由を感じる。開放感がすごい。
隣で蓮も、同じように伸びをしている。
目を交わす。
気持ちいいなぁ、と言葉にしなくても目が伝え合っている。
あたりを見回す。
太田は約束を守って、すぐに見張りを引き上げてくれている。今のこの段階で約束をナシにされたら困るのは武洋のほうなので、見張る必要もなくなったのだろう。
武洋は裏通りに面した駐車場へむかう。
ここへ入ってくるときに見た、エクシオの社名入り作業車が、変わらず停まっている。
NTTの仕事の半分は全国の電話網を敷設管理する土木工事で、実際に現場で工事をするのがエクシオなどの提携企業である。彼らに下請けという言葉は似合わない。社名は一般には知られてないかもしれないが、従業員数も職人たちの技術レベルもNTTを凌いでいる。
武洋は二台の車を点検する。
高所作業用のバケット車とハイエース。
考えるまでもないか、と、ハイエースを選ぶ。
彼らがなぜ自社ではなくここに車両を停めたのかはわからない。ガソリンもオイルもウォッシャーも何もかもが抜かれて整備され、タンクが腐ることもなく美しいミイラになって眠っている。乗り捨てていったのではなく意図的にここで眠らせるつもりで支度された佇まいである。窓ガラスはすべて割れているので侵入も容易い。
運転席と助手席の、ガラスの破片や埃を取り去りながら、一緒に作業しようとする蓮へ言う。
「疲れただろ。おまえは休んでていいぞ」
蓮、コックリする。
そして武洋の背中に乗る。
肩越しに作業を見物しはじめる。
「もいちど言うぞ。おれの背中を巣にするな」
しかし蓮は聞こえないふり。ぎゅっと肩をつかんで離さない。
ああもうどうでもいいかと武洋、作業を続ける。
蓮が言う。
「友達って、誰?」
「…なんだ?」
「書類を預けるって、さっき言ってた」
「ありゃ嘘だ。おまえも口裏合わせておけよ。おれには取引先はいるが友達はいない。秘密を抱えて生きるってな、そういうこった。近づきすぎるとボロが出る。おれにも相手にも、いい事ない」
「寂しくない?」
「一度も会ってないのに共鳴する秘書官もいりゃ、一緒に暮らしても愛せなかった女もいる。ベタベタしなくても絆は作れる」
ぼくはさみしい。いっしょにいたい。
けれどその言葉な声にならない。どうにもならないことはあるのだと呑んで前に進むしかないことを、小さな頭で理解している。
ぎゅう、と蓮の指が武洋の肩に食いこむ。
ハイエースはほぼ清潔に、シートに座れる程度にはなる。
鍵も壊した。あとはエンジンとオイル類を入れればおそらく走るだけは走るだろう。
御苑の方角から硝煙の匂いが風に乗ってくる。
自警団の抵抗が激しく、いまだ鎮圧されてないらしい。シンの無事はわからない。してやれることも何もない。
武洋は蓮を乗せたまま、四谷ビルの二階フロアへ行く。手近なデスクを片っ端から天板ひっぺがしていく。十数台ほどスクラップにして天板をまとめて駐車場へ運び、それをハイエースに溶接しはじめる。びっくりするほど不格好だが、装甲車である。車の外側は天板を二枚重ねにして覆う。内側は倉庫の床材から剥がしてきた分厚い鉄板を重ねて補強する。フロントだけが十センチ二十センチの穴をあけてある。
背中に蓮。
いるかどうかは重さでも感触でもわかるだろうに、武洋は作業の合間に手をやって頭をなでて、蓮の存在を確かめてから作業を続ける。
蓮のほうもなでられるたび安心した目になる。
「なぁ…」
武洋が言う。
どこか遠い空を見るような目で。
「親御さんのこと、思い出すだろ」
蓮、ぎゅっと武洋の肩に爪をくいこませて。
小さくうなづく。
「愛された子供は強いんだ。困難にぶちあたった時、自分を信じて前に進める。自分はあんなにも愛されたんだ、愛される価値があるんだ、だからこの壁も乗り越えられるはずだ、て。理由もないのに自分を信じて、知らない世界に向かっていける」
大きな手を背中へ伸ばして、わしわしと頭をなでる。
温かい大きな手で。
「大丈夫。おまえは生きるよ」
まるで自分に言い聞かせているように。
夜。
すこし歩こうか。
武洋が誘う。
蓮は嬉しそうに飛んで背中に乗る。
甘えんなよ自分で歩けるだろ、と言いつつ武洋も、蓮を降ろそうとしない。
装甲車は極太チェーンで門扉にくくりつけて繋いできたが、あんな不格好だわ走らないわなんてのをかっぱらう者もないだろう。
月が出ている。
雲ひとつない夜空から、まるい月の光が静かに降る。
ふたり、何も言わない。
このまま眠ってしまう気になれなくて。
ゆっくりと、おたがいの存在を感じながら、ただ歩く。
靖国通り。
このまままっすぐ西へ歩けば、歌舞伎町へ出る。
夜の歌舞伎町。
あまり治安のいい地域ではない。
すれちがう人々より頭ひとつぶん背の高い、筋骨隆々とした男。鷹狩の鷹のように肩に猫型獣人を乗せ、悠々と歩いていくさまは、さすがに目立つ。たいていの通りすがりの怪しげな集団が、目を光らせてガン見してくる。絡んでこようとする一団もある。だが、猫だけでなく肩にはアサルトライフルも肩からぶら下がっているのを目にして、皆、黙って通り過ぎていく。
一番街を北へ進めば、映画館がある。
その横にはシネシティ広場。
バスケができそうなくらいの開けた場所に、闇市の中でもことにヤバいブツを扱っているテントが紛れている。
このあたりもずいぶん変わったな、と思いながら歩く。
小さな声で、蓮へ言う。
ないとは思うがいきなり走ることもあるかもしれない。しっかり捕まってろよ、と。
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