【Vol.16】
【Vol.16】
太田の用件は簡単だった。
ただいま協議中につき、あと三十分待ってほしい、とのこと。
わかった、と武洋は答える。
ただし、と。
FMラジオの周波数を伝える。
送信機のスイッチをオンにする。
「聞こえるか。ここにはラジオ局がある。書類を読み上げて拡散することが可能だ」
それだけ言って、ラジオ送信機をオフにする。
おそらく太田の耳には武洋の声が、時間差で、電話とラジオの多重放送になったことだろう。
そして電話へ。
「おれの友達が書類のコピーを持っている。成人前に息子の生存が確認できなくなった時には同じ手段で書類をばらまく」
太田が沈黙する。
やがて声がする。
「その周波数は使用が許可されていません」
「ああ違法だよ。…今この場面で、それ言うか?」
あんた面白すぎるよ、と武洋が笑いだす。
つられて太田も、小さく笑う。
「こんな性分で申し訳ありません。ではまた三十分後にお電話します」
「ついでだが、ビルのまわりで監視してるやつらをどけてくれないか。害がないのはわかるが不愉快だ」
「承知しました」
電話が切れる。
笑ったおかげか、だいぶ気分が良くなっている。
事態は何も変わっていないけれど。
蓮も、表情がだいぶ和らいでいる。
さて。
さっきの蹴りが気になっている。
もういちど再現できないかと武洋がせがむ。
蓮もうなづく。
だが、足を宙でふりまわしてもヘロヘロと足先が躍るだけ。うまくいかない。
とっさの実戦で窮地にならんと出ないかな、と、怖いことを言い。
武洋は指をちょいちょいして組手の立ち位置に誘う。
試合の一礼から教えて真似させる。
ぺこりと頭をさげる蓮。
子供の礼はどこかポワポワしていて可愛い。
さあおいで、と蓮を手招き。
蓮がふわんと飛びかかる。
右の拳。
左の突き。
笑いながら武洋がかわす。次はどこへ打てばいいかを手で誘って打たせる。すこしずつ蹴り技の率を増やしていく。
からかうように。
打てそうで打てなくて、当たりそうなのに逃げられて、しだいに蓮がイライラしてくる。
たまに倒れそうになるのを腕でガードしてやる。それも蓮としては敵役に塩を送られたみたいで腹が立つらしい。
交渉中の電話のことも忘れて、カッカしはじめる。
ついに足がもつれて、すべる。
さっきと同じ体勢。
床に落ちる寸前、宙で跳ねる。
出るか回し蹴り、と、武洋が身構えておでこを片手でガードする。
だが。
蓮はカッとなってて最初の目的を忘れている。
種族特有の腰のバネを生かし、武洋の頭につかみかかって、大口あけて頭にかみつく。
がっぷりと。
血が出そうなほどしみじみとアゴの力をこめ、牙をくいこませている。
痛い。
そうじゃないだろ坊ちゃんよ、と。
「勝ちゃあ何でもいいけどよ。それは空手の技じゃない」
動物がよくするような仕草で、武洋が頭を横にする。
あれ?の顔して蓮がつるんとすべり、武洋の頭からふりおとされる。
羽根のように浮き、床にふわりと転がって落ちる。
何が起きたかわからないといった顔をしている蓮を見て。
だめだこりゃ、と武洋が空をあおいだ時。
黒電話が鳴る。
受話器から、太田の声がする。
「お待たせして申し訳ありません」
「結論は?」
「ご子息を預けてくださるというのは、戦国の世なら人質を送るようなものです。あなたに私どもへの敵意がないのは確認できています」
「そりゃどうも」
「ご子息は、お引き受けいたします。あなたの書類とは関係なく、御苑への難民支援の一環として特別プログラムの枠を設立いたします。条件付きで」
書類と関係ないわけがないが、大人の世界には建前が必要なこともある。
この建前を通すために時間がかかったのだろう。
「条件とは?」
「二つあります。一つは、人数です。枠は一名、未成年の分のみです。親御様には緊急保護の名目を立てられません」
おそらく身元は洗われている。殺人犯は保護できないというのが本音。当然だろう。都庁は権力こそ小さな国家レベルだが、地方自治体にすぎないため軍隊を持たない。政治力だけで乱世を渡らねばならない特殊な立ち位置だ。
切った手札の大きさを考えれば、最大限の譲歩をしてもらったのは武洋にも察しがつく。
「二つ目は?」
「私どもは米軍とも有権者とも、事を荒立てたくありません。ご子息をこちらへお連れになる際は、入庁する姿を誰にも見られてはなりません」
ふむ、と武洋は考える。
視界のすみに蓮がいる。心配そうに、じっと見ている。
太田の声が蓮には聞こえていないのを、表情で確かめて。
武洋が告げる。
「OK。条件を吞む。手を尽くしてくれて、ありがとう」
「明日の正午、都庁の第一本庁舎、一階ロビーでお待ちしています」
「あんたが直々に一階まで迎えに来てくれるのかい?」
「はい。責任をもって」
「VIP待遇だな。涙が出るぜ」
笑って受話器を置こうとする。
だが電話のむこうに、言葉にならない気配がある。何かまだ伝えたいことがあるような。
武洋は口を閉じ、耳を澄ませて待つ。
太田が、言う。
「私には子供がおりません。それでも想像することはできます」
太田が言葉に詰まっている。あなたの痛みをお察しします、とまで言っていいのか否か、迷っている気配がする。
もういいよ。充分だ。太田に心からの感謝を伝えたくて。
「あんたほどの人にそう言ってもらえて、おれの息子は幸せ者だ」
武洋は電話を切る。
ゆっくりと、無機質にきこえてしまう不器用な彼の声を反芻しながら。
さあ、メシにしよう。
ふりむいて武洋が言う。
言ったとたんにふたりのあいだに緊張が走る。
ふたりの視線がちょいと離れたデスクの上の、積まれたカレーピラフのレトルトの山。
どうしよう、と目で訴え合うふたり。
そして無言で目をそらす。
「ぼくはオートミールが食べたいな」
「おれもオートミールを食べたいな」
はっはっは、と目を合わさずに笑って、いつもの食事を支度する。
メスティンに水とオートミールをあけて加熱して。
煮えたところで半分コする。
小鉢をかきこみながら、武洋が言う。
「あのな。大人と子供じゃ収容施設が違うんだってよ。だから都庁に着いたらおれは別の施設に行くからな」
蓮、固まる。
ずっと一緒にいられると思っていたのが足元から崩れた顔。
「はよ大人になれ。そしたらまた遊べるから」
小鉢越しに蓮の顔色をうかがう。
頭が真っ白になってるのだろう。ロボットのように小鉢をなめている。
もくもくと。
小さな頭で、必死に考えている。
これまでの旅のことをひとつひとつ思い返している。
すべてを受け入れるために。
武洋は蓮のそんな顔をのぞきこんで、悪戯っぽく笑って囁く。
「大人エリアじゃオートミールに、いちごジャム、入れ放題だってよ」
蓮が顔をあげる。
ショックから立ち直ろうと必死に笑って。
「それ、おいしいの?」
「え。食ったことないのか?」
「虫歯になるってママが言ってた」
「大人はいくらでもジャムを食べていいんだ。さっさと大きくなれよなぁ!」
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