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【Vol.15】

【Vol.15】


 朝が来る。決戦の朝。

 一番偉そうなデスクの背中のキャビネットから発掘してきた業務用電話帳なるものの埃を払って煤けた字を解読する。

 都庁へ。

 高層のツインビルはまだ生きていて、夜でも灯りが漏れている。武洋の父親のような事例がその後も相次いだため、都庁では職員家族はビルで暮らしていると聞く。診療所も学校もあり、親が職員なら孤児になっても成人まで寮で暮らせるという。

 デスクの中央に黒電話が鎮座している。右隣にはパソコンも起動し、壁のモジュラージャックを共用している。左隣にはFM基地局。こちらも動作確認済でスタンバイしている。

 機器の中心に、まるでクラブのDJブースのように武洋が立つ。

 横のオフィスチェアに蓮が座り、緊張でガチガチになっている。

 大丈夫だよ、と武洋が蓮の頭をなでて。

 非常回線でコールする。


 呼出音。

 数回鳴って、男が出る。

「はい。こちら都知事室秘書室の太田です。お名前とアポイント番号をどうぞ」

 おそらくは痩せた中年男の、迷惑そうな不審そうな声へ。

 武洋が言う。

「ボンジュール。都知事とランデブーがしたい。こちらは前代都知事の過去のスキャンダルを持っている」

 都議会は表向きは米軍と提携しているが反発心もあり、水面下では仏政府と取引があるとの噂である。それをからかった挨拶の、嫌味が通じたかどうかはわからない。

 電話のむこうは、無言。

 通信にスクランブルはかけてあるが、発信元を割り出されるのは時間の問題だろう。

 幾重ものセキュリティが作動したのだろう末に、秘書の声。

「お話をどうぞ。手短に」

 交渉の、入口には立てたらしい。

 武洋の大きな手が蓮の頭をなでる。

「要求はひとつ。子供をひとり都庁の寮に受け入れてほしい。おれの息子だ。十四年前に生まれて御苑で育った。母親の名は秦野容子」

 すこしの沈黙ののち。

 ああ、と秘書が声を漏らす。

 御苑の空はまだ燃えている。

 そういうご事情ですか、と、わずかながらの同情と蔑みの空気が流れる。秘書にとってはキャンプの難民など塵くらいの価値しかないのだろう。戦争孤児を可哀想には思うが遠い絵空事と感じている。

「それで、取引材料は?」

「二十年前の話で恐縮だがな。川崎の西芝工場を知ってるか。おれは研究所員の瀬谷勝則の息子だ。当時の研究費の流れを記した書類を持ってる。読みたいならメールアドレスをくれ」

 秘書が、おそらくは自分の業務用だろうアドレスを言う。

 言われたアドレスをメモする。

 武洋はエンピツを置いて。

「すぐ送る。一時間後にまた電話する」

 黒電話の受話器を置く。

 第一ラウンド終了。

 まだ緊張したままの蓮が、武洋を見あげる。

 な、大丈夫だったろ、と武洋が頭をぽんぽんする。


 マイクロチップの書類をメールで送信する。

 ただし、データそのものの添付ではない。こちらのサーバにあげたもののURLを送り、五分間だけ閲覧を許可する形にしてある。データ改ざんなどへの用心である。

 これから都知事室では情報精査や会議が行われるだろう。返事を即答できないのはわかるが長引けばこちらが不利になる。

 壁の時計を見る。

 もちろん動いてない。

 パソコンの時計も、ボードの電池が切れているため機能してない。

 時間は、腹時計で計るしかない。

 もういちど蓮の頭をぽんぽんする。

「今から一時間な」

 蓮はシャツをめくって自分の腹を見て。

「うん、わかった」


 手持無沙汰で、落ち着かない。

 片耳でラジオを聞くが、目立ったニュースはない。

 御苑の戦況も気になる。

 見えはしないのを分かっていつつ、窓のブラインドの隙間から表通りをのぞく。

 すると、四谷ビルの前の通りのあちらこちらの物陰に、潜んでいる男たちがいるのがわかる。早くもこの場所は割れたらしい。ただ、状況が状況なので踏み込めずにいるのだろう。


 じりじりと時間が進む。

 この世で一番長い一時間かもしれない。

 蓮は電話を乗せてあるデスクの下で、しゃがみこんで引出にもたれている。緊張のあまり青い顔をしている。

 武洋は横に腰をおろして、あぐらをかく。掌を盾にする。

 ほい、と声をかけると、へい、と反射神経で蓮が応える。

 掌に、ふわふわした右の正拳突き。

 ほい、と声をかけて掌を移動させる。

 蓮は立ち上がる。

 ひと呼吸する。ふりむきざまの遠心力で、本気の拳を入れてくる。

 武洋、無言で目を見開く。

 まじまじと蓮を見る。

 様子をうかがって武洋を見る青い目へ。

「今の、腰が入ってたぞ。おまえ、やるなぁ…!」

 蓮は心底嬉しそうな顔をする。自分でも驚くような手応えがあったのだろう。


 ほい、と武洋が掌をたてる。

 左を打ちやすい位置へ。

 察して蓮も、左の正拳突き。

 拳が掌に当たる。

 だがもう音からしてショボい。ふわっと滑ったような拳である。

 ははは、とふたりで目を交わし、乾いた笑い。そして蓮はちょっぴり悔しい顔。


 ほい、と掌をたてる。

 左の正拳突き。ショボい。

 ほい、ほい、と掌を移動する。

 蓮が次々と打ち込んでいく。

 どれもショボい。

 ふたり、じりじりした焦燥を忘れたくて。

 掌が腫れつつあるのも気づかないふりで集中して打つ。

 やがて、蓮が疲れてくる。

 かすかに、よろける。

 あぶない、と、武洋がガードの手を差し伸べる。

 蓮のすべった体を床に落ちる前にキャッチしようとする。

 だが蓮は落ちる直前、種族特有のバネのある腰を生かして宙で跳ねる。

 遠心力での、下段の回し蹴り。

 運悪く、武洋のおでこにヒットする。

 武洋、頭がクラクラする。

 蓮もびっくりして着地し、武洋の様子をうかがう。

 おでこを押さえて、息をついて、武洋、笑う。

 すげぇなおまえ、と、小声で言って。

 蓮、満面の笑顔。


 そこに黒電話が鳴る。

 武洋と蓮、顔を見合わせる。

 うん、と、うなづきあい、武洋が電話に出る。

 受話器の向こうから。

「一時間が経ちましたので、こちらからお電話しました」

 秘書の太田の声である。

 あなたの電話番号は割れました、という威嚇である。

「メルシー。気が利いてるね」

 その言葉は、プライド高そうな太田の気に障ったらしい。

 ネイティブ級の美しい発音で返してくる。

「nous ne sommes pas affiliés au gouvernement français(私たちはフランス政府とは無関係ですよ)」

 豪速球ストレートで反撃がくる。

 そりゃすまんかったね、と武洋は苦笑いする。

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