生贄になるからと大事に育てられた妹の代わりに殺された姉を、悪魔は愛することにした
悪魔信仰。それが、この国では認められている。数々の為政者や貴族たちが、彼らを崇拝し、契約をしていた。
我が、ルージュヴルスト家もそれにもれず、悪魔の力で事業の成功、年長者の長寿、若いままの美しさ。様々な恩恵を受けていた。
もちろん契約だ。優れた恩恵には大いなる代償が伴われる。我が家の代償は美しく若い女の命。18となった。黒い髪の乙女の命を捧げることで代々力のある悪魔と契約を続けてきた。
「アリスベルお姉様はいいな。美しいブロンドの髪。私とは大違いだ」
双子の妹のリリエルが瞳を潤ませて私を見つめていた。光を全て吸い尽く黒い髪は、風にたなびいている。
「そんなことないわよ」
リリエルと私は双子だった。黒い髪をもって生まれたリリエルは、18までしか生きることを許されない。それでも彼女は快活で愛嬌があって、誰もが彼女を愛していた。
「だってー、羨ましいもの」
羨ましい。その一言で彼女は私から全てを奪っていた。18になれば散る命。それを憐れんだ両親も使用人たちも彼女をとても甘やかして育てた。対して私は、次期当主として幼い頃から厳しく育てられた。彼女が一言羨ましい。そう言えばドレスもお菓子も全てリリエルのものになった。
両親に抱きしめてもらったことすらない。大雪が降って、風邪を拗らせたことがあった。両親は見舞いにも来なかった。彼らはリリエルにねだられて、窓の外で雪遊びをしていた。次の日。今度はリリエルが熱を出した。両親は彼女につきっきり。その日は、私たちの誕生日だったのに。私は一人で食事をした。
それ以降だ。私が笑わなくなったのも、誰かに期待しなくなったのも。
リリエルは悪くない。リリエルは可哀想な子なのだ。でも、願わずにはいられなかった。早く十八歳になりたい。そしたらリリエルはいなくなって、私だけを愛してもらえる。私はその日を指折りで数えていた。
16歳の春。私に婚約者ができた。名前はダニエル。リリエルは私を羨ましい。と言った。だが、18で死ぬことが決まっている彼女に婚約者なんて不要。こればかりは諦めざるを得なかったのか、両親も苦い顔をしていた。
「アリスベルの髪は美しいね。太陽みたいに光ってる」
そう言って髪を撫で、彼は私の目をいつだってまっずくに見つめてくれた。リリエルじゃない私だけを見てくれる。嬉しくてたまらなかった。この髪とダニエル。それだけはリリエルがどんなに羨ましがっても、私の手から離れることのない大切なものだった。
あの時が来るまでは
17歳最後の日。つまり、明日は誕生日。リリエル命日となる日であった。
その夜の出来事だ。ダニエルとリリエル。二人がバルコニーで、キスをしているところを見てしまった。
逆上した私は両親が止めるのも聞かず、リリエルに掴みかかった。
「何をしてるの!?なんで……どうして!ダニエルは私の婚約者なのに!!」
「ごめんなさい!ごめんなさい!お姉様!だって羨ましかったんだもの!」
許せない。許せない。どうして、なんで。貴方は私からダニエルさえ奪おうというの?明日死ぬくせに。明日死ぬくせに!
「やめないか!アリスベル!!」
ダニエルと両親が止めに入る。まるでリリエルを守るように私を取り押さえようとする。そんなのおかしいじゃない。私は力の限り暴れた。彼女の髪を引っ張りこちらに引き寄せようとする。
その時だった。ダニエルが私を突き飛ばす。私の体は大きくのけぞり、バルコニーを越えて空中に投げされた。
ああ、堕ちる。
全ての景色が、ゆっくりと動く。
どんどん、どんどんバルコニーが遠くなり、ぐしゃりという嫌な音が脳に響いた。
冷たい。冷たい何かが頭から滲むように溢れていく。痛い。痛いよ。
青い顔して私を見下ろしているダニエルと目があった。助けを求めようにも、もう手をあげることすらできない。
ああ、死ぬんだな。
そう思ったその瞬間。私はおそらく死んだのだ。ただ意識だけはまだはっきりとまだそこにあった。
ダニエルと父親が外へと降りてきた。
父は私の体を触り、脈と息がないことを確認すると、頭を抱えた。
後から、リリエルも母親に連れられて降りてくる。
「そんな……アリスベル」
「なんてことをしてくれたんだ。アリスベルが死んだら、うちに後継はいなくなるのに……」
悪魔との契約に必須なのは血だ。直系の血が絶えてしまえば、もう二度とルージュヴラスト家が黒髪の乙女を捧げることはできなくなる。養子という選択肢はない。
それは父の代でこの家が終わることを意味している。
「……明日、いえ。幸いにもアリスベルは今日死んだ。生贄の儀には彼女を出しましょう」
ダニエルが淡々と告げた。両親はリリエルと私を見比べて「いや、しかし……」と言い淀むがやがて項垂れるように頷いた。
「どいうこと……?」
「いいかい。ここで死んでいるのは、リリエル•ルージュヴラストだ。今日から君はアリスベルとして生きるんだ」
「意味が分からないわ……?お姉様は?お姉様はどうなるの?」
「俺たちはこれを処理する。君は君で準備をしておいで」
「準備って何を?」
「まず髪を染めておいで、アリスベルのようなブロンドにするんだ」
「髪を?嫌よ……!貴方が褒めてくれた髪を染めるなんて……それに私は黒髪の乙女よ?!今日の儀式で死ぬのよ私!」
大きな声で喚くリリエルを、ダニエルは優しく抱きしめた。
「いいかい?状況が変わったんだ。儀式にはアリスベルを捧げる。君が姉さんの代わりにルージュヴラスト家の当主になるんだ。俺は君が生き残ってくれて嬉しい。一緒になろう。俺とこれからも生きていこう」
リリエルは大粒の涙を流すと。そっと彼を抱きしめ返した。
「嬉しい……。じゃあ私。この子を産めるのね?」
「この子?もしかしてリリエル君……」
「ええ、そうよ。どうせ産めないからと黙っていたのだけど。この中には、貴方の子がいるの」
リリエルはダニエルから離れると、彼の手だけを自分の腹に移動させた。
「それは本当か?」
「まぁ!おめでとうリリエル……いえ。これからはアリスベルと呼ぶわ。アリスベルおめでとう」
ダニエルと両親。リリエルは幸せそうに笑っていた。
気持ち悪い。
なんて気持ち悪い。
彼らにはもう、私なんて目に入っていない。もう私は今日悪魔へと捧げられる肉塊でしたないのだ。
その後肉塊は、黒に髪を染められた。
私には何もなかったんだ。髪も、ダニエルも。結局何一つ。私がリリエルから守れるものなんて……なにひとつ。ありはしなかったのだ。
※
日没後、儀式は行われた。
熱心な信仰者が集められ、屋敷の地下には無数の蝋燭が立てられた。
司祭のような黒いローブを被った父が何やら難しい呪文を唱えている。
私はリリエルが着るはずだった漆黒のドレスを着せられ、祭壇へと投げられる。
私の人生なんだったのだろうか。
ダニエルも、両親も、リリエルも。みんな嫌いだ。みんなめちゃくちゃになってしまえばいいのに。
父の長い詠唱が終わり、蝋燭の炎がゆらめいたかと思うと、一瞬で全てが消えた。
「願いをいえ」
部屋に低い声が響き渡る。
再び蝋燭に火が灯ったかと思うと、黒いモヤが祭壇に集まり、異形とも呼べる大きな影を形成する。
「我がルージュヴラスト家に繁栄を!」
歓声が上がり、父が嬉々として叫んだ。
「違う。もっと強い願いがここにあるはずだ……どこだ?」
悪魔は首をもたれさせながら肉塊を覗き込んだ。これから私はどうなるのかしら。この肉塊すらこの悪魔に貪り喰らわれるのか。それとも、魂すら消えてなくなってしまうのか。
どちらにせよ。どうでもいい。早くこの意識さえも手放したい。
「う……う……」
う?
「美しい」
美しい?
「君の願いはなんだ?」
え?この悪魔。肉塊に話しかけているかしら?いやいやそんなはず。
「いや、君だ。君のような美しい憎悪をもった娘を俺は見たことがない」
影がどんどんとはっきりとした形になっていく。気がついた時に当たり前のように立っていたのは長身切長の若い男だった。
「さぁ、君の願いを叶えてやろう」
若い男は私だけに聞こえるようにそう囁いた。
※
儀式はつつがなく終わり、リリエル改め、アリスベル•ルージュヴラストはダニエルと結婚。可愛い黒髪の娘と息子の双子を産んだ。
黒髪の乙女となる娘は18の誕生日まで大切に育てられた。
そうしてアリスベルは、当主として、父がしたのと同じ通りに悪魔を呼び出した。
だから驚いた。悪魔は自分の息子と全く同じ顔していた。いや、息子そのものだったのだ。
悪魔の姿の息子はアリスベルを殺し、祖父母を殺し、父を殺した。
それを、黒髪の乙女はただただ見つめていた。
全てを殺しつくしたあと、悪魔は黒髪の乙女に跪き、そのつま先に軽くキスをした。
「さぁ、どうだった。姉さん」
あの日。本当のアリスベルが生贄として悪魔へ捧げられたあの日。私は悪魔に3つの願いを言った。
愛されてみたかった。
自分だけのものが欲しかった。
儀式で死にたくはなかった。
悪魔は私の願いを聞き入れた。
私はルージュヴラスト家の娘としてこの世界に再び生まれ落ちた。悪魔は私の双子の弟として、当たり前のように家族として潜り込んだ。
ダニエルも、リリエルも。私を本当に愛してくれた。病気の時はそばにいて、雪の日は一緒に雪だるまを作ってくれた。
「幸せだったわ。とても」
血の海に沈む二人を見て、悲しさはなかった。もう、憎しみもなかった。あるのは虚しさだけだった。
「そう、ならよかった」
「それで代償はなにかしら」
「いえ、お代はもう受け取ってますよ。前の命で……」
悪魔はくすりと笑うと、「でも、願わくば」。そう付け加えた。
「私は貴方に惚れたのです。貴方の醜く深い願いに。だから、もっともっと願ってください。欲深く。先代の誰よりも……そしてどうか。胃もたれするほどに欲に塗れたその魂を最後に私にください」
悪魔が卑しく笑い、そっと、口付けをくれた。
ああ、なんてとんでもないものに愛されたのか。でももうどうでもいい。どこまでも落ちていこう。
血まみれの祭壇の上で私たちは体を重ねた。
私の代でルージュヴラスト家は終わる。だが、先代の誰よりも華やかで、毒々しいほどに爛れた。絢爛豪華な欲深い人生を送ってやろう。
この愛する悪魔の欲を叶えてあげるためにも。
fin