親の心
あれからどれぐらいの時間が経ったのであろうか……
私達は今日もいつもと同じ日を迎えられると思っていた。
隣には最愛の妻。
そして、私と妻からこんな立派な子である夜煌が産まれ、今日も巌樹様の元で一生懸命に鍛錬を行っている。
その姿を見るだけで、私達夫婦は毎日が充実していた。
だが、ある日を境に、そんなありきたりな日常が崩壊する。
突然、仮面を被った輩が現れる。
ここは人間が来れる場所ではないはず。
なぜこんな所に人間が?
すると仮面を被った人間が、我々に向け言葉を発した。
「くっくっく……これは面白い。こんな所に珍しい猿共がいるじゃないか……良い機会だ。
この際、お前達で実験をするのもいいだろう」
仮面の男がそう言い放つと同時に、男から尋常じゃない瘴気と魔力が溢れ出す。
私達はすぐさま臨戦態勢に入るが、尋常じゃない程の瘴気が凄い速さで我々を飲み込み、体の自由が利かなくなる。
「くっくっく、無駄だ。俺の瘴気はそんじょそこらの瘴気とは違う。少しでも吸ってしまえばお前らみたいな猿共の体は簡単に自由が利かなくなるんだよ」
「くっ⁈ き、貴様は何者なんだ⁈ いったい何故ここにいる⁈」
私の問いに対し、仮面の男は顎に手をやり、何かを考えている。
「へぇ~……言葉を話すのか……こりゃ~いい、くっくっく」
私の問いを無視し、笑い出す仮面の男。
「いったい何が目的なのだ⁈ 我々がいったい何をしたというのだ⁈」
「はぁ……まぁいい。お前達から神聖力を感じる。お前達を俺のモルモットにし、古代種を弱らせ、仕留めるとしよう」
「古代種……まさか、巌樹様を⁈ 貴様は虚ろわざる者かっ⁈」
「さっきからうるさいな! 私は今とっても気分が良いんだ。知能が高くとも、空気が読めんとは……お前達を色々と調べてみようかと思ったが気が変わった」
「なっ⁈ や、やめろー⁈」
虚ろわざる者が放つ瘴気のせいで、全員が地面に平伏していると、奴は懐から瓶を取り出す。
その瓶は黒く、よく見ると瓶の中で蠢いていた。
「光栄に思うがいい。私の崇高なる実験にお前達は選ばれた」
虚ろわざる者は瓶の蓋を開けると、黒く蠢いていた物体は、勢いよく瓶から飛び出し、我々に向かってくる。
「お前達は今日を持って生まれ変わるのだ」
「や、やめろっ⁈ 何をする気だ⁈」
瓶から出てきた得体の知れない物体は次々と仲間達を襲い、何人も飲み込んでは分裂していき、ついに私と妻も飲み込まれていく。
この得体の知れない物体はまさかっ⁈
「こ、これは穢れ⁈」
「せ~かぁ~い」
「ぐああああああ――」
「くっくっく、お前達は対古代種への毒になってもらうんだよ」
穢れに飲まれた私は、徐々に意識を奪われていく。
巌樹様、申し訳ございません。
私達は巌樹様の命を奪う者へと変わり果ててしまいます。
巌樹様はとてもお優しいお方……あなた様はきっと、最後の最後まで私たちを手にかけようとはしないでしょう……
ですが、穢れを纏った我々をそのままにしては巌樹様の体の一部であるダンジョンに影響をもたらし、巌樹様の命を削る事になります。
どうか、どうか、私達をお殺しになってください。
このままでは他の者達にも危害が及びます。
情けなども無用です。
どうか、賢明なご判断を!
それと、我が子、夜煌を、どうか、どうかお願いします。
夜煌はきっと、この事を聞いたら飛んでこちらに……
あぁ……意識が遠のいて行く……
最後に夜煌の顔を……見た、かっ……
あれからどれぐらいの時間が経ったのであろう。
私は奇跡的に意識を取り戻した。
私の視界に見えるのは、虚ろわざる者が瓶から出した穢れに飲み込まれ、私の隣には目を閉じた妻の顔が見える。
周りを見渡すと、私同様に穢れ飲み込まれた者達。
私同様に意識がまだ残っている者もいるようだ。
しかし、私達が住んでいた森は、我々が発している瘴気のせいで見るも無残に変わり果てていた。
やはり、巌樹様はまだ我々を殺める事を躊躇ってらっしゃるようだ。
すると、突如、夜煌の匂いが漂い始める。
それと同時に、他の者も匂いに反応し、夜煌がいる方へと動き出す。
妻を見ると、他の者と同様に夜煌の匂いに反応し、呻きだし始めた。
「や、やこ、う、に、げって……」
「夜宵……」
妻は夜煌の事を心配し、意識を取り戻したのだ。
そんな妻の姿を見て、私は涙が零れだす。
ダメだ、このままでは夜煌が危険な目に遭う。
止めなければ……いけないのに、我々の考えとは裏腹に、動き出す穢れた者達。
夜煌、頼む、逃げてくれ。
私達はもうダメだ。
頼む、お願いだ、言う事を聞いてくれ!
すると、必死に抗っているのは私だけではなく、妻の夜宵からも必死な思いが伝わってくる。
やはり、一緒に飲み込まれたせいなのか、妻の思いがひしひしと伝わってくる。
妻も必死になって戦っている。
私も妻と一緒に抗い続ける。
しかし、無情にも私達の思いは叶う事なく、夜煌がいる場所まで来てしまった。
「あ、あぁ……やこ、う」
「あ、あな、た、や、こう、が……」
夜煌が私たちの目の前にいる。
夜煌の顔を見れた私たちは嬉しさで満たされていた。
しかし、それと同時に、夜煌にここにいては危険だと伝えなければいけないと、必死になって声に出そうとするが、上手く喋る事ができない。
「父上……母上ぇぇ……」
何とも歯痒い思いをしていると、悲痛な声で夜煌が泣いていた。
その姿を見た私と妻は自然と涙を流していた。
すまない、すまない夜煌……こんな醜い姿になっても、私達はお前に会えたがこんなにも嬉しい……しかし、お前の泣く姿はとても心苦しい。
すると、夜煌の元に歩み寄り、優しく接している者が目に入る。
あれは人間か?
そうか……巌樹様は夜煌の隣にいる人間に任せたのだな。
その方がいい……巌樹様に手を煩わせるのは心苦しかった。
夜煌に優しく寄り添ってくれている人間。
どなたか分かりませんが、この様な事に関わらせてしまい申し訳ございません。
どうか、どうか、我が子を手にかける前に私たちを殺してください。
そして、私達の代わりに、夜煌が乗り越える手助けを……
あぁ……また、意識が遠のいて行く。
この穢れが夜煌を飲み込みたいという欲求が伝わってくる。
周りにいる穢れた者達が徐々に動き出す。
だが、よくみると、みんな歯を食いしばっている。
あぁ、夜煌を最後まで守ろうと必死になって抗ってくれているのだな。
みんな、本当に、ありがとう……けれども、みんなの頑張りも、そう長くは持たない。
名も知らぬ優しき人間、我々の意識がまだある内に、早く!
夜煌よ……どうか、どうか、悲しみに飲み込まれる事なく、強く、生きるのだ……
「蒼龍の喚起・第2段階」
すると、突如、蒼白い炎が吹き溢れ、人間を包み込んでいく
なんと、綺麗な炎だろうか。
綺麗だと一度も思った事のなかった炎が、心の底から綺麗だと感じている。
そして幻想的な炎を私は見た事が無い。
ましてや、蒼い炎なんて珍しい物を、最後の最後に我が子である夜煌と一緒に目に焼き付ける事ができるとは思いもしなかった。
炎を見ると、恐怖を感じるものだが、この炎は恐怖を感じない。
逆に、この姿になり、痛く、苦しかったのだが、なぜか和らいでいく。
この不思議な感覚は何なのだ?
「行くぞ、『蒼龍の震脚』」
そんな事を考えていると、人間がこちらへと歩み寄ってくる。
とうとう最後の時が来たようだ。
名も知らぬ人間、最後の最後に、恐怖で死に逝くと思っていた我々に、死をも忘れる程の光景を見せてくれてありがとう。
感謝を伝えられず死に逝く者達を許してくれ。
周りを見渡すと、みんな目を静かに閉じ始める。
妻を見ると、こちらに笑顔を向け、静かに目を閉じる。
妻も心が決まったのだろう。
妻の笑顔を見て私も目を閉じる。
徐々に蒼い炎が激しさを増していく。
残された時間も残り僅か……
巌樹様、名も知らぬ人間、どうか、夜煌をよろしくお願い――
「蒼炎の地癒震」
ドッゴオオオオオオオオ――
名も知らぬ人間が大地を強く踏みつけると、激しく揺れ出し、勢いよく蒼い炎が溢れ出す。
そして、その炎は我々へと迫りくる……私はそっと瞼を閉じ、暗闇へと墜ちていく……かと思いきや、私達に迫る炎が暗闇を掻き消してくれるおかげで、少しも恐怖を感じない。
炎が我が身に染み付いている穢れを浄化してくれているのが分かる。
そして、穢れと私達を焼き尽くしているにも関わらず痛みを感じない。
『ギ、ギギィィィィ――』
うん?
何やら様子がおかしい事に気付く。
穢れが苦しそうに呻きだしたのだ。
私は目を開けてみると、何てことであろうか⁈
炎が我々ではなく、穢れと瘴気だけを焼き払っているではないか!
そして、私達の体に付いた穢れと瘴気を浄化し、癒してもくれている。
こんな事は聞いた事も見た事もない!
瘴気に当てられ、穢れに取り憑かれたら最後、元には戻れず、死を待つしかないはず。
にも関わらず、私達は奇跡を目の当たりにしている。
『ギ、ギィィ……』
纏わりついていた穢れが息絶え、消えていく。
それと同時に、私達を焼き尽くしていた蒼い炎も消えていく。
「ふぅ……終わった」
名も知らぬ人間が終わったと言うと、私は自分の手を見つめ、横で眠っている妻を見る。
「わ、私達は生きているの――」
「父上ええええええええええ!!」
「かああああ⁈ ぐぅっ⁈ や、やごう⁈」
勢いよく私に抱き付いてきた夜煌。
その泣きじゃくる夜煌を見て、私は生きている事を感じ取る。
「や、夜煌……」
「父上ぇぇぇ……」
私は泣きじゃくる夜煌の頭を優しく撫でる。
「し、心配をかけたなぁ、夜煌や……
「ぢぢうえぇぇぇぇぇ」
まさか、またこうして我が子の頭を撫でる事ができるとは……
諦めていたのに……
「や、夜煌? あな、た……」
「夜宵⁈」
「母上⁈」
その隣で眠っていた妻の夜宵が目を覚ます。
「え、あれ? 私は穢れに、その綺麗な炎に焼かれて……生きて――」
「母上ええええええ!」
「きゃあっ⁈ っもう夜煌ったら、急に抱き付いてくるからびっくりするじゃないの」
「母上ぇぇぇぇ、母上ぇぇぇぇ」
「ふふふ、体は大きくなっても中身はまだ子どもなんだから」
夜宵は泣きじゃくる夜煌に母性溢れる眼差しを向け、優しく夜煌の頭を撫でる。
目覚めて最初こそ夜宵は自身が穢れに纏わり憑かれて、なぜ生きているのか不思議がっていたが、それよりも、泣きじゃくり、強く抱きしめている夜煌の方が勝ってしまってい、それどころではなくなっている。
いや、それよりも――
「ふ、ぐぅ、よかったなぁ~、よかったなぁぁぁ、夜煌ぉぉぉ」
我々を救ってくれた名も知らぬ人間が、私達の横で、夜煌よりも泣きまくっていた。
お読みいただきありがとうございました。
続きが気になると思ってくださっていただけたらすごく嬉しいですし、励みになります。
よければブックマーク、評価をお願いします。




