リエール編
ある貧しい家にリエールという女の子が生まれました。
リエールの家は土地を持つ農民の下働きをしている貧乏な家系で、二人でも食べていくのがやっとな両親は生まれた娘をどうするか悩んでいました。
厳しい生活の中、リエールは目を開けるよりも早く捨てられてしまいました。その頃にはもう秋も深まりだいぶ寒くなっていましたが、両親はかまうことなく彼女を橋の下に捨てていきました。
生まれてすぐの赤ん坊が寒空の下に捨てられたら、それはもちろん死んでしまうでしょう。実際、リエールも捨てられてそう経たずに死んでしまいました。
次にリエールが目を覚ました時、リエールは赤ん坊から十五歳くらいの女の子になっていました。とっても驚きましたが、すぐそばに誰かが立っていたのに気づいてもっと驚きました。
真っ黒なローブを着て、顔にはドクロみたいな仮面をつけていました。背は今のリエールと同じくらいで、背丈よりもずっと大きな鎌を担いでいました。
あなたはだれ?
リエールが聞いて、ローブの人物は女の子の声で答えます。
あたしは死神だよ。
しにがみ?
死んだ人間をあの世に連れてく仕事をしてるのさ。
それがどうしてわたしの目の前にいるの?
気づいてないようだが、お前さんも死んじまってるのさ。生まれてすぐに両親にすてられてね。
じゃあどうしてすぐにあの世に連れて行かないの?
リエールの何度目かの質問に、死神は仮面のほっぺたを掻きながら答えます。
赤ん坊の時に死んだくせにずいぶん鋭いんだな、お前さんは。あたしだってとっとと連れて行きたいのは山々なんだが、お前さんの場合チョイと事情が複雑でね。
死神は大鎌を担ぎ直しながら説明しました。
死んだ人間は天国か地獄のどちらかに行くことになるんだが、そのために必要にな物があるのさ。わかるかい?
それは『業』だ。善と悪に仕分けるにしたって、その判断材料が必要なのさ。
だがお前さんは生まれてすぐに死んじまったから、業も何もないわけさ。
となるとどっちに送ったものか判断つかないんだよ。
天国に昇るほど善行積んだわけでもないし、地獄に落ちるほど悪行を重ねたわけでもない。
まあ人生のじの字も知らないまま死んじまったわけだから、可哀想だから天国にしてやろう、と思わなくもないわけだが、それは人の考えであって死神のじゃあない。死という神聖な概念に立ち会う死神のしていい判断じゃあない。
だからあたしはお前さんに業を成して欲しいのさ。そのために赤ん坊だったのをまあ人の業ってやつがある程度理解できる齢まで成長させた。
ずっと黙って話を聞いていたリエールが訊ねます。
わたしはなにをすればいいの?
そうだな。お前さんは家が貧しいばっかりに捨てられて死んじまった。だから誰かを貧しくできる貧乏神にでもなってもらうか。
びんぼうがみ?
そうさ。お前さんはこれから誰か一人、いや大勢でもいいんだが、とにかく他人を貧乏にしてもらう。誰をどういう基準で選んで、どういう経緯で貧乏にしようがお前さんの好きにするがいいさ。
あたしはそれを見て、お前さんが成した業を見て、善悪の判断をして連れてく先を選んでやる。
他人をいくらでも不幸にできる力を持ったお前さんが何をどうするか、楽しみにしているよ。無念の死の恨みを晴らすもよし、それ以外の何かを成すもよし。全部お前さんの自由だ、リエール。
それがわたしの名前なの?
初めて名前を呼ばれたリエールが聞いて、立ち去ろうとしていた死神が振り返りました。
そうさ。お前を棄てて凍え死にさせた両親が、育てる気もないくせに勝手につけた名だ。ま、名乗ることもないさ。どうしても名乗らなきゃならない時はそのまま貧乏神って名乗りな。
ちなみに今着ている服はお前さんの〝お包み〟に使われてた布切れさ。だいぶボロだが貧乏神には似合いの意匠だろ? どうせ死んじまってるんだ。寒さなんて感じやしないよ。
じゃあな貧乏神。また会う日がお前さんが本当に死ぬ時だ。できるだけ早く決めな? あたしだってヒマじゃあないんだから。
そう言って死神は今度こそ本当に去っていきました。
貧乏神となったリエールがそれから何をしたかというと、何もしなかったのでした。
ずっと橋の下で膝を抱えて座り込み、淀んだ河を眺め続けていました。
やがて冬になり、春が来て、夏を過ぎて、秋に入って。葉が落ちてくる季節になっても、貧乏神はずっと何もしませんでした。何をしたらいいのか分からなかったのです。
誰かを貧乏にしてしまう力、それを何に使えばいいのか考えきれなかったのです。誰かを貧しくしてしまうことで天国か地獄に行けるとして、
じゃあ誰を貧乏にすればいいんだろう?
誰なら貧乏にしていいんだろう?
天国ってどんな場所だろう? 地獄ってどんな場所だろう?
どっちに行けばいいんだろう? どっちに行けるようにすればいいんだろう?
どっちにも行けないまま時間が過ぎたらどうなるんだろう?
そんな疑問がずっと頭の中を巡っていました。
死神の力で体は大きくなっても、頭が働くようになって、心だけは赤ん坊のままでした。だからやることは分かっていても、どうやればいいのかは分からないままでした。
貧乏神はじっとしたまま答えの出ない考え事をし続けました。たまに水の流れに手を触れたりもしましたが、秋の深まった河に冷たさすら感じませんでした。
お誕生日おめでとさん。
あ、死神さん。
業を煮やしてだいたい一年振りにやってきた死神に、貧乏神が顔を上げて言いました。
顔を覚えてもらって何よりだよ。ついでに言ったことも覚えていてくれたらよかったんだけどな。
はてな、と首を傾げた貧乏神に、死神は愚痴るように言います。
あたしだってヒマじゃないって云ったろ? さっさとやってくれよ。
貧乏神は真面目な顔で死神に聞きます。
誰を貧乏にすればいいの?
死神は怒って言い返します。
それを決めるのがお前さんの業なんだよ! ああもう! だから嫌なんだ赤ん坊が死ぬのは! 面倒くさい事この上ない!
死神の憤怒はまだ続きます。
こいつを捨てて死なせた両親は地獄に落ちろ! ……ああ、落ちたんだったな、こないだ。お前さんを捨てた後バチでもあたったみたいに雇い主から解雇されてな。食う物もなく飢え死にだ。惨めな死に方だよなぁ?
って! そうだよ両親死んじまってるから力で恨みを晴らさせることさえできやしねぇんだった。まああいつらはもうこれ以上に貧しくしようがないからなぁ。どの道無理か。
鬱憤を晴らすように死神はしゃべり続けましたが、貧乏神はずっと黙ったままでした。
死神はフードの上から頭を掻いて、
はあ。まあお前さんの業を測るんだ。あたしがとやかく言うことじゃないな。けどホント、さっさと決めといてくれよ? もう思いつきでもなんでもいいからさ。適当に憂さ晴らしでもなんでもして業を作ってくれ。
そう言い残して一度背を向けました。
その直後でした。二人のすぐそばで、水面を叩く大きな音がしたのは。
驚いて振り返った死神と、こちらもびっくりして顔を向けた貧乏神の視線の先で水柱が上がっていました。誰かか何かが橋の上から落ちたようでした。
けっこう深い河でしたが、すぐに浮き上がってきたので落ちてきたのが人であることは分かりました。
貧乏神はその誰かに駆け寄って、落ちたまま動かなかったその誰かをどうにか川辺に上げることができました。死神は見ているだけでした。
死んじゃったのかな? この人。
冷たい体をピクリとも動かさない誰かさんに貧乏神がそう言って、
いいや死んでない。死神が言うんだから間違いないって。
死神は面白くもつまらなくもないように返事をしました。
でも動かないよ?
水面で頭でも打ったんだろ。叩けばそのうち起きるんじゃないか?
そう言われて、貧乏神は誰かさんの顔を叩いてみました。
ぺち
誰かさんは起きません。
もうちょっと強く叩きなよ。
ぺちぺち
なんだか唸っていますがやっぱり誰かさんは起きません。
もっとたくさん叩いてみなよ。
ぺちぺちぺち
怒ったように顔をしかめましたがそれでも誰かさんは起きません。
この際起きるまで叩き続けてやんなよ。
ぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺち!
……もういい! もう目は覚めた。
連打の末誰かさんはようやく起きて、貧乏神はようやく手を止めました。
気を失っていたのは独りの青年でした。二十代になりたてくらいで、整えられた綺麗な赤毛の髪をして、服装はもっときれいで上品な代物でした。顔は町の中で一番偉そうな人よりもずっと偉そうでしたが、その目だけはどこか怯えているようで、不安げに貧乏神を見つめていました。
起きた。
貧乏神が口を開いて、誰かさんも何か言おうとしましたがすぐに頭を押さえて唸りました。鈴をつけたらよくなりそうなくらいガタガタ震えながら、それでもどうにか貧乏神に問いかけます。
君が、助けてくれたのか?
貧乏神はこくっと頷きました。
それからその誰かさんは貧乏神を観察しました。まるで品物の値踏みをしているようなちょっとイヤな視線を、貧乏神はしばらく浴びることになりました。
君、名前は?
誰かさんに聞かれて、貧乏神は死神に言われた通りに答えます。
わたしは、……貧乏神。
はあっ?
誰かさんは驚きながら大声を出して、また痛んだ頭を押さえました。どうにか痛みを我慢しながら、またさっきみたいな目を貧乏神に向けました。
ここでふと、貧乏神はあることに気づきます。
さっきから、この誰かさんは死神の方を見ようとしないのです。わざと知らんぷりをしているようには見えません。
不思議がった貧乏神が死神を向いて、死神も気づいてちょっと意地悪な顔をしました。そして二人の間にすっと割り込んで、誰かさんの顔の前で手を振ったり変な顔をしたりしました。
分かったか? あたしの姿は死人にしか見えないんだよ。
やっぱり動じなかった誰かさんの所から戻ってきた死神が言って、貧乏神は納得を頷きで返しました。
死神が悪ふざけをしている間に、眉を寄せたり変な笑い方をしたりした誰かさんが、今度は静かに怒った顔をしだして、貧乏神はどうしてだろうと再び死神の方を向きました。
こいつにも色々あるのさ。
かわいそうな人なの?
ある意味ではな。ちょっと見せてやろうか?
死神は面白がって貧乏神の頭に叩くように手を乗せました。そして悔しそうに歯を軋ませている誰かさんをじっと見つめます。
貧乏神も同じ方を向いて何がどうしたんだろうと考えていた、次の瞬間です。
目の前の誰かさんが殴られました。
貧しそうな服を着た男の人のげんこつで鼻が顔にめり込んでしまいそうなくらい思いきり殴られました。
ひっ!
貧乏神が小さく悲鳴を上げるのと、別の男の人が誰かさんの横っ面を殴るのが同時でした。
その後も誰かさんは自分を囲む男の人達に何度も殴られました。歯が折れても鼻が変な方向を向いても片目が潰れても耳から血が出ても終わらず、何度も何度も殴られました。
その後はあまり体の大きくない男の人や女の人から、ただの棒切れだったり鍬や鋤みたいな農具だったり生地を伸ばすためのロールピンだったりで殴られました。
倒れて動かなくなった後は何度も蹴られました。口からたくさん血が出ましたが、誰も気に留めることはありませんでした。
もうとっくに死んでいましたが、今度はさらに力のない女の人や子供達が石を投げ始めました。ほとんどが命中しましたが、誰かさんは呻くことさえできなくなっていました。
最後とばかりに、力持ちの男の人が自分の頭よりも大きな石を抱えてやってきました。大きく振り上げて、もうズタズタのぼろ切れみたいになっていた誰かさんめがけて落としました。なんだがとても嫌な音がしましたが、誰かさんを殴っていた人達からは嵐みたいな拍手喝采が起こりました。
っ!
ハッとした貧乏神が悪い夢から覚めたみたいに目を開いて、すぐ目の前の誰かさんの何ともない姿に驚きました。
今のはこいつの死に様だよ。そう遠からず、こいつは今見えた死に方をするんだ。
楽しそうに言った死神に、貧乏神はまるで誰かさんみたいに震えました。
ひっでぇ死に方だったろ? けどまぁこいつの場合自業自得、っておい!
死神が止める間もなく、貧乏神は誰かさんに飛びつきました。びっくりして振り返った誰かさんに必死に伝えようとしましたが上手く言葉にできず、
な、なんだっ?
し、ん……じゃう。
は?
……死んじゃう。死んじゃう! 死んじゃうの!
悲壮な顔をして死ぬと連呼する貧乏神でしたが、誰かさんの目には気が触れたようにしか映らなかったようで、無理矢理引き剥がされました。
それでも貧乏神は叫びます。
死んじゃう! あなた死んじゃうよ!
目の当たりにした悲惨な死の光景に胸の中を掻き乱されながらでも、貧乏神は多くの言葉を知らないながらも必死になって叫びました。
しかし、その想いは誰かさんに伝わることはありませんでした。
分かってる! このままじゃ凍え死にだ。さっさと屋敷に戻って火に当たらないと。
誰かさんは土手を登って帰り道に戻ろうとしましたが、貧乏神はまた誰かさんに縋りつきました。
ダメ! 待って!
なんだ? 礼か? なら後で取りに来い。僕はハンス、道の向こうの一番大きな屋敷の主だ! 来ればすぐ分かる!
もう一度乱暴に振りほどいた誰かさんでしたが、貧乏神は川辺に倒れたままで叫びます。
待って! 本当に、本当に死んじゃうの!
もうまともに取り合うつもりのない誰かさんは命の恩人である貧乏神を鬱陶しそうに見るばかりでした。死神の冷めた視線の先で、つけていた指輪をおもむろに外して、貧乏神に投げつけました。
そしてその指輪を売れば何年も食べていける金額になること、足りないなら屋敷に取りに来いと言い残して、誰かさんは去っていきました。
貧乏神がその誰かさんに会えたのはそれが最後でした。凍えて上手く走れないのに足早に暗闇に消えていく背中が、貧乏神が見たハンスの最後の姿でした。
せっかく忠告してやろうとしてたのになぁ。
あんまり興味なさそうに見守っていた死神が言いました。
まあでもあいつの場合自業自得もいいところさ。あいつはな、お前さんと違って金持ちの生まれでな。生まれも育ちも苦労のくの字も知らずじまいだったせいかえらく傲慢になっちまったのさ。有り余る金で町の連中に、あいつからすれば〝ちょっとしたいたずら〟を何度もかまして、その度が過ぎて仕返しに殺されちまうってわけさ。
貧乏神は投げつけられた指輪を拾い上げながら静かに訊ねます。
あの人は、お金持ちだから殺されちゃうの?
端的に要約しすぎだって。まあ間違っちゃいないな。あいつが超がつくほどの金持ちじゃなきゃああはならないだろうさ。実際、前々から妬まれてはいたようだしな。
……めた。
へ? なんか言ったか?
小声が聞き取れなかった死神に、貧乏神はやっぱり小さな呟き声でしたが、それでもしっかりとした口調で言います。
決めた。わたし、あの人を貧乏にする。
死神はたいそう驚いていました。大きく目を見開いてしばらく固まっていました。
本気か?
うん、あんなの、ひどすぎる。
言ったろ? あいつのは自業自得だって。町の連中のだいたい全部があいつのこと憎んでるんだぜ?
それでもあんな死に方はひどすぎるよ。
だからお前さんがあいつを救ってやると? 貧乏にして?
貧乏神はわたしだもん。あの人に怒ってる人達じゃない。わたしなんだもん。だからわたしが貧乏神の力であの人を貧乏にする。あんなひどい目にあわないで済むようにする。
……そうかい。
興味なさげに吐き捨てたつもりでしたが、死神はちょっと嬉しそうでした。
まあ好きにするこった。一年前にも言った通り、誰をどうするかはお前さんの自由だ。
貧乏神は指輪を両手で握りしめながら静かに、けれど強く強く願いました。
どうかあの人が貧乏になりますように。
綺麗だね。
橋の下から出たリエールは、雲がすっかり晴れた夜空の下で指輪を月明かりに晒して言いました。幅のある大きな金のリングの上にやっぱり大きな宝石が乗った豪華な指輪でした。
お星さまみたいにキラキラしてる。
気に入ってるところ悪いが、そいつは持っていけねぇよ? 天国にだってな。
橋の下から死神が言って、そちらに歩いて行きながらリエールが聞きます。
行き先、もう決まったんだ。
聞かれた死神はばつの悪そうな顔をしました。
迂闊……。まあいいか。
リエールは指輪をずっと座っていた場所に置いて、
んじゃそろそろ行くぞ。
そう言った死神にこくっと頷きました。
死神は持ち上げた大鎌を目を瞑ったリエールめがけて勢いよく振り下ろしました。
橋の下に、今はもう誰もいません。ただ宝石のついた指輪が斜めに差し込む月明かりに小さな輝きを見せているだけでした。
・死神編に続きます。