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ある日、摩擦がゼロになった。

作者: 犀星ゆき

※思考の垂れ流し。普通の小説読みたい人は読まない方がいいと思う。

今、それを俯瞰しているのが怖いかもしれないという気持ちが沸いてきたら普通なのだろうが、こういう時〝沸く〝という表現がしっくりこないのが今みたいな時だろう。

沸き上がる感情以外に今この記録をしている私は、興味本位だろうか、それとも知的好奇心だろうか、単に習慣だろうか、いや、水面下にある恐怖心からであろうか。

でなければ、尻筋肉をビクビクと痙攣させたくなることもないと思うのだ。

こうじゃない人に、それを伝えるのは至難なので、というか結局は習うより慣れろの世界だと思うので、そういった意味でこの文章は体験者向けである。

感情が無いというのが適切かは分からない。

鈍くなってる気はする。

これが薬のせいなのか、それとも薬を取らないとより酷く症状が出ているのか。

俺としてはよく分からない。

そこに深く突っ込めるほどの精神状態じゃないということは何となく分かっている。

ただ、にわかだが知識はある。

そういう薬は性欲を減退させる副作用を伴うことがあると。

それはつまりは、射精やそれに伴う性的快感を感じさせる報酬系の機能が鈍っているということなのだろうか。

不安感を解消するための解決策はいくつかあるだろうが、一つは不安の元となるものを解決に導いてそれに煩わされる時間を無くしてしまうことだ。

これは本当の解決と言えるし、健全だと思う。

でも、しばしば心を蝕む不安感というのは解決困難であったり、そもそも解決不能である諸問題に起因することも多い。

ともすれば、それを誰かに悩みとして打ち明けることさえも難しいという風な。

だから、自分の中で溜め込んで、自分の中で風化の時を待って、いずれストレスの塵を堆積させていく。

それはすぐに厚く降り積もり、雪のように地面を覆う。


今、めんどくさいというか自らの心理状態を分析して適切な比喩に言い換える煩わしさと、それを煩わしいと思う心は怠惰なのか、それとも睡眠を欲する脳が集中力の匙を投げたのか、そして、それらは感情と呼ぶのか。


実感としてはよく分からない。

めんどくささというのは、どこまでも付いてくる気がするからだ。


だって、嬉しいとか悲しいとか、面白いとか、エロいとかと、沸かなくなったとしても、めんどくさいとは思うのだ。

それで言うと、辛いとかも…今からいきなりランニングに出かけて体をいじめてみたりしたら、辛いとは思うんじゃないか。


でもそれは心から沸く方の感情ではない気がする。


いわゆる心〝発〝の感情ではなくて、体が悲鳴を上げている方の、体〝発〝の叫びだろうと思う。


感情には二種類あるのだろうか。


心を出発点とするものと、体を出発点とするものだ。

それでいくと、今鈍っていると感じていたのは間違いなく心の方だと思う。


心と体の感情の質的な差異についても考察しようと思ったけれど、主題とは逸れてしまう気がするのでやめようかな。


今、ちょっと面白いかもと思ったかもしれない。

発見をしたという気がしたのだ。


俺が俺の状態をちゃんと考察してメンテしてやることは、結構重要で、言い方が変だな…。うーん。


文章を書くことは感情とか、心理状態とか、頭の状態とか、色々なものの整理になって、血液循環になってちょうどいい気がする。


それが分かっていながら、なぜ俺は書かないのか。


あ、思い出した。めんどくさいは感情かという話だ。


めんどくさいは、行動に移す前や、やってる最中にも突然起こる状態だと思う。


めんどくさいは体か心か、それで言うと多分心〝発〝だと思うのだ。

体はめんどくさいとは思わない。体は悲鳴しかあげない。


快感か、苦痛かによってもたらされる。


でも、めんどくさいは沸き起こる感情かと言われればそうではない気がする。


逆に、最初から存在しているけれど、ほかの沸き起こる感情や時には体の悲鳴などによって掻き消されて(ランナーズハイ)普段は盲点に入っているものなのではないだろうか。怠惰はデフォルトに存在している。気がする。

やる気とか、気力とか、根性とか、嬉しい、寂しい、悲しい、以下略の諸々の激情に注目が集まって意識されない影が薄い感情。それが怠惰。人によるだろうけど。


普段から何かやること(仕事、思考や、計算や、目標に向けた努力、スポーツ、勉強)がある人には、それを鼓舞するカンフル剤としての断続的な感情の湧き水の切れ間にふと顔を覗かせてくる、それが怠惰の心。


沸くのではなく、モーテン星の効果が切れた時みたいにのび太は急に姿を現わすのだ。


けど、そういうのがない心理状態だと…。皆さんにはあまりないんだろうけど、そこが体験者向けの文章だと初めに断っておいてよかったと今思ったところだ。


そうすると、モーテン星の性能がいくらすごくたって、入れる盲点がないとすると、対象物がほかに存在しない場合は、否応なくそれは目に入り、常に見える状態になる。


目標があるメリハリの効いた生活をしないと、怠惰になる云々というのはこういうところから来ているのかな。


まあ、そういうのはどうでもいいんだけど。


ちょっと思ったけど、なぜか比喩にしなくていい部分を比喩にしたりして感覚を分かりやすく文章にすることを疎かにした気がする。


というより、書いていて気持ちいいことを優先させて結果であるとも言える。


ここで、僕は快楽を一つ取り戻しているらしいことに気付く。


おお!


のっぺらぼうで表面はツルツルと摩擦ゼロで全てスルーする僕の無感情状態を危惧していたけれど、突破口は内側からでも有効であったらしい。


でも、この程度で満足していいのか。


いや、それよりも。


ほかの感情についても試してみなければならない。


俺は俺の感情が好きだし、感情が鈍麻すると困るのだ。


今回鈍麻した理由は、多分怠惰の鏡のような性質ゆえのことだと思うのだ。


めんどくさいという感情は常に何かの写し鏡で、目の前の何かを写しておかなければ気が済まないやつなのだ。


だから、普段からやることなすこと基本この鏡に写されてしまっている。


けれど、それらがない時。何もない時に、怠惰の写し鏡は感情を写すのだ。


だから、感情を沸かせることがめんどうになるような妙な感覚に囚われるのだ。


これだ!


俺が言いたかったのはこれだったのだ。


とりあえず、俺さえ分かればいいのさ。


色々分かったからとりあえず今回はこれくらいで。





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