拠点
「指揮官。拠点に到着しました。」
鈴音はそう告げてガニメデから降りる。
続いて降りた俺の目の前にあったのは、青い重厚な扉だった。
何か施設の様だが、扉付近以外はコケやつる植物に覆われ、半分土に埋まったような様子で全容はわからない。
見えている範囲だと、横は20メートル、高さは6メートルほどだろうか。
扉自体は縦横それぞれ半分ほどの寸法で、両側にスライドするように作られている。
扉の右側には操作盤のようなものがついており、鈴音はそれに近づき何やら操作をしているようだ。
「鈴音さん、拠点と言ってましたがこれは一体何のための場所なんです?
人が住んでいるようには見えませんが......」
「はい指揮官、
現在この拠点はヒトの保護を目的としたシェルターとして活用しています。
また、現在当拠点で活動しているのは当機とガニメデのみですので、ヒトはいません。
ロックを解除しましたのでお入りください。」
鈴音がそう言うと扉がギリギリと軋むような音を立てながら開く。
風雨にさらされてガタが来ているのかもしれない。
鈴音に先導されて中に入ると、表とは違いかなり状態の良い清潔な環境だった。
内部は倉庫の様で、奥行きは30メートル程。同じ規格の箱や、布のかぶせられた機械類が置いてある。
奥には事務所なのだろうか、一階建てのプレハブの小屋がある。
「簡易ですがシャワーもありますし、お気に召すかわかりませんが着替えもあります。
衛生面の懸念もありますので先ずはシャワーを浴びることを推奨いたします。」
鈴音が振り返って説明を始めて気づいた。
鈴音の頬から胸にかけてが血だらけなのだ。
先ほどの移動で俺の上に覆いかぶさったことで、化け物の血液を擦り付けてしまったのだろう。
血だらけの姿でこちらに微笑みながら話しかけてくる姿は、不気味であると同時になんとも背徳的な色気も感じさせる。
「えっと、すいません。
さっきの移動で鈴音さんにも血がついてしまったみたいですね。
私は後でよいのでお先にどうぞ。」
「いえ、指揮官。当機は血液に汚染されても問題ありませんが、ヒトの場合、衛生上非常に問題です。
ですのでお気になさらずにお先にお入りください。」
「いやレディファーストですから。
血だらけの女性を差し置いて先に入るわけにもいきません。」
俺は気恥ずかしさから目をそらしてそう話し、風呂を譲ろうとした。
すると鈴音は立ち位置を変えて俺の視界に自身の全体が捉えられるように移動してそのエメラルドグリーンの瞳で俺を見つめながら微笑みかけてきた。
「指揮官。
もしかしますと指揮官はまだ当機のことをヒトと認知されているのかもしれませんが、
私は確実に機械です。こちらをご覧ください。」
そう言うと鈴音は左手の前腕の内側を指で撫でるような動作をしながら近づいてきた。
そしてまるで内側に着けた腕時計を見せるようにして、俺に左手を差し出してくる。
その左手を見て我が目を疑った。
そこには青く発光する形で文字が表示されていたからだ。
加えて鈴音がその上で横にスライドするように指を動かすと、表示もスライドして別の情報を表示する。
まさか腕の中にディスプレイを埋め込むなんてことはしていないだろうし、手術跡や不自然なふくらみなども見られない。
そこには、
型式番号:NS-08-D
製造番号:D029SO
製造年月日:2040.02.27
・
・
・
などと様々に情報が表示されていた。
ちょっと待て、製造年の2040って何だ?
「今ってまさか西暦の2040年じゃないですよね?」
よくあるタイムスリップものの話を思い出して冷や汗が出る。
そんなはずはない。
今は2019年のはずだし21年間のタイムスリップなんて半端すぎるだろう。
そんな夢物語であるはずがないと確認をするために俺は鈴音に問いかけた。
「はい指揮官。勿論違います。」
やはりな。
俺は鈴音の言葉を聞いて胸をなでおろす。
しかし、続く言葉は俺の望むものではなかった。
「当機の製造は2040年ですが、
初回の起動から1000年と194日が経過しておりますので現在は最低でも3040年になります。
起動時からネットワーク環境がなかったため正確な情報が提示できず申し訳ありません。」
「は?」
俺は思いもよらない言葉に絶句する。
そんなはずはない。
タイムスリップなどどんな魔法のようなことがあるはずがない。
ましてや自分がそれに関わることなど。
「待って下さい。いきなり1000年もたつはずがないでしょう!
あなたのその腕に表示される文字だって別に1000年たってる証拠にはならないはずだ。」
「指揮官、残念ながら当機のライブラリにはその解答となる情報はありません。
しかし、当機が起動してから1000年の時間をカウントしたことは事実です。
混乱していると思われますが今は体を洗って休んでください。
着替えと寝台は用意しておきます。」
俺はそんな話は到底受け入られないと反論しようと口を開こうとするが、鈴音は聞こうともせずに俺の腕を引き、プレハブ小屋へと引っ張っていく。
結局ロクに抵抗できずに小屋内の脱衣所に押し込められてしまった。
鈴音は一礼してドアを閉めて出ていく。
「一体......どうなってるんだよ。」
俺が一呼吸おいてため息をつきながらそう呟くと、先ほど閉じたドアが再び開かれ、鈴音が半身をのぞかせながら現れた。
「指揮官、当機には基本機能としてカウンセリングの機能があります。
対処は早い方が効果的ですので、必要でしたら手狭にはなりますが浴室内で行いましょうか?」
「いや、初対面の女性とお風呂になんて入れませんよ!
私だって男なんですから!」
俺は鈴音からの突然の提案に慌ててやけに大きな声で返答してしまった。
鈴音は間違いなく美少女で惜しい気もするが、俺という人間の信条として欲につられることを
良しとすることはできなかった。
いや、正直に言えば俺は怖かったのだ。
鈴音という白い魅惑的な肌と滑らかな金の髪をもつ美少女に、一般的に好意と捉えられる言葉を向けられることが。
これまでに異性とまともに関わってこなかった俺は、その状況でどのように行動することが人間としての
許される行いなのかが分からなかった。
その未知の問題に対して挑戦的な決断をすることに恐怖を感じていた。
「指揮官、私は機械です。
ヒトの補助のため戦闘や医療活動から慰安活動まで、幅広く実施できるように作られています。
指揮官が望めばあらゆる場面で、当機は汎用的に使用できますよ?指揮官。」
鈴音は胸に手を当てながら俺にゆっくりと歩み寄り、そう告げる。
その肯定的な言葉と血で飾られた透き通るような白い肌に
黄金色のショートヘアの美しい姿は、俺にとってあまりに魅力的で、未知のものだ。
この場面なら一般的に鈴音をどのように使用するのか?
醜い欲望が俺の腹の中を渦を巻くように蠢いているのを感じる。
そして俺は無意識に下腹部に力を入れ、姿勢を正しながら、
「いえ、結構です! 失礼します!!」
大声でその提案を断っていた。
同時に服を着たまま浴室に飛び込み、ドアを叩きつけるように勢いよく閉める。
心臓は勢いよく鳴り、こめかみがうずくのを感じる。
「そうですか......では、ごゆっくりお寛ぎ下さい。
当機のことは気にしなくてよいので、湯船で十分に休んでください。
では失礼いたします。指揮官。」
鈴音がそう話すと、浴室のドアの曇りガラスから脱衣所の扉より出ていく影が見えた。
きっと今の俺の顔はニホンザルよりも赤いだろうなと思い大抵浴室にある鏡を探すと、案の定真っ赤になった俺の姿が映った。
黒髪に黒目。平々凡々という言葉がぴったりな俺の普段は、青白い顔が頬を中心に首まで赤くなっている。
お世辞にも鈴音と釣り合うような顔ではない。
その姿が情けなくなり再度ドアにもたれかかると、服も脱がずに浴室へ逃げ出した事実に気づき俺はため息をつきながら脱衣所へ戻った。