吾輩は猫である レベルは100だ
吾輩は猫である。レベルは100だ。
どこで生まれたかとんと見当が付かぬ。なんでも薄暗い茂みでニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで初めてドラゴンというものを見た。しかも後で聞くとそれは古龍というドラゴン中最も強力な種族であったそうな。
ドラゴンというのはあらゆる生き物を喰うらしいが、この時の吾輩は何とも思わなかった。鱗に覆われた顔に浮かんだ瞳が、妙に優しげであったからやもしれぬ。
喰うことなく吾輩を巣に連れ帰ったそのドラゴンは、吾輩の口に生肉を突っ込み、なんと育て親となってくれた。
何ゆえ天下無敵のドラゴンが、吾輩のような平凡な猫を育てようと思ったかは定かではない。ともあれ、養育の恩にはただ感謝するばかりである。
新しい母親は吾輩を実の子のように訓育した。それはなかなかに大変な毎日ではあった。
考えてもみたまえ。獅子でさえ我が子を千尋の谷に落とすというではないか。ドラゴンが我が子に課す訓練の苛烈さはその比ではない。
しかも、身体の造りが異なるのだから、自ずから不可能なことも出てくる。
やれ空を飛べと言われても、吾輩には羽がない。
やれ火を吹けと言われても、精々毛玉が出るばかり。
しかし、母殿は優しく聡明な方であったので、吾輩を粘り強く指導し続けた。
苦労が実を結んだのは、吾輩が魔力とやらの概念を理解してからである。
天地に満ちるこのエネルギーを自由自在に駆使できるようになった吾輩は、それでようやくドラゴンとして一通りの所作を身に着けることができた。
母殿も大層喜び、吾輩に魔力を操る様々な術を教えてくれた。狩りにも連れ出してくれて、随分様々な獲物を捕まえたように思う。
さて、そんな風に我ら親子は仲睦まじく暮らしていたのだが、やんぬるかな、別れの時は唐突に訪れる。
怨恨か、はたまた単純な縄張り争いだったのだろうか。吾輩の留守中に、母殿は同類の古龍に襲われ、命を落とした。
元より年老いていた母殿である。懸命に戦ったが、抗することはできなかったのだ。
勿論、吾輩はすぐさま復仇に臨んだ。生まれてこの方、その時ほど激しい怒りを覚えたことはない。
相手は獰悪無類の古龍であったが、吾輩は躊躇せずに戦いを挑んだ。
激闘は三日三晩に及んだ。森をいくつか焼き払い、山を一つ二つ平らにしたところで、吾輩はとうとう怨敵の首を噛みちぎることに成功した。
然れども、復讐とは実に虚しきもの。
墓前に仇の首を捧げたところで、母殿が帰ってくる訳でもなし。
血気にはやって暴れたせいで、棲家としていた深山幽谷は、見る影もない荒れ山と化してしまった。
荒涼とした我が家に居続けても、心は寂しさを増すばかり。
母殿を殺めた古龍らを、もはや同朋と思うことはできぬ。吾輩は詮方無しに、当て所も無い旅に出ることになった。
そうして旅暮らしをするうちに、吾輩は人間とやらが住む街に居着くことになった。
騒がしい上に埃っぽく、昼も夜も無いような場所だが、なかなかどうして居心地がいい。
人間という生き物は随分と猫に甘いらしく、道々で声を掛けてくるわ、何くれとなく食べ物を差し出すわと、少々鬱陶しいほどの馴れ馴れしさで接してくる。
ともかく、食べる物には困らず、また人間が治めているため厄介ごとも無いこの街は、暮らす分には申し分ない場所だった。
「ああ~おはようございます猫ちゃ~ん!」
妙に甲高い声でそう話しかけてくるのは、金色の髪をした人間の女だ。確かマールと名乗っていたように思う。冒険者ギルドなる店舗の事務をしている娘である。
吾輩が縄張りとしているこの店舗には、実に多様な人間が出入りする。年嵩も性別も、或いは人種や身なりも異なった人間を眺めるのが、吾輩の密かな趣味である。
そうして店舗前の樽の上に乗っかり、日向ぼっこを楽しんでいると、
「よ、猫助! 今日もいい毛並だな!」
皮鎧を纏った年若い男が声を掛けてくる。最近よく見かける顔だ。仲間からはケントと呼ばれていたか。
彼ら冒険者は、店舗に持ち込まれる様々な依頼を受けて生活している。
例えば商人の護衛や、薬草、鉱石の採取。はたまた溝浚いや子守などといった依頼もあるらしい。そして中でも重要なのが、城外に赴いての魔物退治である。
彼らは徒党を組んで、街を脅かす魔物を定期的に間引きに行く。城内が平和であるのも彼らのお蔭というのなら、吾輩とて感謝の一つもしようというもの。だが、
「って、ああ、今日も触らせてはくんねえか……」
差し延ばされたケントの腕をひょいと躱し、吾輩は石畳の上に降り立った。
彼に限らず、どうして人間はこうも無遠慮に身体に触れようとするのか。同朋相手でもせぬことを、なぜ猫には気安く試みるのか。
「駄目ですよケントさん。猫さんはとっても気位が高いんですから」
と、店から顔を覗かせたマールが窘める。うむうむ節度を弁えた人間も居るのだなと感心していると、
「最初に猫さんを撫でさせてもらうのは私なんですから!」
などと言い出す始末。いったい何故人間はそうまでして猫に触りたがるのか、吾輩には皆目理解できぬ。
さて、地面に降りてしまったので市内でも散歩しようかと考えていると、
「おい、なに受付さんとよろしくしてるんだ。沢にケルピーが出たらしいぞ!」
と、ケントの朋輩らしきローブを纏った男がそう呼ばわりながら出てきた。
ケルピーとは、尾っぽが鰭になった水馬であったか。あれは中々美味なる獲物であったなあと思い返すが、態々獲りに行くのも面倒である。
それに、人間たちの飯の種を横から取ってしまうのも悪い。仁義を知る吾輩は、舌の上に甦る水馬の味を務めて忘れ、石畳を歩き出した。
どうも、飯の事を考えたので腹が空いた。心安い民家に飯をねだりに行くとしよう。
その日の夕刻。
市街の散歩を終えた吾輩が再び冒険者ギルドへとやってくれば、辺りは蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。
「各支部にも声を掛けろ! とにかく人を集めるんだ!」
「A級以上の冒険者に片っ端から連絡を付けろ! 報酬はいくら積んでも構わん!」
大声で喚きながら、どた足で歩き回る職員たち。ギルドに詰めている冒険者の面々も、武器を按じながら剣呑な気配を発している。
何か大事があったらしいと察するも、吾輩はギルドの隅に設けられた寝床に直行する。
ともかく今は眠たかった。今日は出かけた先々で街の猫どもから陳情を受け、それらの裁きに忙殺されたのだ。
鈍い人間と違って、猫は吾輩が如何なる存在かをよく心得ている。
吾輩は望まぬままにこの街の猫の統領にされてしまったので、猫どもの諍いを鎮めてやらねばならなかったのだ。とても人間の問題にまで気を裂く余裕はない。
襤褸切れに頭を突っ込み、丸まって休む。されど、ギルド内は喧々囂々と喧しい。
折角寝床が有るのだからと帰ってきたが、この調子で騒がれるなら、今晩は外で休むとするか。
吾輩はそう考え、大儀そうに襤褸切れを跳ねのけて起き上がる。すると、
「ケントさんたちがまだ帰ってません! どなたかお見かけしていませんか!?」
と、マールが血相を変えてギルドへと入ってきた。
「朝にケルピー退治に向かってから、何の連絡も無いんです……場所は飛龍の目撃地点にも近いですし、万一のことがあれば……」
狼狽も露わに人々へと訴えるマール。だが、吾輩の興味を引いたのはその内容だ。
飛龍。正統なるドラゴンが、この街の近くに現れたと言うのだ。
そこいらの魔物とは違い、ドラゴンは人間が容易に倒せる相手ではない。なるほど大騒ぎになるのも頷ける。
「残念だが、捜索に人手を出すことはできん。今はとにかく街を守らねばならん」
と、ギルドの上役の男が告げると、マールは顔を覆ってその場に崩れ伏せた。猫である吾輩にはよく分からぬが、彼女はケントと何やら深い関係にあるらしい。
その後も、次から次へとギルドには人が訪れ、何やら深刻そうな表情で会議を行う。
とても寝ていられるような状況ではなかったので、吾輩はそそくさと退散し、ギルドの建屋の裏で休むことにした。資材の覆いに使われている厚手の布地が、寝床として具合がいいのだ。
「う……うう……」
だが、其処には先客がいた。
先ほどギルド内で泣き崩れていたマールである。
彼女は暗闇の中で膝を抱え、涙を流しているではないか。何やら小声で、ケントの名を呟いてもいる。
人間たちも難儀をしているのは理解できるが、先ほど眠りを妨げられた吾輩はもう眠たくてたまらない。そこで寝るので場所を空けてくれと、紳士的に頼み込むことにした。だが、
「ああ猫ちゃん……慰めて、くれるの?」
と、まるで見当違いの事をのたまう。
吾輩は人語を解することができるが、人間は猫語を理解できないことを失念していた。
そして迂闊にも、吾輩はマールが伸ばした手に掻き抱かれてしまった。
「う、うわああぁぁぁん!」
吾輩に話しかけられたことで緊張の糸が切れてしまったのか、マールは童女のように身も世も無く泣き崩れる。
回された手が鬱陶しい。泣き声が耳に響く。
されど、彼女はこの街で最も多く吾輩に食事を供してくれた娘である。ギルド内に寝床を用意してくれたのも彼女だ。
仁義を弁えた猫としては、あまり無碍にもできない。
「う、ひっく、うう……」
しばらく成り行きに任せていると、ようやくマールも落ち着きを取り戻した。
吾輩は緩んだ腕からするりと抜け出すと、一っ跳びで塀の上へと登る。
そのまま闇の中に姿を消すと、今度は手近な民家の屋上へと登り、そのまま空を蹴って夜天を一気に駆け上る。
マールがあのように塞ぎこんでしまっては、吾輩とて心苦しい。此処は一つ、ケントの首根っこを咥えて連れ戻してやるとしよう。
そう思い立った吾輩は、雷光をも欺く速さで星空を飛翔した。
放たれた矢のように夜空を飛びながら、吾輩は神経を集中する。
途端に、世界に満ち満ちた魔力が明敏に感じられる。そうして吾輩は、最近大きな魔力の乱れがあったであろう場所に見当を付けた。
辿りついたのは、都市の近くを流れる川の畔である。
葦の茂った湿地の一部が、黒く焼け焦げている。そしてその中心には、半身を失ったケルピーが横たわっていた。
ふと疑念を抱いた吾輩は、空中から無残な亡骸を晒している水馬の上へと降り立った。
なんとも行儀の悪いことに、ケルピーはこの場で食い荒らされていた。
知性の高いドラゴンは、基本的に捉えた獲物は自らの巣に運ぶ。仕留めたその場で食べ始めるなど、余程飢えていたのだろうか。
否、子細にケルピーを検分していた吾輩は別の事実に気付く。
水馬に付けられた傷跡や、地面の痕跡から、どうやら一旦は巣に運ぼうとしたらしいことが窺えるのだ。
馬一匹を持ち去れないドラゴンなど、憐れむべき程の虚弱児である。
どうやら、下手人が本当に飛龍かどうかは疑わしくなってきた。
吾輩は再び神経を研ぎ澄ませる。すると、そう遠くない場所から強い反応が感じ取られた。何らかの魔力を行使している真っ最中である。
空を飛んで向かってみれば、果たして林の一部が赤々と燃えている。
炎の照り返しを受けながら夜空を旋回しているのは、翼の生えた腕の無い竜、ワイバーンである。
――何ともまあ、お粗末な見間違えもあったものだ。
姿形こそ似通ってはいるが、ワイバーンとドラゴンは完全な別種である。内在する力も天と地ほどに違う。
吾輩から言わせれば、ワイバーンなどは羽の生えた大きなトカゲである。
とはいえ困るのは、彼らが真実トカゲ並の知能しか持ち合わせていないことだ。
相手がドラゴンならば、色々と事情を話し合い、穏便に事を済ませることもできたのだろうが、ワイバーン相手ではそれも難しい。
さてどうしたものか。と吾輩が思案していると、
「あっちへ行け! 化け物」
と、林の中から人間の声が聞こえた。
見れば、ワイバーンは執拗に同じ場所へと火炎を吐きかけている。
近付いてみれば、岩棚を中心にして魔力による障壁が張られているではないか。
「くそっ! 何か手はないのか……」
その声には聞き覚えがある。ケントの朋輩の魔術師の男だ。
やはり、彼らはワイバーンに狙われて身動きが取れなくなっていたらしい。
吾輩は障壁の直ぐ側へと降り立つと、今まさに大口を開けて火炎を放たんとするワイバーンを睨みつけた。
――そして、吐息のように優しく火を吹く。
すると、轟々たる火炎がワイバーンの吹きつけた炎を呑み込み、諸共に総身を焼き尽くした。
吾輩にとってはろうそくの火より心許ない火炎でも、ワイバーンには十分すぎる仕置になっただろう。
思いがけない事態に、ワイバーンは金切り声を上げながら林へと墜落する。
そして降って湧いた出来事を受け入れられずにいたのは、人間も同じであった。
「い、いったい、何が……」
魔術師の呆けた声が聞こえる。次いで、魔力障壁が霞のように解け消えた。何は無くとも、危局を脱したことだけは理解したらしい。
さて、これで後は彼らが街に帰れば一件落着だ。吾輩は更なる面倒事が起きる前に退散しようとする。だが、
「おい、ケント! しっかりしろ! すぐに医者の所に連れて行ってやるからな!」
と、緊迫した声が聞こえたもので、何事かと一行を覗き込む。
すると、地面には力なく横たわるケントの姿があった。
ワイバーンの火炎をまともに受けたらしく、皮鎧は焼け焦げ、全身に酷い火傷を負っている。
仲間が手を尽くして介抱しているが、傷は重く、動かすのも危険な容態だ。
「っ! な、なんだこの猫は……」
ここまでくれば乗りかかった船である。吾輩はしょう事無しに一同に近づくと、そのままケントの胸へと飛び乗った。
「な、な……」
そして魔力を循環させ、ケントに治癒の魔法をかけてやる。
途端に焼け焦げた皮膚が剥がれ、下からピンク色の新たな肌が現れる。
周りの人間は一様に驚愕して言葉を失うが、吾輩は彼らには頓着せず、肉球でケントの鼻づらをぺしぺしと打擲してやる。すると、
「う、ううん……」
苦しげな呻き声を上げながらも、ケントが目を覚ました。
「あれ……猫助?」
起き抜けで間の抜けたことをいうケントに、吾輩も一先ず胸を撫で下ろした。これで彼が死にでもしたら、マールは随分塞ぎこむだろう。そうすれば、明日から飯をねだる相手が減ってしまう。
「な、この猫、ギルドの奴だよな……」
「こんな高位の魔法を、何で……」
周りの人間たちが何やら騒がしい。ともあれ用事は済んだと、吾輩は彼の胸から飛び降りる。その時、
「ッ、また来やがった!」
夜空に甲高い鳴き声が響き渡る。
見ればワイバーンが再び飛翔し、こちらへと突進して来るではないか。
なるほど、多少は炎への耐性があるのだろう。全身の鱗はひどく焼けただれているが、飛翔に支障をきたした様子はない。
それどころか、思わぬ反撃を加えてきた人間に憤激しているらしく、ワイバーンは狂乱したように炎を撒き散らしている。
――トカゲ風情が、手心を加えてやったというのに。
喰うためでもなく殺すのは忍びないと、態々優しく追い払ってやったというのに、どうやらそれが分からぬようだ。
野生に於いて、彼我の実力差を見抜けぬモノが辿る道は只一つ。
吾輩は空を蹴って夜天へと舞い上がると、魔力を集中して仮初の巨大な腕を作る。
そして一瞬の交錯の内に、ワイバーンは吾輩の腕によって首を刎ね飛ばされた。
轟音と地響きと共に、ワイバーンの亡骸が林へと墜落する。
もう、ケントらを脅かす敵は居ないだろう。
久方ぶりに狩りをしたせいで、気分が昂ぶってしまった。しばらくは寝付けそうにない。
今宵はいい星月夜である。吾輩は久方ぶりに夜空を散歩することにした。
ワイバーンの件から数日後。
吾輩は特に以前と変わることも無く、今日ものんびりとギルドの軒先で日向ぼっこをしていた。
面倒事が起こるかと思われたが、どうやらケントらは吾輩の事情を秘することにしたらしい。或いは、話しても誰にも信じられないと思ったか。
「はい猫さん。お昼ですよ」
嬉しい変化なのは、マールが食事に色を付けてくれるようになったことだ。だが、反面彼女は吾輩に触れる権利を得たと思っているらしく、再三身体を撫でてくる。
鬱陶しいのだが、拒否して機嫌を損ねてもこちらの損なので、甘んじて受け入れることにした。そして、
「うっす! 猫さん。今日もお願いします!」
最近特に困っているのが、何を思ったか吾輩に教示を受けようとするケントらである。彼は朋輩共々吾輩に師弟の礼を執り、剣だの魔法だのを教えてくれとせがんでくるのだ。
猫の言葉が分かる訳でもないのに、何をどう教えろというのか。
拒んで逃げ出そうとするも、何処からか場所を嗅ぎ付けて追いかけてくる始末。
仕方なしにこっそりと魔法を見せてやれば、何やら大興奮で騒ぎ立てる。
まったく困った人間たちだが、幸いそれ以外に大きな変化はない。
順風満帆。世は全て事も無し。吾輩の気ままな猫暮らしは、まだしばらくは続けられそうだ。