令嬢は文句を言われる
学園には、豪華な食堂とは別に、おしゃれなカフェテリアもある。
中庭に面したテラスもあり、気持ちが良い天気の日は、わたくしはいつも優雅に昼のティータイムをしていた。
ある日、そこに数人のご令嬢が押し掛けてきたのだ。
侯爵家や伯爵家のご令嬢ばかりだ。ご丁寧にぐるりとわたくしの座るテーブルを取り囲んでくれた。
彼女たちは王子を取り巻く一派なのだ。
全く相手にはされていないが。
「失礼ですが、アデル様!最近のリンデル・フォーンの振る舞いは目に余りますわ!」
「そうです。あんなに王子殿下に近づいて!」
「まったくなんて不敬なのでしょう!!」
挨拶もなくきゃいきゃい言ってくれるが、近づくも何も、リンデル嬢は逃げているのに王子が追いかけているから近くにいるように見えているだけだ。
(…失礼な方々ね!せっかくのお茶が台無しですわ!)
しかしわたくしが騒げば、このご令嬢たちはさらにヒートアップしてしまう。
そうなったら面倒なので、わざとゆっくり扇子を広げて口元に当ててから、できるだけおっとりと返答した。
「諫言ありがたく存じますが、王子殿下にもご友人は必要ですわ」
「友人としてでも!身分も低い下町育ちの男爵令嬢ですわよ!?アデル様はなんとも思いませんの!?」
わたくしは、ご令嬢たちの顔を一人一人眺めた。
一応、全員の顔と名前は一致する。
(この方々、わたくしの怒りを買うとは考えなかったのかしら?)
わたくしが微笑みながら、顔を確認していると、ご令嬢たちは少しひるんだようだ。
できるだけ、微笑みの形を変えないように言葉を紡いだ。
「わたくしごときが殿下の交友関係に口を出すわけにはいきませんわ。でも、殿下には、あなた方が殿下を心配していたと伝えておきましょうか?殿下からお言葉をもらえるかもしれませんよ?」
王子が自ら話しかけるのはわたくしを含めてほんの数人。
物の数にもはいらないご令嬢からの苦言など聞く耳は持たないだろう。
むしろ嫌悪するはずだ。
もし、王子から否定的な言葉が出れば、ご令嬢だけでなくその家にまで影響が出る可能性がある。
王子に悪印象を与えられたくなかったら黙ってろと暗に突き放すと、悔しそうに令嬢たちは去っていった。
すると、そのご令嬢達と入れ替わるようにエリックが近寄ってきた。
ご令嬢達に囲まれるわたくしを見つけてくれたらしい。
「アデル?何か言われていたようだが?」
わたくしは、扇子を口元にあてたまま、ため息をついた。
「まぁ、少し。王子殿下は人気者ということですわね」
「…アデルは大丈夫だったか?」
エリックの声に心配そうな色が滲んでいる。
見上げたエリックの髪は相変わらずぴんぴんと跳ねていた。
その鳶色の瞳は柔らかい色をしているが、こうやって日に透けると複雑な色をしているのがわかるのだ。暖かい茶色に赤みが差したり、黒に近い茶色になったかと思えば、金色がかったりする。しばしその色に見とれたが、これではいけないと気を取り直した。
(エリックが来てくれたなら、あのご令嬢たちに感謝しなければなりませんわね…)
わたくしは、静かに扇子を閉じた。
こうして何かあると、優しいエリックはいつもわたくしを心配して来てくれるのだ。
わたくしを見ていてくれる証拠だと思うと、我知らず口角があがってしまう。
「大丈夫ですわ。エリックは優しいですわね。どうぞ、座ってください」
「ありがとう…いや、幼馴染として当然だ」
「でも、本当に何でもないことですのよ」
そう言って、わたくしは隣に座ったエリックに、健気に微笑むふりをする。
そうすれば、エリックが気をもむとわかっているからだ。
狙い通り、エリックの表情は心配そうに曇る。本当に優しい人だ。
ふと、エリックの視線がわたくしの頭の周りを彷徨った。
何を見ているのか、わたくしにはわかる。彼は、わたくしの髪飾りを確かめているのだ。
そうして、わたくしが彼の贈ったリボンをつけていることを確認すると、エリックの鳶色の瞳はいつもほんの少しだけ優しく細められる。
多分、本人は無意識だと思う。
だが今日は、そのままじっとハーフアップの中心につけたリボンを凝視している。
「これは、どうやってつけているんだ?」
「え…?」
今日つけているリボンは、先日贈られた幅広のサテン地リボンだ。濃紺の地に、水色から白へと変わるグラデーションの糸で小花の刺繍がしてあり、シックだが可愛らしい。
髪に結ぶのが難しかったので、器用な侍女が上手く折り重ねて、リボンの輪が何十にも重ねられた髪飾り風になっている。それを飾りピンでとめてあるのだ。
蝶結びではなかったので、不思議だったのだろう。
「あぁ、これですか。結ぶのが難しかったので、上手く重ねて止めているんですのよ」
「それは申し訳なかった。繊細な小花柄も、君に似合うと思って選んだから、そこまで考えては………いなくて……………」
エリックがそこまで言って、止まってしまった。精悍な顔が赤らんできている。
彼が学園でリボンのことを口に出すのは珍しい。
あらぬ誤解を避けるため、わたくしにリボンを贈っていることは秘密にしているのだ。
だが、周りにほかの生徒はいるが、皆おしゃべりに夢中。わたくしたちのことなど気にしていないだろう。
わたくしはそう思いながらも、少し声を潜めてエリックに言った。
「いえ、楽しみ方は色々ありますから、どんなものでも嬉しいですわ」
「いや…………うん。使ってくれれば、俺も嬉しい……」
エリックの耳まで赤くなっているのに気づいて、嬉しさに心が波立つ。
彼は少し照れているのだろう。緩む頬が抑えられない。
リボンの話が出たのだから、お礼のハンカチの話をしても良いだろう。
わたくしはにっこりとエリックに微笑みかけて言った。
「わたくしが贈ったハンカチも使ってくださいませね」
「ありがたく使っているよ。今も持っている」
「まぁ!嬉しいです!」
エリックは懐から丁寧にたたまれたハンカチを出した。
栗色のイニシャルに金色の蔓が巻き付いた意匠だ。我ながら上手くできている。
まぁ、栗色はエリックで金色はわたくしに見立ててあるので、逃さないぞという意思表示でもある。
今まで贈ったものも、似たようなデザインが多い。
露骨だったかしら?と表情を窺ってみるが、彼はふんわりと微笑んだままだ。
だが、このメッセージに気づいていようがいまいが、わたくしはエリックに密やかに秋波を送り続けるだけだ。
季節ごとにリボンを選んでもらうのも、意味深な刺繍を贈るのも、エリックが折に触れわたくしを思い出すようにする策略の一つなのだ。
だが嬉しいことに、クラスでは余計な手を回さなくても、エリックはわたくしの近くにいてくれることが多い。
最初は王子の婚約者に取り入ろうと、多くの貴族子息や令嬢がわたくしを取り巻いた。
それに辟易したわたくしに気が付いたのか、彼は王子の友人として、幼馴染として、他の生徒を牽制しながらそばにいてくれるようになったのだ。
「エリックは頼りになりますわ…また、わたくしを助けてくださいね」
エリックが同級生たちの囲みからわたくしを助けてくれた時、わたくしは儚げに微笑みながらエリックにそう言った。
エリックの優しさに、これ幸いと甘んじることにしたのだ。
本当に同じクラスにして良かった。グッジョブわたくし。
優しくて思いやりのあるエリック。今もその心の清廉さは変わらない。
わたくしは、隣に座るエリックをうっとりと見つめたが、ふとさっきの令嬢たちのことを思い出した。
(ひとまず、黙らせてやりましたけど、あのご令嬢たち何かしそうですわね。大事にならないといいんですけれど…)
リンデル嬢がいじめられた場合、王子からのフォローは期待できないだろう。
怯えるリンデル嬢を眺めて薄笑いするのが関の山だ。あの王子はそういう奴だ。
あまり目に余るようなら助けに入ろうと思っていたのだが、その不安はいい意味で覆された。