令嬢は学園に入学する
十二歳の年を迎え、わたくしたちは学園へ入学した。
王侯貴族や裕福な商人の子息や令嬢が集まる六年制の学園だ。
ルーイ王子殿下も、わたしくしも、エリックも同じ年なのだ。そして、リンデル嬢も。
この頃には、王子の外面は完璧になっていた。
見目麗しい黒髪碧眼の王子の微笑みは、柔和だが人を寄せ付けない硬質さがある。
そばに置く人間をも厳選するのは、王子だからこそであるという態度だ。
単に、気に入らない人間はそばに寄って欲しくないというだけなのだが、王子補正って素晴らしい。
美しいけれど近寄りがたく、クールで賢い王子様。それがルーイ王子殿下への評価だった。
だが、わたくしには相変わらずただのやばい奴という印象しかない。残念ながら、王子は成長しても全く変わらないどころか、どんどん良からぬ方に飛んで行っている気がする。
もう誰にも止められない。
そんな素敵な王子様の婚約者として、わたくしも見られるわけだ。
だが、儚げな美少女かつ完璧なご令嬢として振舞ってきたわたくしに死角はない。
値踏みされるような視線にもとうに慣れた。
それに何故かわたくし、王子とのやりとりで王宮に毒草が植えられていたことを発見し、庭師を教育した才女だとか、お茶会で王子に社交をすすめる懐の広い令嬢だとか言われているのだ。
正直どうしてこうなったと思うが、わたくしの評判は良いようで何よりだ。
そんなわけで、美しく、賢く、かつ王子と旧知の仲であるわたくしに喧嘩を売ってくるアホはいない。
エリックは、少し地味な外見のため目立ちにくいが、背が伸びてとてもスタイルが良くなっていた。
わたくしの目から見れば、王子と並んでも遜色ない。
そして、彼は意外にも王子から友人として遇されている。
王子の遊び相手として、年の近い貴族の子息達も王宮に呼ばれていたが、王子はそれをことごとく退けていた。
友人と称したのはエリックを含め、片手にも満たない。
エリックはまっすぐな性格で、王家への忠誠が厚く、それでいて王子に媚びたりしない。
だから王子もそばにいることを許したのだ。
王子は特にエリックの清廉さと真面目さが気に入っているらしい。
さすが王子、見る目があるではないか。ついでにエリックの爪の垢でも煎じて飲みまくってほしい。
不思議なことに、エリックや他の友人に対しては、王子はきちんと王子然として振舞っているらしい。
男同士の見栄と言うものだろうか。
わたくしにも是非そうして欲しかった。
だから、王子がやばい奴だと知っているのは、両陛下以外には、身近な使用人とわたくしくらいなのだ。つまり、学園ではわたくししかこの王子の本性を知らない。非常に気が重い。
話は学園生活に戻る。
クラスは、王子とリンデル嬢はA組。わたくしとエリックはB組になった。
王子とリンデル嬢が同じクラスになったのは、王子が手を回したのだ。
獲物は手元に置いておきたいのだろう。やはり陰湿だ。
だけど、もちろんわたくしもエリックが同じクラスになるようにこっそり手を回した。
他のご令嬢に目を向けさせるわけにはいかないのだ。見張らなければならない。
同じクラスなら、いくら会話してもそうおかしくはないはずだし。
(学園にいる間は、たくさんエリックとお話しできますわ!)
これで薔薇色の学園生活だとわたくしは非常に浮かれていた。
リンデル嬢はといえば。
王子から聞いて知っていたものの、彼女はストロベリーブロンドの髪に緑色の瞳の可愛らしい令嬢だった。
付け焼刃の令嬢修行ではどうなることかと思っていたのだが、わたくしの目から見ても立ち居振る舞いや態度に目につくところはなかった。
ぱっと見は、ただの大人しいご令嬢といった印象を受ける。
だが、彼女はすでに下町育ちの男爵令嬢であるということを噂されていた。
それ故に、だれか有力な令嬢の下について火種になるよりは、目立たず人と関わらないようにすることで己の身を守ることを選んだようだ。賢明な判断だと思う。
(バカな野心を抱く方ではないようね。これで安心して王子を押し付けられるというものですわ…)
リンデル嬢の人となりに、すっかり安心していたのだが、肝心の王子がやらかした。
なんと王子は、リンデル嬢を執拗に追いかけ回し始めたのだ。
まさか、このクールな王子が女性を追いかけるなど誰も想像していないのか、他の生徒からは、何かとリンデル嬢が王子の近くにいるという認識のようだ。
今やリンデル嬢は、婚約者であるアデル・ハワード公爵令嬢や他の令嬢を差し置いて、王子と仲良くする不届き者だと思われている。
けれどわたくしにはわかる。
あのリンデル嬢の表情。
可哀想に、本当に怖がっているようにしか見えない。
(そうですわよね。怖いですわよね。いつの間にか無言で後ろに立ってたり、逃げたはずなのに回り込まれたら恐ろしいですわよね!っていうか何やってるんですの!!あの王子は!!)
これではリンデル嬢が王子に恋することなどありえない。
王子がただのストーカーにしか見えない。
いや、実際年季の入ったストーカーなのだが、これはまずい。
リンデル嬢も、王子に対抗してものすごいスピードで逃げるようになったのには驚いたが、先回りされてしまっては意味がない。
彼女はそのたびに、予想外のところで王子と出くわすことに愕然としていた。
それもそのはず。
王子はリンデル嬢に近づくために斜め上の努力をしているのだ。
気配を消す練習とか、足音を立てずに歩くだとか、学園の隠し通路を把握するだとか、あとはただただ走る練習をしたりとか。
結果、ものすごく静かに、かつ速く走れるようになっていた。怖い。その執念が怖い。
その執念を、もっと別方向に動かせばいいのにと何度も思った。
そして、リンデル嬢の行動パターンを予測することにも余念がない。
「ここ数日の動きを見ると、今日の昼食場所は地学準備室」
と、ひっそりとわたくしに言い残して去っていく王子の瞳は、暗い喜びに輝いていた。
(なぜわざわざ報告しに来るんですの…とばっちりで怖いですわ…)
王子と会わないように、毎日昼食の場所を変えているリンデル嬢だったが、残念ながら王子の予測は正確だ。だてに賢いと言われていないし、勘もいい。才能の無駄遣いだ。
今日も彼女は昼食を食べ終わったころに、いきなり訪ねてくる王子に慄くのだろう。
(あれで、きちんとリンデル嬢にアプローチしていると思っているところがまた怖いですわね…)
大体、王子はそうしてリンデル嬢に会った後、満足そうにしているのだ。
自分の勘が当たったことに満足しているのか、怯えるリンデル嬢を見れて嬉しかったのかは分からない。
リンデル嬢は相当王子を警戒しており、できるだけ避けているのに自覚はないのだろうか。
だが、それがまたそそるのか、王子は懲りずにリンデル嬢を追いかける。本当にやばい奴だ。
だけど、人の恋路を邪魔するのもどうかと思い、わたくしは静かに見守っていた。
何度かリンデル嬢とどうなっているのか聞いてみたが、上手くやっていると王子が言うものだから、もう何も言わなかった。どうせ言ったって聞く耳もたないし。
わたくしだってエリックを離さないようにするのに忙しいのだ。あまり王子とリンデル嬢にばかりかまっていられない。
そんなことが続き、王子とリンデル嬢の関係を見ても何も言わないわたくしに業を煮やした一部のご令嬢達が、わたくしに苦言を呈してくることがあった。
本当に迷惑極まりない。わたくしは王子の保護者ではない。
文句があるなら王子に直接言えと言いたい。
ご令嬢達は、わたくしにこんなことを言ってきたのだ。
結局アデルは王子のお守り役です。