ラシャドとリシャード 後編
スラムから倉庫街に拠点を移して数年。
もう俺は二十歳を超えていた。闇組織としての実績は十分。
縄張りも安定していたが、どうにも赤蛇との決着がつかない。
あいつらは決定的な一打を狙って、こちらを監視し続けていた。
黒犬の俺たちこそ、赤蛇をいつか一網打尽にしてすっきりしたいと思っていたのだ。
倉庫街は、以前から改造計画が出ていたが、赤蛇のせいで上手くいかなかったのだ。
心ある商会が手を上げても、馬鹿な赤蛇がことごとく脅しをかけてしまう。
倉庫街は元々赤蛇のものなのだから、他の奴らは手を出すなということだ。だが、あいつらだって、元は他の奴らから奪ったと言うのに、そういうことは都合よく忘れてしまうらしい。
黒犬としては、上手くその改造計画に乗っかるためにいくつかの商会と交渉していたこともあるのだが、しつこく邪魔をする赤蛇がうっとうしくてしょうがなかった。
そんな時に、昔の恩人から連絡がきた。
『ソヴェトの王族を亡命させる手伝いをして欲しい』と。
恩人であるバチェクは、運び屋として裏の世界ではそこそこ名の知れた人物だった。そんな人に頼まれて断ることはできなかったし、報酬も魅力的だった。
(これはチャンスだ)
そう思うと同時に、しくじることはできないというプレッシャーがかかった。
ソヴェトからコーウェンへの亡命を成功させるためには、パライアを安全に通り抜ける必要がある。
船くらいいくらでも用意できるが、安全に通り抜けられるようにするためには繊細な準備が必要だ。赤蛇のような馬鹿者が襲撃してくるのでは話にならない。あいつらは虎視眈々とこちらの弱みを見つけようと狙っていた。もし情報が洩れてそこをつかれれば黒犬の面目は丸つぶれだ。バチェクからもどのような報復をされるかわからない。
そこで、もう全てを作り変えてしまうことにしたのだ。
赤蛇も黒犬も、倉庫街の今までも全て。
できれば、国にも他の闇組織にも目を付けられないように、自分たちが安全に倉庫街を使えるようにしたかった。
だから、新しくハウンド運輸商会を立ち上げたのだ。
名前だけの張りぼてだが、信用を得やすいように商会の事務所と人手は用意した。運び屋を引退すると言っていたバチェクをスカウトし、名前もバーティと変えてもらった。
そして、彼を社長として祭り上げ、黒犬のメンバーを従業員としたのだ。俺も『黒犬のラシャド』として名が知れていたので、リシャードと名前を改めた。
商会の実績はバーティが過去に行った仕事を参考にして偽装したものだが、案外気が付かれないものだ。
誘拐事件の後、赤蛇も黒犬もいなくなってぽっかりと空いた倉庫街を新しく整備するための募集がかけられた。
いくつもある商会は、治安の悪かった倉庫街にそう簡単に手を出してこない。今まで倉庫街は闇組織が牛耳っていたのだから当然だ。
尻込みする商会に業を煮やした国が、今後も定期的に守備兵を護衛に出すという条件を提示したところで、何も知らない新参者としてハウンド運輸商会が手を上げたのだ。
交渉の場に出向き、全ての事業を整備したのは俺だ。
しばらくは大変だったが、やっと軌道に乗った。
ハウンド運輸商会の倉庫・船であれば、王都守備兵の護衛がつく。この事実は良い宣伝になった。確実に荷を守ることができるとアピールできるのだから。
これで、ほとんどの不埒者からハウンド運輸商会の船は守られる。
亡命させるための安全な船旅が確保できた。
隣国から王族を乗せた船が来たのは、あの誘拐事件から約一か月後だった。
その時、倉庫街周辺を警備しているのは黒犬のメンバーのみ。守備兵の見張りの穴をつくのは簡単だ。全ての情報は俺が持っているのだから。
ひっそりと王族をハウンド運輸商会の船に乗せ換えて、それはコーウェンへと出発した。俺も一緒に行ったが、片道一週間と少しの船旅は骨が折れた。
無事に送り届けて戻ってきたのはつい先日のこと。
俺は王都に戻ってしばらくしてから、ワトソン夫妻に会いに行くことにした。
〇〇〇
日は傾いて空は夕暮れ、路地はもう暗く沈んできている。
最後の買い物に忙しい人々が足早に行き交う、そんな街を通り過ぎて倉庫街へと足を運ぶ。
俺は知らずに笑みを浮かべていた。カフェでのやりとりを思い出していたのだ。
(ケイシーね。なかなか面白い女だった)
貴族とは言え、眼鏡で大人しめの外見だったものだから、特に変わり映えのしないつまらない女なのだと思っていた。
あの美貌で有名なゴールドスタイン商会の次男が、なぜこんな女と結婚したのかとずっと訝っていたのだ。
(俺は、てっきりお嬢さんがワトソン子爵家の家柄と美術商の財産を手にするためだと思っていたんだがなぁ…)
興味本位で調べてみれば、ワトソン家はさほど裕福でもなく、あの女は元々自分の従兄弟と結婚するはずだったと言う。
それを強引に結婚に運んだのがトゥーイ自身だったのだから、これには驚いた。
旨味の無い結婚で、愛想をつかしているかと思いきや、これがまたなかなかどうして仲良くやっているようだ。
(お嬢さんの趣味が悪いのかと思っていたが、俺の間違いだったな)
俺は、心の中でケイシーに謝罪した。
こうして読めないことがあるのは面白い。
元々、あの事件に巻き込むのは『お嬢さん』…トゥーイだけで良かったのだ。機転が利く彼なら、あの場に兵を呼ぶことができるだろう。あくまで彼女はおまけだった。それに加えて同行者がいたのには少し焦ったが、無事に兵は来た。
見張らせていた手下の合図で上手く赤蛇との交渉をまとめ、その場を去ったふりをして偽の取引相手として船を操った。
変装をしてトトルと顔を合わせたが、あの男は浮かれて何も気が付かなかった。
きっと、牢にぶち込まれて俺に騙されたと気が付いたのだろう。馬鹿な男だ。
兵が踏み込んだ時、俺たちは混乱の中、川の中に予め張ってあったロープを伝って逃げた。少し離れれば、あの闇だ。俺たちの姿を隠してくれる。
兵が全ての赤蛇を捕まえ終わるころには、俺たちはとっくに対岸に用意した船で逃げていたのだ。
それから、俺たちはハウンド運輸商会で仕事に励んでいた。
後は勝手に守備兵が赤蛇の罪を見つけ、奴らを処刑するのを待つだけだ。
全て、事は俺の計画通りに進んだ。
俺は、倉庫街に建つ事務所の扉を開けた。
「おかえりなさいリシャードさん、これチェックお願いします」
すかさず声をかけてきたのは、元黒犬のメンバーの一人だ。
あどけなさの残る少年は、書いていた帳簿を差し出している。
「ソル…少し休ませてくれよ」
「野暮用と言って出て行ってから随分たちましたよ」
「しょうがねぇなぁ…」
「あなたにチェックしてもらわないと、僕の仕事が終わらないんです」
「わかったよ」
つんけんしながら仕事を続けるソルを見て、俺はため息をついた。
(拾った時は可愛かったのに…)
思いのほか頭が良く、このような仕事をするには適任なのだが、最近は可愛げが無くなってしまった。
それでも少年の小ざっぱりとした襟足を見て、こうやって堅気の仕事をさせてやれるようになって良かったと思う。
薄汚れた倉庫で命の危険と隣り合わせの生活は、こいつらには酷だろう。
仲間にまともな生活をさせてやりたい。それもあって商会を立ち上げたのだが、これを言うとなんだか照れくさいので言わないことにしている。
(デールとエレンには、してやれなかったからな)
だが、金のために彼女たちを売ったのは今でも後悔していない。スラムで過ごすよりはいい生活ができたはずだ。現に、彼女たちは男爵家で健やかに成長した。
驚いたことに、デールは王太子妃にまでなったというのだから、やはり男爵家に帰したあの判断は間違いではなかったということだ。
今回の誘拐に、デールとエレンまでが巻き込まれたことには焦ったが、うまく兵が来てくれて助かった。まさか、ワトソン夫婦が王太子妃と一緒に行動しているとは思わなかったのだ。
カチャンと音がして振り返ると、机の端に紅茶の入ったカップが置かれた。
ソルが入れてくれたらしい。
白磁のカップを見て、あのティーセットを思い出した。裏取引の中で見つけた希少なツェリコ・ゴーシュ。
あれを取引の品に混ぜたのは、ちょっとした遊び心だった。
目利きならあれの価値がわかるはず。王太子とも親しく美術商を営むトゥーイ達が押収品の鑑定を頼まれるだろうと思い、そうした。違法な押収品をおいそれと外に出すことはしないだろうから、価値があるのものだと分かれば、ひそかに下賜されると踏んだのだ。
ある種の賭けだったが、ケイシーのあの反応から見て、彼らはきちんとティーセットを手に入れたらしい。彼女は詫びの品だと気づいてもくれただろう。
察しの良い女は好きだと言ったが、それは嘘ではない。事件の大筋を推測できたのは素晴らしいと思う。
さすがに、隣国の王族を亡命させることが本来の目的と知られたら大問題なので言えなかったが、他はほぼ推測通りと認めてしまった。それに、リシャードがラシャドであると分かってからも、物おじせず俺に話してくるのだから中々の度胸だ。
(彼女が貴族でなければ、うちにスカウトしたんだが)
あの度胸に察しの良さ、それにあのような洞察力があるのだから、色々仕事をしてもらえそうだ。だが彼女は貴族である上に人妻。惜しいことだ。
トゥーイも彼女を大事にしているようだし、しばらく近寄らせてもらえないに違いない。
あいさつ代わりに頬に口づけたくらいであの表情だ。まったく、美人の般若顔は見ごたえがあった。
(…あの夫婦は、色々機転が利いて便利なんだよな。また何かあった時には協力してもらいたいんだが…)
そうやってぼんやりと帳簿に目を通していると、どさっと横に書類が積まれた。見つめていると、さらに追加を持ってくるソルと目が合った。
容赦なく机に積まれていく書類に渋い顔をしたが、ソルはさらっと無視して行ってしまった。
「…もうちょっと俺に優しくしてくれてもいいと思うんだがな」
「僕はバーティさんを手伝ってきますから、それ終わらせておいてくださいね」
ソルはそう言うと、奥の部屋に行ってしまった。
(…こんなに忙しくなるのは予想外だぞ)
俺はジャケットを脱いでぐっと伸びをした。
商会を立ち上げて軌道に乗せるまではできるだろうと思っていたが、こんなにやることが多いとは思わなかった。
しかたない。いずれ部下が育ってきたら、もっと仕事をまかせることもできるだろう。
(夜会に行く時間も作りたいし、ひとまず仕事しますか…)
社交シーズンが始まれば、ワトソン家の夫婦も夜会に出席するはず。
きっと、今をときめくハウンド運輸商会の社長であるバーティにも招待状が来るだろう。名代として出席できるものもあるはずだ。そのためには暇を作って少し手を回さなければならない。
あのワトソン夫妻が夜会で俺を見てどんな反応をするか、想像するだけでも面白い。
好奇心をくすぐってくれる素材は少ないというのに、あの二人はたいしたものだ。
俺は無意識に顔をほころばせた。今からいくらでもやることがある。
何が起こるか分からない。それを考えればわくわくする。
策略を巡らせるのは楽しいが、筋書き通りに事が運びすぎても、それはそれで退屈なのだ。
それからしばらくして、隣国の王族が亡命したという噂が王都を騒がせた。
教会が怒り狂って探しているらしいが、誰がどうやって手引きしたのかは分からないらしい。ソヴェトから出発する際、バーティは上手くやったようだ。
満足そうなバーティを尻目に、俺は仕事に奔走するのだった。
ここまで読んでいただいてありがとうございました!
続けて書きたい話はあるものの、上手くまとまらないのでここで一旦完結とさせていただきます。
もし再開した場合には、またよろしくお願いします!