令嬢は幼馴染に告白する
エリックとは、正式に王子の婚約者となってしまえば、きっと気軽に会えなくなる。
そう思って、王子との一度目のお茶会のすぐ後で、母上に無理を言ってダグラス家への訪問を取り付けた。
できるだけ可愛い格好を見てもらおうと、お気に入りのふんわりとしたアイボリーのワンピースドレスで向かう。
急な訪問にも関わらず、エリックは笑顔で迎えてくれた。
相変わらずぴんぴん跳ねた栗色の髪。落ち着いた鳶色の瞳。
深い緑色のタイに同じ色のズボンが良く似合っていた。
「アデル、いらっしゃい」
「急に来てごめんなさい」
「そんな、アデルならいつでも大丈夫だよ」
わたくしの幼馴染は本当に優しい。
王子と違ってにこやかに笑うエリックを見て涙が出そうになった。
「母上たちは、またおしゃべりするだろうから、僕たちは庭で花でも見ようか?最近、綺麗に咲いた花があるんだよ」
「まぁ、ぜひ拝見したいですわ!」
エリックは、わたくしが花好きだと知っているから、きちんとこうして付き合ってくれる。
彼の心遣いと優しさにきゅんとした。
「ほら、この辺のイングリッシュローズが咲いたんだ」
「とっても綺麗ですわ!それにいい香り…」
幾重にも花弁が重なった濃いピンク色の花が、重そうに頭をもたげて、いくつも咲き誇っていた。
その周りには、ふんわりと薔薇の香りが漂っている。
ここは庭園の奥まった場所にあり、薔薇が中心に植わっているので、ぐるりと薔薇の壁に囲まれるような場所なのだ。
エリックは、枝を少し引き下げてわたくしの近くに寄せてくれた。
「ね?綺麗だろう?咲いたらアデルに見せようと思って、毎日確認してたんだ」
「ほ…本当ですの?」
なんて嬉しいことを言ってくれるのだろうとエリックの顔を見上げると、照れくさそうに鳶色の瞳を細めて笑っていた。
(やっぱり、わたくしエリックがいいですわ…!!)
そのままうっとりと見つめていると、そわそわしたエリックが体を動かしたはずみで、手が枝から外れてしまった。
「いて!あーやってしまった…」
「まぁ!とげが刺さりましたのね!これをお使いになってください」
エリックの指先からぷくりと血が出ていた。かすり傷のようだが、やはり痛いのだろう。
わたくしは、顔を顰めたエリックに、持っていたハンカチを差し出した。
エリックは眉を下げてしょんぼりとしていた。
「ごめんねアデル。また買って返すから」
「いいのです。でも血が止まるまで、しっかり押さえてくださいませ」
どさくさに紛れてハンカチごとぎゅっとエリックの手を握った。
「ありがとう…」
そう呟いたきり、エリックは黙ってしまった。
(今、言うべきかしらね…)
わたくしは少し迷っていた。
王子の婚約者になる可能性が高いということを、エリックに伝えなければならない。
母上は、きっとお茶を飲みながら、そのことをエリックの母親に告げているはずだ。
わたくしはゆっくりと瞬きをした。
やはり、他の人から言われるくらいなら、自分から伝えておきたい。
そのうえで、エリックが好きだと言うのだ。
困らせたってかまわない。
エリックには、わたくしの気持ちを知っておいてほしいのだ。
「わたくし…ルーイ王子殿下と婚約するかもしれないのです」
意を決してそう口にしたのだが、さすがにエリックの顔は見れなかった。
いきなりの告白に、エリックは驚いたようだ。びくっと体が固まったのが、握った手から伝わってきた。
「でも…でも、わたくしが想うのはエリックだけです…。今までも、これからもわたくしにはエリックだけです。わたくしは、エリックが好きなのですわ…」
「…………アデル…………」
わたくしの名前を呼んだきり、エリックは何も言ってくれない。
思い切って顔を上げると、顔を赤くして途方に暮れたような顔をしたエリックと目が合った。
エリックは、赤い顔のまま何かを言おうと口を開け閉めしているが、結局閉じてしまった。
その様子を見て、じわりと涙が出てくる。
何かを求めていたわけじゃないけど、やっぱり引き留めて欲しかった。
婚約なんてやめなよと言って欲しかった。
浅はかな望みを抱いていたことに、その時やっと気が付いた。
今思えば、突然告白された六歳の男の子に、それは無理な願いだったのだけど。
(せめて、エリックがわたくしとこうして過ごしたことを、ずっとずっと忘れなければいいのに…)
この告白が、この瞬間が、彼の心に刻み付けられてしまえばいい。
薔薇の花を見るたびに、わたくしを思い出せばいい。
わたくし以上にあなたを想う人はいないと思い知ればいい。
わたくしは、涙がこぼれないように目を瞬いて、一番愛らしく見える笑顔を作った。
今、わたくしにできることはそれが精一杯だ。
「婚約したら、もう気軽にここに来ることはできませんわね。この薔薇を見せてくださって嬉しかったですわ。エリック、ありがとう」
そう言いながらも、わたくしを忘れないでとの思いを込めて、鳶色の瞳を見つめた。
エリックは顔を赤くしたまま、それでも目を逸らさないでいてくれた。
どれだけそうしていたのか、遠くでわたくしたちを呼ぶ声が聞こえた。
母親たちのお茶会は終わったようだ。
「…わたくし、母上のところに戻ります」
名残惜しいが、本当に戻らねばならない。
動かないエリックに背を向けて、わたくしはできるだけゆっくりと、背筋を伸ばして歩いて戻った。
後日、本当に王子と婚約することになってしまって、その日は一日中部屋から出なかった。
泣いて泣いて、エリックのことを思い出してはまた泣いた。
両親も、ノア兄様もそっとしておいてくれた。というか、こうなったわたくしが部屋から出てくると思っていないようだ。
(やはり婚約することになってしまいました…………でも………)
わたくしは、この時に、心に決めたことがある。
これだけは誰に何と言われようと譲らない。
例え、エリックがわたくしをどう思おうとも。
(わたくし、どうにか王子との婚約を破棄して、エリックと結婚しますわ!!)
わたくしの大事な幼馴染。
清廉で真面目な、優しいエリック。
あの告白で、きっとわたくしを意識してくれているはず。
わたくしが婚約したからと言って、彼の心を他に向かせる気はない。
上手く婚約破棄できたとしても、彼が他の女性に恋していては意味が無い。
だから、できるだけエリックの視線を他のご令嬢に向けさせてはならない。
我儘だと分かっているが、わたくしだけを見ていてほしいのだ。
しかし、王子と婚約してしまったからには、さすがにもうダグラス公爵家で二人きりで会うことはできない。
だが、大勢が集まるお茶会やパーティーでは会うことができる。
それに、季節の挨拶くらいの手紙なら問題ないはずだ。そこで攻めない手はない。
さて、まずはどうするかと思案していたが、意外にもエリックから手紙が来た。
冒頭の季節の挨拶が終わると『婚約おめでとう』の文字が見えたところで胸がぐっとつまったが、その後の文章に目を瞠った。
『君が大事な幼馴染ということは変わらない。僕にとって君は一番の女の子だ』と書かれている。そして『あのハンカチの代わりに、君の好きなものを贈らせて欲しい』と続けられていた。
(婚約おめでとうにはへこみましたけれど、エリックは少なくともわたくしに幼馴染として好意を持っていますわね!これにつけこまないわけにはいきませんわ!)
わたくしは、早々に返事を書き上げた。
内容を要約すると、『これからも、こうしてお手紙をいただけると嬉しいです。ハンカチの代わりには、あなたがわたくしに似合うと思ったリボンを送ってください』だ。
気軽に会えない以上、何かエリックに贈られた物を身に着けていたかったのだ。
ハンカチの代わりにネックレスや指輪などの装飾品を送ってもらうのは、少々いきすぎだがリボンならセーフだろう。
うきうきとした気持ちで待ち続けて一週間。それは届いた。
アデルもやや腹黒くなってきましたが、エリックひとすじです!