結婚したけど逃げ出したい 12
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十番倉庫を出て回り込むと、すぐ近くを大きな川が流れていた。
川沿いの倉庫街を、今は三番倉庫に近い船着き場に向かっているのだ。
暗闇の中、奴らに見つからないように隠れながら船着き場へ向かう護衛兵の中に、僕はいた。
しばらく進むと、隣の兵が話しかけてきた。
「トゥーイ様、もうすぐでしょうか」
「あぁ、あの手前の倉庫の陰で待機だよ」
僕たちは、船着き場の見える倉庫の陰に滑り込んだ。船着き場周囲には、荷物を運んでいる赤蛇の男達の影が見える。手元だけを照らすよう、小さな明かりをつけているようだ。
今日は新月。この闇に紛れて、赤蛇は取引を行うのだ。僕たちにとっても、姿を隠してくれるこの闇は好都合だった。
僕はふっと息を吐いた。どうにも釈然としないことがある。それは、黒犬が赤蛇に取引を譲ったことだ。
(あり得ない。ラシャドがこんなに簡単に身を引くなんて…一体どういうことだ…)
だが、実際に荷を運んでいるのは赤蛇なのだ。黒犬の姿かたちもない。
争いがあったのだろうか、でもそんな喧騒があれば、十番倉庫でも聞こえたのではないか。
(いや、僕たちが囚われてから倉庫街は静かなものだった)
ならば、取引は比較的スムーズに行われたに違いない。
(ラシャドにとって、僕たちはそんなに価値があったか…?)
考え込んでいると、遠くからぱしゃりと水音が聞こえた気がした。
川を見ても、墨を流したような真っ暗な流れがただそこにあるように見える。明かりがないので流れの方向もわからないくらいなのだ。
また、ぱしゃんと音が聞こえた。
兵の一人が顔を上げた。
「トゥーイ様…!」
「わかってる。船だ…」
いつの間にか、川から船が来ているのだ。それはゆっくりと船着き場へ向かっていた。
赤蛇の男達も気が付いたようだ。明かりを大きくして、船着き場を照らし始めた。
ついに今夜の取引相手がやってきたのだ。
船着き場はにわかに騒がしくなった。
ごとごとと舟がつけられる音がして、男達の声が聞こえた。
「そろそろか…」
僕が独り言ちると、ぴゅいっと甲高い音が響いた。
合図の指笛だ。
「合図だ!行くぞ!」
「「「はっ!」」」
ほぼ同時に、三方から足音が響いた。エリックとロッソがいる分隊も同じように船着き場へ向かったのだ。
一気に距離を詰めて船着き場へ向かうと、赤蛇の男達は剣を持って向かってきた。
だが、何がなんだかわかっていないようだ。
「なんだ!?どういうことだ!?」
「ちくしょう!なんだこいつらは!!」
「お頭!どうすれば!!」
右往左往しながら、指示を仰ごうとしているがトトルもそんな余裕はないようだ。僕は兵に声をかけた。
「とにかく、男達の動きを封じて!」
「「「はっ!」」」
兵は散開すると、次々と男達に襲い掛かった。
少し先では、エリックの声が聞こえた。
「荷と舟を押さえろ!」
後ろでは、ロッソが逃げようとした男達をまとめて捕まえているようだ。
「逃がすな!そっちに一人行ったぞ!」
周りを見ると、すでに男達はぼこぼこにされて床に伏している。
護衛兵たちは、またも手早く捕縛していっている。本当に優秀だ。
僕は船のある場所へ向かった。
荷物は木箱が多い。いくつかが船に運び込まれていたようだ。
舟を見ると、エリックが誰かと対峙していた。
「くそぉ!お前らはなんだ!なぜここにいる!」
「お前が赤蛇のトトルか?」
「そうだ!!ちくしょう、こんな大事な日に…!」
「無関係の民間人を誘拐した自分を恨むんだな」
「くそ!くそ!あいつ!あいつが…!!」
トトルは揺れる船の上で短剣を振り回していた。エリックは素早く懐に潜り込むと、顎に強烈な一撃を与えてトトルを沈めてしまった。
どさりと崩れ落ちたトトルを、控えていた護衛兵が素早く縛り上げた。
「エリック!」
「あぁ、トゥーイか、そっちはどうだ?」
「あらかた終わったよ。トトルには、僕に一言言わせて欲しかったなぁ」
「無茶言うなよ」
「取引相手は?」
「それが、俺たちが来た時には影も形も…」
「なんだって?」
僕は船を目で探った。それは、どこにでもあるような小さな船だ。
確かに、トトル以外には誰も乗っていない。
エリックが木箱に腰かけた。
「おかしいだろう?」
「そうだね…ここまで船を漕いできた奴らがいるはずなのに…」
真っ暗な川を見つめるが、何も見えない。
(川に逃げたのか?こんな暗闇の中を?)
その時、トトルの身体検査をしていた護衛兵が声をあげた。
「エリック様!これを!」
「なんだ?」
護衛兵は、紙の束を持ってきて、近くに明かりを置いた。
そこには、取引する物の目録と取引場所、時間が書かれていた。
「…取引相手は書いていないね」
「まぁ、しょうがない。やつらがこれらを所持して何らかの取引をしようとしたことは事実だ。すぐに守備兵に引き渡すことにしよう」
「あぁ…」
目録には、密造酒や贋作の美術品、偽造硬貨など、持っているだけで捕まるものがたくさんあったのだ。
エリックはてきぱきと男達の処遇を決めると、護衛兵に指示を飛ばし始めた。
僕は、再びぼんやりと川を眺めた。
(随分とあっけなく終わったなぁ)
だが、あまりすっきりとしない。取引相手は一体どこに行ったのだろう。
逃げたにしては、手際が良すぎないか。
それに、結局ここでは黒犬を一度も見ていない。
「トゥーイ!後は兵に任せて戻ろう」
「…うん。そうだね」
僕たちは、ロッソにも後始末を頼み、三番倉庫に戻ることにした。
ケイシーや妃殿下達をあまり長く待たせるわけにはいかない。
エリックを含めた少人数で十番倉庫に戻り、僕は馬車の中を覗きこんだ。
もしかすると、その瞬間が今日一番の驚きだったかもしれない。
〇〇〇
私は、ずっと木箱で息を潜めていた。
いずれバチェクの合図が聞こえるに違いない。
そう思っているとコツコツコツと木箱が叩かれた。
「出発します」
慣れた声に安堵して、私は体の力を緩めた。すぐ近くでまた声が聞こえた。
「はは。これがあなたの大事な宝物ですか」
「そうだ」
「無事にコーウェンに運べるよう尽力しますよ」
「このために、ここまでしてくれたんだ。期待しているよ」
「えぇ、安心してください」
どうやらバチェクと話しているのはパライアでの協力者らしい。
私は驚いてしまった。思ったより男の声が若いからだ。
だが、バチェクが信頼しているなら安心できるだろう。
やがて、もうなじみ深くなった揺れを感じることができた。船はどうやら出発したようだ。
(このために、ここまでしたとは…どういうことなのだろう)
男は何か多大な労力を使ったらしい。それがどういうことかは分からないが、私はひとまず安全にコーウェンに向かえそうなことに安堵した。