結婚したけど逃げ出したい 8
三番倉庫の中では、ラシャドが数人の部下と共に赤蛇を待っていた。
無造作に黒髪を撫でつけると、ラシャドはソファに深く腰掛けた。
「さーて、そろそろ来るかなぁ」
「でしょうね」
そう答えた部下の少年は、まだどこかあどけなさが残る。少年は訝し気に眉を顰めた。
「リーダー、赤蛇が人質に取ったのは誰なんです?」
「あー…、まぁ詮索すんな」
「はぁ…どうせそう言うと思いましたよ」
その少年は諦めたように積みあがった木箱の陰に身を潜めた。そして、ぼんやりと倉庫の窓を見つめた。そこからは、立ち並ぶ倉庫とぼんやりと灯る街灯が見える。
遠くから荒々しい足音が聞こえてきて、ラシャドは苦笑した。
「…あいつらは品が無いよな」
「頭も足りないですよ」
「お前も言うようになったなー」
少年とそんな会話をしていると、倉庫の扉が遠慮なく開かれた。
「ラシャド!いるのかぁ!?」
その声の持ち主を見て、ラシャドはふっと破顔した。
「よぉ、久しぶりだなトトル。元気だったか?」
「お陰様で這いずり回ってるよ」
「それで、どうしたって言うんだ?随分とかき回してくれるじゃないか」
ラシャドはゆっくりと立ち上がって赤蛇に近づいて行った。
トトルはその場にぐっと足を止めて、腕を組んだ。
「今日はでかい取引があるらしいな。それ、俺たちに譲ってくれよ」
「できれば断りたいね」
「人質がどうなってもいいのか?」
噛みつくようにトトルが言うと、ラシャドは困ったように眉を下げた。
「あいつら、傷つけてないだろうな?」
「お前が素直になれば誰も傷つかねぇよ」
じりじりと二人は見つめ合ったが、やがてラシャドはため息をついた。
「……しかたない。大事な取引だったんだがな、お前らに譲ってやるよ」
「はっはぁ!お前ら、聞いたか!」
トトルは後ろに控えていた部下に声をかけると、部下たちはわぁわぁと歓声をあげた。
それがひとしきり収まるまで、ラシャドは黙っていた。それを見たトトルは満足そうに笑った。
「あの人質がよっぽど大事らしいな。さて、じゃあ品物を渡してもらおうか。それに取引相手も教えてもらおう」
「まぁ焦るなよ」
「コーウェンの受け取り手はどこの組織だ?」
「…どこだと思う?」
ラシャドは口の端を歪めた。
「もったいぶらずに教えやがれ!人質がどうなってもいいのか!?」
「そうだ!さっさと吐いてここから出て行け!」
トトルの後ろでは、部下たちが次々に声をあげている。
「お前ら落ち着け!なぁラシャド、時間をかけてもしょうがないだろう。さっさと教えやがれ!」
「トトル、お前はこの場所も乗っ取るつもりか?」
「ははぁ!当たり前だ!元々ここは俺たち赤蛇の物だったんだからな!」
「今は、俺たち黒犬の物なんだがな」
「なんだと!?」
トトルは短剣を取り出した。それを見てもラシャドは身構えもしない。
「悪いが、俺は無駄なことはしない主義だ」
「穏便に取引してやろうと思ったが、お前にその気が無いなら人質もお前らも殺してやる!」
トトルの部下たちも、各々ナイフや鉈などの獲物を取り出して構えた。
その時、荷物の陰から少年の声がした。
「リーダー」
「…わかったよ」
ラシャドはそれだけ答えると、ポケットから小さな紙片を取り出した。
「まぁ、そんなに盛り上がらないでくれ。ちょっとした悔し紛れさ。この紙に品物と取引方法が書いてある。この通りにすれば報酬はお前らの物だ。縄張りについては、…今はこの場所をお前たちに預けておくとしよう。人質はどこに?」
「十番倉庫だ」
「解放しておいてくれよ」
「お前らが大人しくしてりゃ、明日にでも解放するさ」
ラシャドはそれを聞くと、ゆっくりと紙片を地面に置いた。そしてくるりと踵を返すと倉庫の奥に下がって行き、部下と一緒に裏から出て行ったようだった。
トトルは短剣をしまい、紙片が置かれた場所へ進んだ。
「ちっ、さっさと教えりゃいいんだ」
ぶつぶつ言いながらその紙片を拾うと、そこには『品物は三番倉庫の木箱全て 取引場所は船着き場 時間は真夜中』と書かれていた。
「三番倉庫はここだ。ということは…品物ってのはこの木箱か」
今、この倉庫の中にはいくつもの木箱が積まれていた。
「なんだこりゃあ…頑丈に蓋がしてあるな…」
「わからねぇが、下手に手を出すなよ」
トトルはもう一度紙片を見た。
「あいつ、取引相手を書かなかったな…嫌がらせか?おい、真夜中まであとどれくらいだ?」
「二時間ほどはありそうです」
「船着き場まで、それを運ばなきゃならねぇな…」
部下たちに荷物を運ばせて、トトルは置かれていたソファに身を沈めた。
取引はこれからだが、今からにやけ顔がおさまらない。
作戦は大成功だ。人質のおかげでスムーズ取引は譲られ、縄張りも取り返すことができた。
トトルは相当浮かれていたのだ。だから、何も気が付かなかった。
〇〇〇
私は目を開いたが、木箱のわずかな隙間からも光は見えない。暗い倉庫のようなところにいるようだ。
この闇の中では、あらゆることが思い出される。
私は、ソヴェトでの生活を思い浮かべていた。
乾いた風と強い日差し、それでも美しいソヴェトの街並み。特に素晴らしいのは王宮だった。
私はそこで生まれたのだ。私の父はソヴェトの王だった。
父には側室が多くいて、私の母はその一人。私を産んですぐに亡くなってしまった。
父の子供は十五人。私はその十二番目だ。全く王位にかすりもしないし後ろ盾もない。
だから、かなり自由に育てられた。
好き勝手に出歩いて、街で遊び回っていた。
護衛なんぞいなかったから、危ない目にもあった。
一応、王宮で教育は受けさせてくれたが、家庭教師はまったくやる気のない男だった。私に良くしても甘い汁は吸えないと思っていたのだろう。
私に様々な知識を与えたのは王宮の人間ではなかった。商店街の商売人達、それに裏町の妖しげな姐さん達、そんな姐さん達の店に集う文化人気取り達。
街の店に出入りする、可哀想で小さな王族を、皆可愛がってくれた。
だから、小さな頃から街の暮らしや他国のことまで知ることができたのだ。
ソヴェトは教会の教えが第一の宗教国家。王宮の教育だけでは知ることのできない部分まで、私は知ることになった。
教会が、今の王を疎ましく思っていることも。
次の王には操りやすい人物を推そうとしていることも。
ゆくゆくは、全ての権力を教会が握ろうとしていることも。
ソヴェトの国民は敬虔な教会信者が多いと言われているが、国民の多くは他の宗教を敵視してはいない。教会の力を高めようとする教会上層部だけが弾圧を進めているのだ。
私は、教会の権力が強まることを恐れて、父王に進言した。
教会が戦力を持つことを禁止するように。
厳しい戒律を守れない者を罰しないように。
他宗教であっても弾圧しないように。
それがまずかったらしい。私は、教会から目をつけられてしまった。
時節も悪かった。
父王は老いてきており、次の王を選ぶ時期に来ていたのだ。兄や姉が水面下で争っているのはわかっていた。教会のご機嫌をとろうと、教会から疎まれている私を殺そうとする者の気配を感じたところで、私はこの国を出ることを決意した。
教会が好き勝手することには腹が立つ。だが、暗殺されてはたまらない。
亡命先にはコーウェン国を選んだ。自由な気風を持つ国で、教会の力もそこでは弱いだろう。
私はそっと目を閉じた。
(コーウェンでは、私はただの庶民だ…)
バチェクの伝手で、どこかの商会の下働きになるらしい。
元々あまり王族らしい生活をしてこなかったのだから、それは別にいい。
(だが…いつか…)
そう、いつか私は母国に帰ろう。今はまだどうやって実現するか思いつかないが、いずれ教会の権威を失墜させ、私を殺そうとした者を陥れて返り咲くのだ。
どれだけの時間が経ったのだろうか。
複数の足音がして、何か話している声が聞こえた。上手く聞き取れないが男の声だ。
それはすぐおさまり、周りでガタゴトと運び出す音が聞こえた。
私の入っている木箱も、すっと持ち上げられどこかに運ばれていった。