結婚したけど逃げ出したい 5
ちょっと久しぶりの更新に…!
リンデルが家出した次の日、王太子側からのお話です!
王宮で、ルーイ王太子は執務に励んでいた。
黒髪碧眼の優美な彼はいつも通りぴっしりと佇まいを整えているが、今日は平時より集中できていないようだ。
そんな王太子の横ではエリック・ダグラス公爵子息が執務の補助をしている。彼は幼いころからの王太子の友人でもある。
「…殿下、少し休憩しましょうか?」
エリックは、どうにも精彩を欠く王太子を見て声をかけた。
「そうだな。あらかた重要案件は終わったし」
王太子は目の前の書類にサインを書き終えるとため息をついた。
エリックは侍従にお茶の頼み、書類の整理をし始めたが、王太子の顔を見てかすかに目を瞠った。
(珍しいことだ。これは結構堪えているようだな…)
いつも泰然とした様子の王太子なので、このような様子は本当に珍しいのだ。
理由は分かっている。王太子の奥方であるリンデルが家出したからだ。
エリックは、それを昨日知った。ワトソン家の婿養子であるトゥーイがダグラス家に一報をくれたのだ。エリックの奥方であるアデルはリンデルの教育係であり、王太子の元婚約者でもあるため王太子とも親しい。それでトゥーイは助けを求めたのだ。
王太子妃が子爵家にお出かけなど、非公式であっても大変な重責。しかも、リンデルとワトソン家の若夫婦は同窓生とはいえ、特に親しくもなかったのだからとんだとばっちりだ。
家出の原因は、王太子とリンデルとの行き違いなのだから。
エリックはソファに移動した王太子の対面に座り、お茶を飲み始めた。
(今頃、アデルはワトソン家に行ってリンデル様に王宮に戻るよう話をしているはずだ)
昨日、リンデルが家出したと聞いてアデルは顔面蒼白になっていた。
「リンデル様がついに家出!?大変なことになりましたわね!わたくし、明日にでもワトソン家に行ってまいります!」
王太子夫婦に心を砕くアデルはなんて優しいのかとエリックは感動していたが、アデルはただ王太子に贈った物が家出のきっかけではないかと焦っただけだ。
そして一応、王太子夫婦がこじれるとルーイが次期国王にふさわしくないといちゃもんをつける貴族が出てくるということを懸念している。ただでさえリンデルの身分が低くて文句を言われやすいのだ。
現在の国王陛下には弟がいる。つまりルーイ王太子の叔父だ。このオーランド王弟殿下は血気盛んな三十代。彼を次期国王にと神輿を担ぐ者たちも少なくない。
アデルとしては、余計な火種を撒きたくないので速やかに事態を収束させたいのだ。王弟派が動くと王宮内が二つに割れてしまう。愛するエリックの身も危うくなるかもしれないのでそんなことにはしたくない。
だから、彼女はワトソン家へと赴いた。のだが、エリックと王太子の休憩中にやってきたアデルはリンデルを連れていなかった。
いつも通り儚げに微笑んでいる我が妻に、エリックは戸惑った。
「アデル…?リンデル様は?」
「リンデル様は、落ち着くまで少しワトソン家で預かってもらうことにいたしました」
「え!?」
てっきり連れて帰ってくると思っていたのでエリックは驚いてしまった。
リンデルにはできるだけ早く戻ってきてもらわねばならないのに。
王弟派に嗅ぎつけられたら「やはり男爵家の娘は王妃に相応しくない。王太子殿下の資質も問われる」とうるさいのだから。
王太子は、興味深そうにアデルを見つめていた。
「アデル、君が行くからには連れて戻ってくれると思っていたんだが?」
「…殿下、わたくしも座らせていただいても?」
「あぁ、何か話があるのか?」
アデルはふわりとエリックの横に腰を下ろした。すかさず侍従がお茶を準備する。
「わたくし、今日リンデル様にお会いしてきましたわ」
「そうエリックから聞いている」
「殿下は、何故リンデル様が出て行ったと思います?」
「…少し虐めすぎたな」
そう言って、王太子はカップに口をつけた。アデルは小さくため息をつく。
「一応、ご自覚はあるのですね…」
「まぁ、昨日トゥーイに呆れられたからな」
「ワトソン家の若夫婦はとばっちりですわよ」
「まったくだな」
「よくそんな他人事の顔をしていられますわね…」
「これでも悩んでいる」
「まぁ!!」
アデルは本気で驚いた。口に運ぼうとしたカップを止めてしまったくらいだ。
(この方も、成長いたしますのね…)
しみじみと王太子を見つめてしまったアデルに、王太子は口の端を上げた。
「それで、リンデルはなんと?」
アデルはゆっくりと紅茶を味わった。王宮の茶葉は相変わらず香り高い。
「…あぁ、心配なさらなくてもリンデル様に本気で離縁するつもりはありませんよ。でも、最近の殿下とのやりとりは相当堪えていたようですわね」
「怒り顔が見たくてな」
「わざと怒らせていたのでしょう?その後、ちゃんとフォローしていました?」
「その後、拗ねるのがまた可愛くてな」
「いくらそのお顔が見たくても、リンデル様の心情を考えてください。王宮にはただでさえリンデル様の味方は少ないのですよ?」
「耳が痛いな」
「しかも、彼女は政治的な権謀術数には慣れていらっしゃいません。今回の家出も本来ならあるまじきことです」
「…だから、君が連れて帰ってくると思っていたんだが」
「殿下の反省を促してからと思いまして」
「私にそんなことを言うのは君くらいだな…」
「わたくししかいないから言うのです」
けろりと言ってのけるアデルに、王太子にはかすかに苦笑した。
エリックは黙ってその会話を聞いていたが、王太子の表情に驚いた。あまり人との会話で表情を変えたところを見たことがないからだ。
そして、王太子夫婦のあれこれを聞くのはなんだか気まずい。エリックはアデルを振り返った。
「アデル、ではいつになったらリンデル様は戻ってくるんだ?」
「まぁ、殿下がこうして反省していらっしゃるなら、明日にでも打診してみましょう」
そう言ってアデルは王太子に微笑んだ。王太子はふわりと微笑みを返すと口を開いた。
「そうしてくれると助かる。あれが傍にいないと調子が狂うな」
「それは、直接リンデル様に伝えてくださいませ」
「私が迎えに行きたいところだが、そうもいかないな。歯がゆいものだ」
菓子をつまみながらアデルはちらりと王太子を見つめた。
「…動向は把握していらっしゃるのでしょう?」
「無論だ」
「…尾行をつけてあるのですか?」
「護衛だ」
「……………」
三人はそのまま静かにお茶を飲んだ。
エリックだけが、頭の中に疑問符をいくつも浮かべていた。
〇〇〇
その後、アデルは退出し王太子とエリックは執務に戻った。
エリックは分厚い報告書を眺めながらため息をついた。それは隣国の情勢についての報告書だ。
隣国はソヴェト国という昔からの宗教国家だが、最近特に教会の権力が強くなり王家を脅かしているのだ。教会直属の騎士団は今や絶大な武力を誇っているらしい。他宗教への弾圧も強いと聞く。
信心深く戒律も厳しく守る国民性で、教会が重視されていたのがこうなった原因だろうか。
ルーイたちのいるパライア国でも同じく教会組織はあるが、王家は教会の騎士団を認めていない。王都や教会などの公共施設を警備するのはあくまで王家へ忠誠を誓う騎士団なのだ。そもそも、教会は心の拠り所という感覚が根強く、王家への敬意のほうが厚い。他宗教もいるし特に規制はしていない。
反対隣りのコーウェン国は突出した宗教はなく、あらゆる民族や宗教が混在している。遥か昔にコーウェン公という人物が統一したものの、後々に議会制としたため政治の中心は議員達である。コーウェン公の血筋は残っているが政治には介入せず、時々外交に顔を出すくらいである。こちらの報告書は特に変わりはなく平和なものだ。
なんだかきな臭いソヴェト国の報告書に目を通すと、エリックは王太子にそれを渡した。そして、他の書類に目を通し仕分けをしていくのだった。
そうして、執務室に明かりが灯され夜が訪れようとする頃、慌てた侍女が王太子に何事かを耳打ちした。
それを聞いた王太子が大きく目を見開くのを、エリックはじっと見つめていた。
(今日は本当に珍しいお顔をされる…)
耳打ちしたのは見慣れぬ侍女だった。彼女はそのままその場を動かない。
王太子はしばらく思案顔をした後、エリックに向き直りこう言った。
「ちょっと出かけてくる」
今度はエリックが目を見開いた。
よろしくお付き合いください!
ブックマークしてくださった方、ありがとうございます!