結婚したけど逃げ出したい 4
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重苦しい空気の馬車の中、トゥーイ君は黙って窓の外を眺めていた。ナイフを突きつけてきた男は、御者席に移っており馬車の中には私達しかいない。
私は恐る恐る声をかけた。
「トゥーイ君?もしかして、連れているのが妃殿下だとばれたのでしょうか?」
「いや、どうやらそうではなさそうだ」
「そうですか…」
一つ不安が減った。もしリンデル様が妃殿下だと知って誘拐したのならば国を揺るがす一大事だ。だが、私達をただの貴族だと思っての身代金目的なら、ワトソン家だけが被害を被ればいい。
「では、なぜこのような…」
エレナさんはリンデル様を抱えるようにして守っていた。
不安そうにする二人に、トゥーイ君は微笑んだ。
「僕たちを誘拐したのは闇組織の一派でしょう」
エレナさんは目を見開いた。
「先ほどの黒犬ですか?」
「黒犬ではありませんね。さっきの男の手首に細い蛇の刺青がありました」
「蛇の刺青…」
私は驚いた。そんなもの気が付かなかったのだ。トゥーイ君はあの一瞬で見つけていたらしい。
「多分、赤蛇の残党でしょう。この誘拐は起死回生の一手というところなのかな…一体何が目的なのやら…」
「赤蛇というと、数年前に潰れたのでは?」
私は記憶の引き出しを探った。昔学園にいる時に、トゥーイ君から聞いた気がしたのだ。
「ケイシー、よく覚えてたね。赤蛇は他の大きな組織に迎合したところ、すぐに問題が起こって切り捨てられちゃってね。そのまま潰れたはずなんだけどなぁ。まだ細々と残ってたんだね」
「虫の息の組織が、一体私達に何の用だというのでしょう?」
「僕も読めないね。でも、怪しいのは近づいてきた黒犬に関することかな」
「いい迷惑です…」
「でも、ケイシー、あいつのこと見ていたでしょう」
「うっ」
「何か読んだのかな?」
するどい旦那様につつかれてしまい、私は黒犬のリーダーとその仲間の会話をトゥーイ君に伝えた。
「つまり、黒犬主導で取引している物が『今夜来る』、それを『蛇の残党が狙う』のかな…」
「そういうことでしょうか」
「それが、何故僕たちの誘拐に繋がるんだろう」
「何故でしょうね…」
結局、彼らから情報をもらわないとどうにもならないようだ。
私は、不思議と恐怖心より困惑の方が勝っている。トゥーイ君が一緒にいるからだろうか。何しろ、彼はさほど取り乱していないのだ。
リンデル様はまだ青褪めている。当然だろう、王宮から家出したら誘拐されましたとか洒落にならない。どうにか、妃殿下は守らなければ。
馬車は運河沿いの倉庫街へ進んでいった。寂れた倉庫の一つに馬ごと入り込むと、馬車は止まった。再び乱暴に扉が開かれると、さきほどの覆面の男が顔を覗かせた。
「お前ら、ここで大人しくしてるんだ。見張りを置いているからな、逃げ出そうとしたら殺してやる」
トゥーイ君が顔を顰めた。
「身代金目的か?」
「お前らは囮だよ。黒犬と関わりがあったことを恨むんだな」
「どういうことだ。僕たちは黒犬など知らない」
「嘘をつくな。あのラシャドがわざわざ話しかけに行くくらいだ。しかも貴族ということは、今夜の取引にも噛んでるんだろう?」
トゥーイ君はさらりと前髪をすいてため息をついた。
「人違いだと思うけどね。ラシャドなんて知らないよ」
「俺たちはラシャドをつけてたんだ。間違うはずはねぇ」
覆面の男は渋面を作った。
「忌々しい黒犬め。あいつらの縄張りは元々俺たちものだ。今夜の取引の手柄は俺たち赤蛇に譲ってもらおうじゃないか。でなければ、お前たちを殺すと言うのさ」
「…僕たちは犬死になりそうだね」
「そうならないことを祈るんだな」
そう言うと、覆面の男は周りに数人の手勢を置いて去ってしまったようだ。
しんと馬車の中は静まり返った。
私は思わず頭を抱えた。トゥーイ君も深いため息をついている。
(ええええええ。まさか、あの一瞬だけの会話で囮にされるとは!!)
リンデル様がぽつりと呟いた。
「…私達、殺されてしまいますね…」
エレナさんは、がっくりと肩を落とした。
「本当にあのリーダーが黒犬のラシャドならば、私達など歯牙にもかけないでしょう」
私は驚いて顔を上げた。
「ええと、昔からのお知り合いなのですよね?ラシャドさんは、助けてはくれないのでしょうか?」
リンデル様は悲しそうに眉を顰めた。
「…リーダーは、かなり合理的な考え方をする人で、昔から情だけで動くような甘い人間ではありませんでした。もし、今夜の取引が重要なものであればあるほど、私達は切り捨てられてしまうでしょう」
「お二人は、黒犬のラシャドをよくご存じのようだ」
トゥーイ君は背もたれに寄りかかり、大きく息を吐いた。
「この誘拐はどうやら突発的なものです。そこが勝機になるかもしれない。少しでも情報が欲しいのですが、できれば、ラシャドとどのような関係かお聞きしても?」
リンデル様とエレナさんは顔を見合わせた。リンデル様がこくりと頷き、エレナさんがため息をつく。そして、彼女は静かに語り始めた。
「…リンデル様が下町育ちということはご存知ですよね?ご両親が駆け落ちして、そのような出自となったのです。私はリンデル様のご両親の侍従達の子供で、幼いころから一緒でした」
「だから、そんなに仲が良いのですね」
「そうなのです。そして、ご両親が亡くなられてすぐにフォーン男爵家がリンデル様を見つけたということになっていますが、本当は二年ほどタイムラグがありまして。その間、私達はスラムにいたのです」
「「スラム…!?」」
「はい。私達はスラムでは子供だけで生計を立てるグループに所属していました。そのグループのリーダーがラシャドです。目端の利く少年で、上手く他の子供たちを使ってお金を稼いでいました。おそらく黒犬はそのグループが元になっているのでしょう」
「なるほど…」
「ですが、ある時ラシャドは、素性の知れない男に私達を売ったのです」
「え!?」
「その男はフォーン男爵家の使いで、結果的に私達はフォーン男爵家に引き取られたから良かったものの、他に良い取引先があればそちらに売られたに違いありません。その当時、フォーン男爵家が金に糸目をつけずにリンデル様を探していたのが幸運だっただけです」
「そういう関わりがあったのですね…」
リンデル様はふうとため息をついて口を開いた。
「さすがに、貴族の娘がスラムで生活していたなどとは言えず、下町育ちであるということだけを公表していたのです」
私は恐る恐る聞いてみた。
「…このこと、殿下は?」
「知っています」
「まぁ…!それを知っていても殿下はリンデル様を望まれたのですね」
「…はい」
リンデル様の頬に赤みが差した。
「えーと、では僕の方の関わりも話しておきましょう。昔、彼に仕事を依頼したことがあります。仕事で味方を危険にさらさないようにするという配慮はしていましたね。危険度を把握するくらいの目は持っていました。ケイシーは直接彼と関わったことはありません」
エレナさんは訝し気に眉を寄せた。
「仕事を依頼…?」
「言っておきますが、依頼は悪事ではありません。ちょっとした人助けですよ」
私は慌ててエレナさんを見た。今、誤解を与えてはだめだ。
「えぇ、とある方に危害を加えないよう事件を偽装したのです」
「そうなのですか」
「僕の方も、それだけの関わりですから、彼が積極的に助けようとするような関係ではないですね」
「私達も、売られたくらいですから助けは期待できません…」
そう、お互い黒犬との関わりが分かったところで、状況は変わらないのだ。
私達はどうやってここから逃げ出せばいいのだろう。