妖精が旦那様 前編
ケイシー視点です!よろしくお願いいたします。
ガラガラと馬車が石畳の上を走っている。
車輪から伝わる振動は、無理矢理飲み込んだ朝食を胃の中でシェイクしており、いつ口から出てもおかしくないように思える。
「ケイシー?大丈夫?」
私の顔を覗き込んで心配そうに尋ねるのは、私の旦那様だ。
今、口を開いたら出る可能性があるので、私は首を振るしかできなかった。
こんな私でも乙女の尊厳は守りたいのだ。
「うーん。どこかで休憩しようか?」
さらりと髪を掻き上げながら、悩まし気に外を見つめる旦那様は本当に美しい。
学園に通っていた頃、彼は庶民の一人でありながら、一位・二位を争うほどの美貌の持ち主として有名だった。貴族子息が中心のファンクラブまであったのだから。
「だい…じょうぶです…。着いて少し休めば…」
私はなんとか声を絞り出した。今から向かうところに遅刻して行きたくない。
それに、休んだからといってこれがおさまるはずはない。
今からお会いする人に対して緊張しているのだから。
「そう?無理しないでね」
彼が優しく背をさすってくれるのはありがたいが、自分の旦那様でありながらいまだに少し緊張してしまう。
そんな彼との出会いは、学園に入学してからだった。
入学して初めてクラスに足を踏み入れた瞬間。膝から崩れ落ちそうになったのを覚えている。
(ひぃぃ!うちのクラスに女神と妖精がいる…!!)
私にとっての女神、アデル・ハワード様。
そして、妖精は現在の旦那様であるトゥーイ・ゴールドスタイン君。
二人とも幼いながら本当に美しい人たちだった。眼鏡で地味な私とは大違い。
特に、ハワード様は私の憧れの女性そのものだった。彼女の全てを知りたいと思って、観察し始めたのは入学した翌日からだった。
ワトソン家の悪癖なのだが、気に入った品を見つけると手当たり次第に蒐集してしまうのだ。
さすがに人間は蒐集できないので情報のみに留めた私は、ワトソン家の良心だと思う。
そして、幾人かの観察ノートを作り、それに書き込むことが私のライフワークになった。
地味な外見と存在感の薄さが幸いし、人の目を集めることもないのでいろんな場所に潜入できたし、いつの間にか読唇術もマスターできていたのは自分でも驚いた。
そんな風にして、ノートに色んな情報を集めていくことが楽しみの、ごく普通の地味生徒だったのに。どうしてこんな美しい旦那様ができたのか、今でもよく分からない。
あの日、ノートをうっかり教室に置き忘れてしまったのが、私の学園生活の転機になった。
(やばい!あのノートを見られたら社会的に死ぬ!!)
私は大慌てで学園に引き返した。ワトソン家の馬車はもう学園から少し離れていたので、涙ながらに御者に無理を言ったのだ。
(静かね、もうきっと皆帰ったんだわ!)
静かな教室に安心して入ったのに、そこに佇む人影に驚愕した。よりによってその人が手に持っているのは私のノート。頭が真っ白になってしまった。
逃げ出したはずなのに、いつの間にか逃走進路に立っているのだから、この人は本当に妖精で魔術でも使えるのかと思った。何をどう言い訳するかも思いつかないまま彼を見つめていた私に、妖精は微笑みかけた。
「このノートって、なぁに?」
(あああぁぁぁああああぁぁぁぁあああぁぁ…!!!)
憧れの人の一人である妖精に、ノートの中身を説明するのは相当な苦行だった。本当に。
けれど、妖精はこのノートのことを非難もせず、誰にも言わないと言ってくれた。
そして妖艶に微笑んで、恩人たちに何事もなく卒業してほしいから、何かあったら教えて欲しいと言ってくれたのだ。
妖精の恩人はルーイ王子殿下とハワード様、そしてダグラス様。彼らを詳しく観察するのは苦ではない。だって元々見てたし。でも、その周囲にまで目を広げるとトゥーイ君が心配する理由が分かった。
彼らはその地位や容貌で多くの人を引き付けると同時に、妬みも買ってしまうのだ。
ぽつりぽつりと彼らを陥れようとする不届き者の情報を妖精に告げると、彼は本当にそれらを解決するのに奔走してくれた。だから、私もできるだけ情報を集めたのだ。
解決するためには女装までするのだから、頭が下がる。関わることができたのが夢のようだった。あの可憐で妖艶な姿は、いまだに目に焼き付いている。
最後に王子殿下とハワード様の婚約破棄なんて事件があったが、それも無事おさまるところにおさまり、私のスリルがありながらも幸せな学園生活は終わった。
私は卒業して社交界デビューした後は、すぐに従兄弟と婚約して結婚するはずだったのだ。
それが、いきなりトゥーイ君が相手になったのだから、何がどうなったのかさっぱりわからなかった。しかもその場でプロポーズとか死ぬかと思った。
多分、私はこれで一生分の運を使い切ったのじゃないかと思う。妖精と崇める彼と結婚することができたのだから。彼は私のためにダグラス家に養子に入り、その上で婿養子になってくれたのだ。私は本当に幸せ者だ。そう思うことにしている。
馬車の速度が遅くなった気配がした。ついに着いてしまったようだ。
今日私達は、ダグラス家に招待されている。というより、私と旦那様でいくつか商品をお持ちしたのだ。発注者はハワード様。いや、もうダグラス家に嫁入りしたのでアデル様とお呼びしたほうがいいのかもしれない。
ダグラス家のタウンハウスに到着すると、庭園を望む談話室へ通された。
紅茶でもてなされていると、アデル様が入ってきた。
「お待たせいたしました。ようこそケイシー・ワトソンさん、トゥーイさんも息災ね」
「「お招きありがとうございます」」
(久しぶりにご尊顔を拝したけれども、なんて美しいのでしょうか…)
思わずうっとりとしてしまう。言葉を交わせるだけでも昇天しそうだ。
トゥーイ君は、簡単な世間話の後、商品の紹介に入った。
「それで、ご用意したのはこちらの絵画。それに、いくつか本もお持ちしています。…殿下への贈り物ということですが…」
「えぇ、その通りです。拝見いたしますわ」
トゥーイ君は微妙な顔をしていた。何故なら、絵画は流行りの画家のものだが、その絵には細工がしてある。ぱっと見ではわからないように穴が開いているのだ。
なんというか、ぶっちゃけて言えば、後ろから覗けるようになっている。
本は、『魅惑のからくり屋敷』とか『隠し通路百選』だとか、ちょっと用途が良く分からない物ばかり。
「これなら、ご満足していただけそうですわ」
アデル様は一通り目を通すと、ふんわりと微笑んだ。
「…それなら何よりです」
「トゥーイさん、あなたが手配してくれて助かるわ。ワトソン家はどう?」
「いえ、遠慮なく仰ってくださいね。アデル様は、恐れ多くも僕の義理の姉上ですから。ワトソン家は居心地がいいですよ。ケイシーもよく仕事を手伝ってくれますしね」
「まぁ、それは良かったこと。でもケイシーさん、無理していませんか?仕事を手伝うとなると、大変でしょう?」
(直接お声がかけられました…!)
「い、いえ。私がすることと言ったら、領地経営のチェックですとか、ちょっとカフェで情報を集めることくらいですから…」
「…そういえば、読唇術がお得意なのでしたわね…」
「!?」
ばっと旦那様の方を見ると、彼はなんでもないことのように言い放った。
「ええ。アデル様もご入用なら情報集めを手伝いますよ。ケイシーがね」
「ちょ」
「まぁ、嬉しい。もし必要な時は頼みますね」
ふふふと儚げに微笑んだ彼女を前に、いいえなんて言えるはずがない。
「おまかせください!このケイシー、アデル様のためならなんでもいたします…!」
「ケイシーさんはお優しいのですね。トゥーイさんの相手は大変そうですのに、よくやってらっしゃると思いますわ」
その言葉に旦那様はうんざりしたように呟いた。
「アデル様…」
「どうしてでしょうか?」
「トゥーイさんは、結婚してからもあちらこちらから誘惑されているようですので」
「あぁ、そうですねぇ」
「えっ僕は浮気なんてしませんよ!」
「ケイシーさんは、ご心配ではないのかしら?」
愛らしく首を傾げるアデル様の破壊力がすごい。
「いいえ!私、全く心配しておりません!」
「まぁ…」
「というより、トゥーイ君が何故ワトソン家に婿入りしてくれたか分からないですし、むしろ他に女性がいてもおかしくないですしね!束縛しては罰が当たります!」
「あらまぁ…」
アデル様がきょとんとして私とトゥーイ君の顔を交互に見ている。
いつの間にか、旦那様は両手で顔を覆って俯いている。
「トゥーイ君?どうしたのですか?」
「…まさか、結婚しても何も伝わってないとは思わなかった…」
「はぇ?」
アデル様は片手を頬に当てて、ふうとため息をついた。
「どうして殿方と言うのは、きちんとお気持ちを伝えないのでしょうか?」
「アデル様、僕は貴女に言われたくありません」
「わたくしは、幼いころにきちんとエリックに告白していてよ」
「…まじっすか…でも僕も告白したんですが…」
「伝わっていないのなら、表現の仕方が甘いのです」
「えぇ…」
「ちなみに、エリックもきちんとわたくしに愛情表現してくださいますからね」
「あーそれは聞きたくないんでいいです…」
「私は聞きたいです!」
「いいですわよ!!」
そこから三十分ほど、アデル様とエリック様の仲睦まじい様子を聞くことができた。これは心のノートに書き綴っておこう。
庭園で過ごすお二人のやり取りなど、想像すると本当に絵物語のようだった。
トゥーイ君は、何故かその間とても遠い目をしていた。
商会の次男では甘い成分が足りないので、この前後編で補充です!