商会の次男は暗躍する 8
件のオペラ公演の初日。僕は、歌劇場に足を運んでいた。
夜の帳の中でも豪奢な歌劇場の入り口では、美しいドレスに身を包んだ淑女たちを、これまたぴっしりとタキシードを着こんだ紳士たちがエスコートしている。
チケットはなんとか二枚手に入った。商会の伝手を使ってハワード公爵家の馬車に似た物も用意し、護衛もつけた。
僕は、隣で僕をエスコートする男を見上げた。そう、僕はエスコートするのではなく、されているのだ。
僕をエスコートするのは、商会の従業員の一人でロッソという男だ。小さなころから僕の面倒を見てくれている彼は、面白がってこの役を引き受けてくれた。彼は無類の女好きで、僕の色気に耐性がある貴重な人材の一人だ。
そんなロッソは僕を見ると、ぶふっと吹き出した。
「坊ちゃん、いえお嬢さん。お綺麗ですよ」
「…嬉しくない…」
僕はここに来る前に、商会傘下であるコスメ・ゴールドスタインでケイシープロデュースのもと、女装してきたのだ。そこの店は貴族女性を対象にしている化粧品店でVIPルームもある。いつもは高位貴族を相手に商談するVIPルームで、僕は変身させられたのだ。
ひとまずアッシュブロンドのかつらをつけて、簡単なドレスでも着ればいいと思っていたのだが、ケイシーは許してくれなかった。
「やるなら徹底してやりましょう!!!」
化粧品を扱うスタッフもきらきらと目を輝かせている。
途中からケイシーは「もっと…もっとゴールドスタイン君は美しくなれます!はぁはぁはぁはぁ」と大興奮だった。ちょっと怖かったのは内緒だ。
おかげで、今の僕はどこからどうみても妖艶な美女になってしまった。細身とはいえ僕も男。
女装しても違和感はあるだろう。浮かないくらいになればいいと思っていたが、周りの目を引くくらい美女になりたいとは思っていない。
ドレスなどもケイシーとコスメ・ゴールドスタインのスタッフが選んだらしい。
肩幅や胸のことはドレスやショールで上手く誤魔化せている。なんとコルセットまでつけられているのでウエストもほっそり。もう苦しくてしょうがない。女性は大変だ。
すでに萎れている僕とは対照的に、ロッソはうきうきと席についた。
「まぁまぁ、気軽に行きましょうや。ハワード様は当然ミッテルロジェ最前列でしょう?いいですねー正面二階席!あ、俺らの席からよく見えますよ」
僕たちは二階席だが舞台近くだ。会場の奥を見ると、すでにアデル様は席に着いていた。隣にはエリックがいる。王子の名代としてアデル様のエスコートをしているのだ。
(何にも知らずに楽しそうな顔して…)
二人は礼儀正しく微笑みながら舞台の始まりを待っている。
僕はため息をついた。僕にとっては舞台が終わってからが本番なのだ。
幕間になると、ロッソはハワード公爵家の馬車に細工をしに行った。僕がカール・ウッドを探すと奴は平土間席にいた。舞台が終わると素早く退出したので、奴は今から『黒犬』たちと合流するつもりだろう。素晴らしいオペラの余韻に浸る間もなく、僕たちは席を立った。
「そういえばロッソ、馬車の細工は上手くいったの?」
「ちょおっと見つかりそうになりましたけど、大丈夫ですよ」
「え?」
「大丈夫です。酔っ払いのふりをしたので」
「…それならいいけど」
「じゃ、ひとまずハワード様がダグラス家の馬車に乗るか確かめましょうか」
「そうだね」
丁度僕たちが玄関ホールに出ると、ハワード家の従者がアデル様に困ったように説明しているところだった。
「…申し訳ありません。馬車をそこまで移動させてきたら、どこからかネジが落ちてきたようで…」
この暗がりではどこからネジが落ちたかわからず、今も馬車は点検中だと言う。
アデル様はさすがに驚いたように目を瞠っていた。
「まぁ、故障なの?時間がかかるかしら?」
「本日点検した時には不備はなかったようなのですが…」
エリックはそれを聞いてすかさず提案してくれた。
「アデル、今日はうちの馬車で帰ろう。途中で何かあると危ないから」
「エリック、申し訳ありません。お願いしてよろしいですか?」
「気にするな。行こうか」
「はい」
二人はそう言うと、ダグラス家の馬車へ向かった。
(よしよし。君ならアデル様を放って帰ったりしないと思ってたよ、エリック)
これで、アデル様の帰りの足はダグラス家の馬車で確定だ。彼女は安全に帰宅できる。
「狙い通りですね。坊ちゃん」
「そうだな。にしても馬車は故障を疑わせるように、ネジが落ちてくるように置いただけか」
「はい。まぁ下手に小細工するより、怪しまれないでしょう?ちゃんと馬車に使われてるネジですから、今頃大慌てでしょうな。御者や従者には悪いことをしました」
ロッソはさらっとそういうと、僕を乗ってきた馬車まで誘導した。
暗がりならハワード家の馬車にそっくりだ。
「では、ご武運を。一応つけてはいきますんで」
「うん。まぁ後は馬車に乗って襲われるだけだから」
「…そこが一番の難所でしょうが。気を付けてくださいよ」
「わかってるよ」
僕は馬車に乗り込むと、御者にハワード家方面へ向かうよう指示した。
(さて、ここから上手くいくといいんだけどね…)
馬車はガラガラと石畳を進んでいった。
しばらくすると、馬がいなないて馬車が止まり、何人かの男たちの声が聞こえた。
(来た…!黒犬だ!)
周囲の護衛と争う音が聞こえると、突然馬車のドアが開いた。
顔を覗かせたのは、目つきは鋭いが意外にも整った容姿の青年だった。
『黒犬』の名の通り、服装は黒づくめだ。そして目元だけの仮面をしている。
「ほぉ、あんたが噂の『お嬢さん』か。これはまた、えらい美人だな」
「…!」
「さて、ご依頼通りにさせてもらうよ。悪いなお嬢さん」
青年は、僕の顎に手を当てると、しげしげと顔を覗き込ませた。
(近い!)
僕がぐっと睨みつけると、黒々とした瞳がふっと細められた。
「ふぅん。こうして見ても、男だとは信じられねぇなぁ。『アーグ商会のお嬢さん』?」
「…離してくれない?」
「あ、声は男だな。残念」
青年はにやっと笑うと手を放してくれた。
僕の色香に惑わされないのだから、なかなかの曲者だ。
何故、彼が僕を男だと知っていたかと言うと、僕が『黒犬』を買収したからだ。
カール・ウッドより優位な条件を提示して、この襲撃を茶番にしてもらったのである。
直接ゴールドスタイン商会を名乗るわけにはいかなかったので、ダミーのアーグ商会を通して連絡をとった。
「さて、ウッドが来るまでにどれくらいかかる?」
「あー十分もかからねーと思うぞ」
「なるほど。まぁ寛いでくれよ」
「おー」
黒犬の青年は馬車の座席にどさっと腰かけた。
護衛は一旦逃げ去ってもらっている。そういう約束なのだ。
他の黒犬のメンバーは馬車の周りをたむろっていた。
彼らは争ったふりをしていただけなのだ。
僕は、青年をじっと見つめた。
「じゃあ約束の情報だね。『赤蛇』は『三日月』の『倉庫番になった』よ」
「まじかよ。先手取られちまったな」
「んー僕はそうは思わないけど?」
「なんでだよ。大きいグループに入るのは悪いことじゃねぇ」
「『三日月』は沈むかもよ」
「本当か?」
青年が身を乗り出してきたが、僕はにっこりと笑って青年を見た。情報はもう与えないと言外に伝えると、青年はちっと舌打ちした。
「食えない奴だな。お嬢さん」
「えーでも、これでウッドから報酬ももらえて、僕からも報酬と情報を持ってってるんだから、欲張ると良くないと思うなぁ」
「まーな。お、そろそろ話はここまでだ。ウッドが来たようだな」
遠くからガラガラと馬車の音がした。偶然を装ったカール・ウッドの馬車だろう。
「うん。協力感謝するよ」
「いや、本物の公爵令嬢を襲うのは俺らも荷が重い、この話は正直助かったわ」
「じゃ、気を付けてね」
「おーお嬢さんもな」
何故彼らがすんなりこちらの要求を呑んだのかと言うと、リスクが高すぎるからだ。
その辺の線引きが見極められるからこそ、彼らは台頭してきている。
最後にウィンクをして、彼はひらりと馬車から降りて行った。すぐに何度か剣戟の音が聞こえたが、それも止んだ。これもやはり争うフリだけなのだ。
そして、馬車のドアが開かれた。
嬉しそうに顔を覗かせたのは、この茶番の主人公、カール・ウッドだった。