商会の次男は暗躍する 7
ノート事件があって以降、時々ケイシーとは教室で言葉を交わすようになった。
まぁ挨拶くらいなんだけど。
というか、彼女は静かにノートに書きこんでいることが多くて、あまりしゃべる時間がないようだった。どれだけ集中しているのだろうか。
だから彼女から話しかけられたのは、その時が初めてだった。
少し人が僕から離れた瞬間に、彼女は「ちょっといいですか」と声をかけてきた。
気配を感じさせないのがすごい。
あまり二人きりにはなりたくないので、カフェに移動した。
それに、多くの生徒がいるので逆に話がしやすいかと思ったのだ。
彼女はいつもの隅の席に座った。ここは狭くてあまり他の生徒は好まないのだ。
ちらちらと僕を見る目はあるが、彼女は極力気配を薄めているようで注目されることはなかった。
ほんとにすごいなこの子は。
とりあえず、飲み物を注文して顔を合わせると、彼女はほんのりと顔を赤らめた。
(うーん。この前ので何か勘違いさせたのかな?)
僕とちょっと話すとその気があるのかと襲われるのだから、警戒してしまった。
だが、彼女はノートを取り出すと、ぱらぱらとめくり始める。
「ハワード様に何か噂があれば教えて欲しいとおっしゃっていたでしょう?」
「…え?何かあるの?」
「えぇ、はい。しかもちょっと許せない噂なのです」
彼女は、ノートを開いてすちゃっと眼鏡を直すと、きりっと僕の顔を見た。
「聞いていただけますか?」
僕は頷くと彼女の話に耳を傾けた。彼女は簡潔に述べてくれた。
「侯爵子息の一人がハワード様に懸想しており、王子殿下の婚約者という立場からはずそうと画策しています」
「えぇ…ホントに?そこまでする?」
「ハワード様は殿下の婚約者としては完璧なお方ですからね。問題がなければこのままご結婚されてしまいます」
「まぁそうだろうけど…」
ここでケイシーは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「なので、ハワード様の評判を落とそうとしてらっしゃるのです」
「は?」
惚れてる女にそんなことするのかと呆れていると、ケイシーが言葉を続けた。
「どうやら、随分とおつむの足りないお方のようで…」
(意外と毒舌だな…)
「それで、どうやって評判を落とそうと?アデル様はそんなに隙のある方ではないよ」
「はい。ハワード様は品行方正ですからね。殿下に纏わりついていると噂のご令嬢にも何もしておりません」
「う、うん。じゃあどうやって…」
「本当にどうかしていると思うのですが、ハワード様を傷物にしようとしておいでです」
「えぇ!?」
思わず声をあげてしまった僕に、彼女はそっと眉を顰めた。
「ゴールドスタイン君、声を…」
「ごめん。でも、それはもう犯罪だよ」
「はい。どうかしていますよね。今度、王都の歌劇場で行われるオペラをご存知ですか?」
「え?あぁ、新作が始まるらしいね」
「その初日に、ハワード様は御招待されておいでです。その帰りの馬車を襲うつもりらしいのです」
「ハワード家の馬車なんて警備が厳しいだろうに…」
「そうなのですが…面倒なことに襲撃はごろつきを使うようです」
「なんだって…?」
「ゴールドスタイン君は『黒犬』という組織をご存知ですか?」
「『黒犬』!?な…んでワトソンさんがそんなこと知ってるの!?」
『黒犬』とは、最近台頭してきたギャング組織なのだ。主にスラムを根城にしている。僕は商会で裏の情報も取り扱うこともあるので知っていたが、何故普通のご令嬢が知っているのだろう。僕が驚いていると、ケイシーはさらりと答えてくれた。
「その侯爵子息が、取り巻きの方にこっそり話していました」
「こっそり…を聞いたんだね」
「聞いたと言うより見たのです。それで、黒犬が襲撃してハワード様を傷物にしたところで『偶然』同じ歌劇を見に来ていた侯爵子息が助けに入る予定…らしいですよ」
「…傷物とは…どこまでだろう」
「あまり考えたくはないですが、ある程度であっても評判に傷はついてしまうでしょう。おそらく王子殿下との婚約は解消ということになるはずです。そこで助けに入った侯爵子息がハワード様をお慰めして婚約へと持ち込むつもりのようです」
いくらアデル様が何もなかったと言っても、何かされたかもしれない令嬢を王子の花嫁にはできない。そういうことだ。そこにつけこんで婚約を申し込むのだから、断られる可能性は低いと踏んだのだろう。
「なんとも卑劣な…」
「ですよね?なので、私居ても立っても居られなくて…」
彼女は印象の薄い顔を険しくさせて、僕を見ていた。
「なるほど、教えてくれてありがとう」
「直接やめるように言った方がいいでしょうか…」
「いや、今言っても誤魔化されるし、他の方法でまたアデル様をどうにかしようとするかもしれない」
「あ、そ、そうですよね」
ケイシーはぐっと口を引き締めてから、また口を開いた。
「この情報、王子殿下やハワード様にお伝えしたほうがいいでしょうか?」
「それは…、というか聞いてもいい?その侯爵子息って、誰なの?」
「はい。カール・ウッド侯爵子息です」
「あ~あいつか~…」
僕は頭を抱えた。カール・ウッド。確かにやらかしそうな男である。
背ばかりでかい粗野な男。野心的だが浅慮な振る舞いが多く、まさに『おつむの足りない』令息なのだ。
だが、ウッド侯爵家の身分は低くない。領地は広く豊かな方だ。今はたしか国からも援助を得て水路の改修事業を行っているはず。
そして、その事業にはゴールドスタイン商会も融資しており、材料や人手を集めるのに介入している。
ここでそのカール・ウッドがバカなことをしたとして、それが公になればカール本人だけでなくウッド侯爵家にも沙汰が下る。王子の婚約者に手を出そうとしたのだから相当だろう。
取り潰しとまではいかないかもしれないが、この事件で事業が止まる可能性が高い。
それでは困る。ゴールドスタイン商会は大損だ。
どうにか、王家やハワード公爵家にばれずに襲撃をやり過ごさなければならない。そして、企みはバレているのだと釘を刺せればなお良い。
だが、目の前のケイシーは納得してくれるだろうか。
アデル様を女神と崇めるくらいなので、アデル様の確実な安全がなければうんと言わないだろう。
「ええと、ケイシー。ちょっと、ごめんね。今、僕としては商売的にウッド家に問題を起こして欲しくないんだ。だから、この事を殿下やアデル様には知らせたくない」
「放っておいて、ハワード様がどうなってもいいと…?」
眼鏡の奥でぎらりと目が光ったような気がして、ちょっとぎくりとした。
「いや、アデル様に危害は加えさせない」
「ではどうするというんですか?」
「うん。僕がアデル様の身代わりになるよ」
「え…?」
「アデル様も騙す必要があるけど、頑張るから手伝ってくれる?」
「は、はい…」
彼女はきょとんとしたままながら、同意してくれた。
良かった。ひとまず彼女の暴走は止められたようだ。
「どうするつもりなんです…?」
僕はふうとため息をついた。
「ハワード公爵家の馬車と似た物を用意するよ。オペラの後、その馬車には僕が乗る。襲ってこられてもそれはアデル様じゃないから、あの方に傷はつかない」
「ハワード様はどうするのですか?」
「何も知らせず、違う馬車に乗って帰ってもらう」
「そ、そんなことできるんですか?」
「ここは、ちょっと友人の手を借りることにするよ」
僕は友人の顔を思い出して苦笑した。ケイシーはまだよくわからないという表情をしている。
「ではケイシー、計画を立てようか」
「はい」
彼女は真剣な顔で頷いてくれた。
思ったより長引いています…!