商会の次男は暗躍する 5
黄昏の教室で、僕は同じクラスの女生徒のノートを開いている。
何も彼女が好きだからとか、そういう甘酸っぱい気持ちではない。
単純に、あれほど楽しそうにエリックを見て書いている内容に興味があったのだ。
それに、もし本当に何かまずいことを知っているなら、現在の僕の力を使って封じるつもりでいた。
気は進まないが、色仕掛けも吝かではない。
王子やエリック、そしてアデル様の不利益になるなら排除する。これが恩人への忠誠だ。
彼らのおかげで安全に学園生活を送れているうえに、商売のヒントまでもらえるようになったのだから。
だから今、僕は遠慮なくノートを見つめている。断じて好奇心だけではない。
意気込んでそれを読み始めたのだが、一ページ目の第一文から戸惑ってしまった。
『この学園にクラス替えというものが無いことに感謝いたします!今年も女神を間近で拝見できることが本当に嬉しい』
(どゆこと?女神?)
『さて、このノートももう三十五冊目。卒業までしっかり書き続けることを誓います』
(三十五冊!?)
ぺらりとページをめくる。
『今日の女神。本日もホームルームの十分前に教室へ。今日のリボンはサテン地のパステルグリーン。おそらく三月二十日につけていたものと同じ。ハーフアップがシニヨンになっており大変可愛らしい。騎士と挨拶をされ微笑んでいる。最高。王国史の授業中に質問されるが正答。頭の良い方だ。憧れる。昼食は食堂で騎士と一緒に。時折騎士に覗き込むように話しかけており大変愛らしい。やはり一番良いお顔だ。途中で王子に一言話しかけられ大変微妙な顔をされる。王子は図書室とだけ言っていた。相変わらず分からない。カフェでは紅茶をテラスで。この天気だと行くと思っていた…』
(んん?んんんんん??)
『今日の女神。本日はホームルームの八分前に教室へ。今日のリボンは細い金と紺のストライプのリボン。端に金の飾りがついている。サイドから編みこんでのハーフアップ。妖精と騎士と話して微笑みを見せる。美形が並ぶと眼福すぎる。尊い。数学の時間に…』
(女神に騎士に王子に妖精?)
エリックの名前が出てこない。
だが、これは誰か…『女神』の観察日記のようだ。怖い。一日も欠かさず書かれている。
ぱらぱらとめくっていくと、同じような記述ばかりだ。
『今日の女神。今日はホームルームの十五分前に教室へ。珍しく三つ編みをサイドに垂らしている。結びにレースリボン。清楚で可愛らしい。尊い。…放課後は騎士と共に玄関まで行き、エスコートされ馬車
へ。騎士への微笑みが愛らしい。今日も女神は女神だった』
『女神』絶賛日記だ。事細かに記されていて、時折その時の心情が吐露されている。
なんとなく分かってきた。僕と彼女と同じクラスで女神と称されるのは、僕には一人しか思い浮かばない。
この女神とはアデル様のことだ。そしておそらく騎士はエリック。王子はそのままルーイ王子殿下だろう。
ちょっと引き気味でページをめくっていると、枠で囲われた部分があった。
そこにはこう書かれていた。
『見守る会 定期集会議事録 参加者 司会コーネル、書記ワトソン、フランダーソン、ヒルフィガー、…』
(見守る会…!?定期集会!?この参加者って…)
苗字しか書かれていないがどれも見覚えがある。この学園に通う貴族子息、または商会などの令息だ。おそらく令嬢もいるのだろうが、そこそこの人数だ。
『本日の議題 女神のリボンの好みについて 好きなお菓子について 騎士について』
(そうそうたるメンバーなのに、内容がすごく地味な気がする…)
だが、気になる一文があった。
『騎士について ワトソンより:〇月〇日テラスで女神と同席。会話内容はRのこと。流行りのお菓子について』
(この日付は確か、僕がケイシーをカフェで見かけた日だ…)
彼女はエリックを見ていたのではなかった。アデル様を見ていたのだ。エリックがアデル様の騎士役として近くにいるからエリックを見ていると勘違いしてしまったようだ。
彼女が女性なので、見つめるなら男性だろうという先入観があった。
エリックを見ていない時でも何か書いていたのは、そこにアデル様がいたからだ。
(でも、会話内容って…どうして彼女が知っているんだろう)
確か、カフェの端のテーブルにいたはず。もちろん声など聞こえない。ほかの生徒が大勢いて騒がしかったからだ。
(え、怖…)
他の見守る会のメンバーが近くで聞いていたのかと思ったが、他の議事録を見てもワトソンの名前の後に会話内容が書かれている。彼女が担当しているのだろう。
そして、たまに出てくる『妖精』。
『…今日は妖精と久しぶりに二人で話している。タイプ違いの美人最高!…』
『…妖精と騎士で談笑。神様ありがとうございます!それをじっと女神が見ている…』
(妖精?美人?…アデル様と並んで美人って、キャンベル伯爵令嬢?でも騎士、エリックと談笑しないよなぁ…)
ぶつぶつと考えていたら、教室に入ってきた気配に気が付かなかった。
どさっと何かが落ちる音がして、僕ははっと顔を上げた。
音のした方を見ると、大きく目を見開いて固まっているケイシー・ワトソンがいた。
「わ…ワトソンさん、これは…」
勝手に見ていたのでどう言い訳しようかと思っていたら、彼女がゆっくり口を開いた。
「ひっ…」
「ひ?」
「ひいぃぃぃゃあああぁぁぁぁぁ!!!」
「え!?」
責めてくるかと思った彼女は、荷物を置き去りにして教室から走り出て行ってしまった。
慌ててその後を追うと、ばたばたと走り去っていく背中が見える。
(あの方向は中庭か、こっちから抜けるか)
さくっと抜け道を利用して中庭に至る廊下で彼女を待ち受けると、彼女は腰が抜けたようにへたりこんでしまった。
(ありゃ、やりすぎたかな)
彼女は今にも泣きだしそうに青褪めている。僕は努めて優しく声をかけた。
「荷物を忘れてるよワトソンさん」
「す、すみません…」
僕がかばんを差し出すと、震える手で受け取ったが、何か言いたげに僕を見ている。ノートのことを聞きたいのだろう。
「あっあの…」
僕はそれを遮って声をかけた。この子、ちょっとおもしろい。
「ワトソンさん」
「はひっ」
「このノートって、なぁに?」
僕が後ろ手に持っていたノートを目の前に差し出すと、彼女はばたんと床に蹲ってしまった。本当に予想外だなぁ、この子。
「ごめんね、床に落ちてたから、誰のものかと思って見てしまったんだよね」
さらっと嘘をついてみたが、バレなければいいだろう。彼女は動かない。
「…」
「これ君のだよね?」
「…」
「あれ?これ、もしかして君のじゃないの?」
彼女はゆっくりと顔を上げた。なんともいえない表情をしている。
自分のものだが、自分のものだとは言いたくないのだろう。ちょっと意地悪をしてみたくなってにこりと微笑んだ。
「勘違いしたならごめんね、それじゃあこれは明日皆に持ち主を聞いて…」
「私のですぅぅ!!」
眼鏡の奥で茶色の瞳が潤んでいる。
「あ、そうなんだ。うんやっぱりね」
「あっあの、どうかこのことは内密に…!!」
ぶるぶると頭のてっぺんから足の先まで震えている彼女が僕に懇願している。
うん。別に言いふらそうとは思ってなかったんだけど。
ここは交換条件といこうじゃないか。
僕は首を傾げて彼女を見つめた。割とこれでみんな顔を赤らめるんだけど、彼女はそれどころじゃなさそうだ。
「んーじゃあ、これが何か教えてくれる?」
「へっ」
「これ、何なのか気になっちゃってね」
「か、勘弁してくださぁぁい~~…!!」
あ、泣かせてしまった。