商会の次男は暗躍する 4
学園生活も四年目に入った頃、僕はある眼鏡の子爵令嬢が、何やらノートに書き付けている現場に遭遇した。カフェテリアでは授業の復習や予習をする生徒もいる。変わり映えのしない、いつもの風景だったはずだ。
彼女は学園のカフェテリアの隅にあるテーブルにいた。僕はその時、親衛隊に囲まれて座っていたのだが、その彼女の様子に何か引っかかるものがあったのだ。
(なんだろう…?あれは宿題?いや…)
彼女は眼鏡の奥で、ちらりちらりと何かを窺っている。そして頬を紅潮させてノートに何かを書いているのだ。
(何を見ているんだろう…あ…!?)
彼女の視線を追うと、そこにはエリックとアデル様がテラス席で話している姿があった。
礼儀正しく同級生として話しているが、エリックは本当に嬉しそうだ。きちんと表情を作っているが、僕にはわかる。
(なぜ今ちょっと顔を赤らめたんだエリック。駄々洩れじゃないか。あ、頑張って顔を戻したな。よしよ
し。)
ふとノートを持っている子爵令嬢を見ると、悶えていた。
ノートに突っ伏して体をよじっているので体調不良なのかと思ったが、違った。
あれは何かに感動しているのだろう。
(え、どういうこと!?)
今のリアクションを見るに、エリックを見て悶えていたようだが何故なのだ。見慣れた僕くらいならエリックの機微も読み取れるが、普通は無理だろう。
(確か彼女は…ケイシー・ワトソンだ…)
彼女もBクラス。これといって目立つことのない子爵令嬢だった気がするのだけど。
親衛隊のリンダが友人だったはずだ。
もう彼女はノートに何かを書く様子はない。エリックとアデル様を見ると席を立つようだ。
彼女は、一人満足そうにコーヒーを飲んでいた。
興味が湧いたので、ケイシー・ワトソンの友人であるリンダに聞いてみることにした。彼女も子爵令嬢だ。何か知っているかもしれない。
「リンダさん?あそこにいるご令嬢はなんていう名前だったっけ?」
「え?あぁ、ケイシーです。ケイシー・ワトソン」
「そうだよね」
「どうかされました?」
「いや、ちょっと確認だよ。あそこに座ってるから」
「本当ですね。一人だわ。こちらに呼んでもいいですか?」
「かまわないよ」
僕はしめたと思った。ノートに何を書いていたのか聞くチャンスだ。
「ケイシー!何してるの?こちらへ来たらいかが?」
彼女は声をかけられてぎょっとした顔をすると、途端に顔を赤くしてしまった。
僕に視線をとめるとぺこりと会釈してくれる。
ハワード公爵家のお茶会で注目を浴びて以来、貴族たちにも一目置かれるようになったのはありがたい。しかし、そんなにかしこまられるとこちらも困る。なにしろ僕はただの商会の次男なのだ。
ケイシーは真っ赤になってぶるぶる震えながらこちらへ来た。
「ご…ごきげんよう、リンダ」
「何よ、かしこまって。声をかけてくれればよかったのに」
「だって、ゴールドスタイン君がいたから…」
「僕に遠慮したの?」
「いえいえいえ!!とんでもないです!いや、ええと、ちょっと近寄りがたくて…あわわ」
「同じクラスなんだし、気軽に接してくれていいのに」
「そ…そんな…」
「僕は商会の息子なんだから爵位もないし、本当は皆とも気軽に話せるような身分じゃないんだよ」
ケイシーをリラックスさせるために僕が笑ってそう言うと、親衛隊からはそんなことは関係ないと力強く説教されてしまった。
この見てくれと、王子や公爵家の友人というのは、時に強い影響力を持つらしい。
ケイシーは目を見開いたまま、ぎゅっとノートを抱き締めている。
何も言わないケイシーにリンダが心配そうに声をかけた。
「ケイシー?」
「と…尊い…!!」
「え…?」
「な、なんでもありません!!私ちょっと用があるので戻ります!!」
「あ!ワトソンさん!?」
ケイシーは走ってカフェから出て行ってしまった。
「あートゥーイ君…ケイシーはちょっと変わってるの。でもいい子よ」
「そうなんだね…」
僕は呆然とケイシーを見送った。肝心なノートについて聞くことすらできなかった。
「…リンダさん?あのワトソンさんが持っていたノートって、何が書いてあるのかな?」
「え?さぁ…でもいつも何かしら書き込んでいますね」
「そう…」
中身がわからないと気になるではないか。しかも、彼女は明らかにエリックとアデル様を見ていた。
(もしかしたら…)
彼女はエリックが好きだからああやって観察しているのでは。そしてこれは最悪の事態だが、彼女はエリックの気持ちに気が付いているのではないだろうか。
もし、彼女がエリックの気持ちを知っているなら、口止めしなければならない。
彼は王子の友人で将来の側近。王子の婚約者への横恋慕などあってはならないこと。懸命にエリックが隠しているのだから暴かれては困るのだ。
エリックもアデル様も王子も僕にとっては恩人だ。彼らの悪評など立てさせてはならない。
彼女が何を書いているのか知る必要がある。
僕はケイシー・ワトソンを見張り、その機会を窺うことにした。
その日から、ケイシー・ワトソンをさりげなく観察していたのだが、彼女の行動は奇怪だった。
ありふれた明るい茶髪に茶色の瞳。そして眼鏡。
目立たない容姿なので今まで気が付かなかったが、教室にいるときは、何かしらノートに書き付けている。なんというか、ほとんど一日中ノートを持って移動しており、時折何かに目をとめてはノートに書きこんでいる。
何を見ているのかと視線を追えば、やはりエリックがいることが多い。
しかし、何を見ているのか分からないこともあるので正確にエリックを対象にしているのかはつかめない。
ただ、彼女はそのノートを決して人には見せないし、その内容について口にすることは無かった。
しかも、彼女はノートに書きこんでいる時はとても楽しそうなのだ。頬を染めてうっとりとしていることさえある。そしてたまに悶えている。
もし彼女がエリックのことを好きで、彼がアデル様を想っているということを知っているなら、片思いの辛さにもっと悲しそうにしたりするのではないだろうか。
なのに彼女は嬉々としてノートに書きこんでいる。
(うーん。本当に気になってきた。どうにか見れないかな…)
だが、あれだけがっちりガードしているので中々手放さないだろう。
書いているところを後ろから覗き込もうとしてことはあるのだが、彼女は素早くノートを閉じてしまった。かなり用心深いのだ。
(もう、機会があったら遠慮なく見てやろう)
もはや恩人であるあの三人のためというより、好奇心の方が強くなってきた。
僕の予想としては、エリックの挙動を書いているものだと思うのだけれど。
もしただのポエムとかだったら全力で謝罪しよう。心の中で。
そして、その機会は思ったより早くやってきた。
放課後、少し残って図書室にいた僕が教室に戻ると、すでに生徒は誰も残っていなかった。
夕暮れの教室に窓枠の陰が斜めに落ちていた。茜色と影のコントラストが良い雰囲気だ。
だが、ノスタルジックに浸っている暇はない。
(さて、僕ももう帰ろう。一人でいると危ないし…)
以前、見回りの警備員にもはぁはぁされてしまったので本当にちょっと怖い。
襲われる状況に身を置かないことが自衛の第一歩だ。
急いで荷物をまとめていると、ふとケイシー・ワトソンの机が目に入った。
(まさか置いて帰ってないよなー…)
と思っていたら、なんと彼女がいつも持っているノートが、椅子の上に置いてあるのが見えてしまった。帰り際に椅子に置いて忘れて帰ってしまったのだろうか。
(これは大チャンス!)
こんな機会を逃す僕ではない。罪悪感の欠片もなくさっとノートを広げると、そこには几帳面な細かい文字がたくさん書き連ねられていた。
(ええっと何が書いてあるのか…な…。ん…?)
そこには、ちょっと意外なことが書かれていた。